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4月23日(土)・・・警官4人殉職、遺志継ぐ交番 プレハブで再出発 岩手

東日本大震災の大津波は、岩手県で初めて「全国優秀交番」に選ばれた大船渡署の高田幹部交番(同県陸前高田市)ものみ込んだ。定年退職で交番を離れる4日前だった所長ら警察官4人が殉職した。プレハブの仮交番で再出発した同僚はその遺志を継ぎ、被災地の治安の要として奮闘を続ける。

 「ここからが俺の本当の仕事だ」。地震発生直後の3月11日午後3時過ぎ、交番前で状況をみていた所長の高橋俊一警視(60)は、そう言って建物に戻った。生き残った部下の橋本大輔巡査(21)が見た最後の姿だった。

 高橋さんは2009年3月から県警で災害対策室長を務め、翌年2月にあったチリ地震による津波の際は陣頭指揮にあたった。岩手県大船渡市に住む高齢の両親の面倒を見るため、実家近くの勤務を願い出て、翌月に隣の陸前高田市の高田幹部交番の所長に就いた。

 県内13市のうち警察署を持たないのは陸前高田市など2市だけだ。妻子を盛岡市の自宅に残し、実家から交番に通った。

 高橋さんの「本当の仕事」とは何だったか。父の亨さん(87)は警察からこんな説明を受けた。津波に襲われる直前、部下に「逃げろ」と叫びつつ、自身は無線のマイクを握った。交番を出ていたパトカーに、住民を避難させる指示を飛ばしていたとみられる。

 退職に向けた、警務部付の異動発令日は3月15日。残り4日だった。

 遺体は約1カ月後、陸前高田市の沖合で見つかった。亨さんは「警官としては職責を全うした。ただ、親を思って帰って来て被害にあっただけに、申し訳なく、無念です」と涙声で言った。4人の息子を育てた高橋さん。妻の美江子さん(56)は津波の1時間前に、電話で孫の声を聞かせていた。「家に帰れば優しい父親であり、夫でした」
「津波などの災害はいつ来るかわからない。もっとレベルの高い備えをしなければだめだ」。高橋さんは生前、防災の大切さを訴え講演したこともあった。

 高田幹部交番は今年2月、国内約6千の交番から「全国優秀交番」(10カ所)に選ばれた。交番と商店街や学校との連携を密にし、管内の万引き犯と自転車盗の件数を大きく下げたことが認められた。

 実家の高橋さんの机の上には、「現場第一主義の君へ」という警察官向けの本が残され、アンダーラインがびっしり引かれていた。

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 高田幹部交番は鉄筋コンクリート2階建て。いまは外壁だけになった。9人の警察官のうち高橋さんら3人と、非番にもかかわらず応援に駆けつけた大船渡署地域課の巡査が殉職した。

 北に約1.5キロの高台で3月31日、仮交番での業務が始まった。40平方メートルのプレハブ小屋。生き残った6人に新所長の斎藤雅彦警視(56)ら2人が加わった。

 高橋さんの遺影が壁に飾られ、部下たちを見守る。「元気出して前進だ 失敗もまた前進だ」。遺影の下には、高橋さんの座右の銘が書かれている。

 「車のホイールが4本盗まれた。他県ナンバーのあやしい車ががれきの山の中を走っていた」。市内の男性(32)が19日午前、交番に飛び込んできた。

 男性は津波で父親(62)を亡くした。ホイールが盗まれたのは、父親が大切にしていた車だった。がれきの撤去後に見つかった。「遺品を盗むなんて許せない。こんな被害は俺で最後にしてほしい」と訴えた。

 3月下旬には、被災したコンビニ店のATM(現金自動出入機)が壊される事件も発生した。斎藤さんは「避難所生活が長くなり、今後は被災者間のトラブルも心配」と話す。

 遺失拾得物は1日30~80件。金庫が多いが、思い出の品や土地の権利証などもあるという。

 警察官も被災者だ。1人は妻を亡くした。大半が近くの自動車教習所に寝泊まりし、食事は支給品のおにぎりやカップ麺が中心。休日もない。それでも歯を食いしばる理由がある。

 「高橋さんと同じような災害警備の道を目指したい」。かつて部下だった橋本さんはそう語る。

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 警察庁によると、東日本大震災で殉職した警察官は岩手8人、宮城11人、福島3人、東北管区警察局1人の計23人。ほとんどが住民避難誘導中に津波に巻き込まれたという。このほか7人が行方不明になっている。(緒方雄大、渡辺丘)
by nsmrsts024 | 2011-04-23 20:44 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


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