7月22日(日)・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と4ヵ月

[福島沖のタコ、初めて県外へ 原発事故後、自粛]
福島県相馬市沖の試験操業でとれたタコと貝が21日、宮城県亘理町のスーパーの店頭に並んだ。東京電力福島第一原発事故の後、福島県沿岸の魚介類が県外で売られるのは初めて。

 大震災後は漁の自粛が続いてきたが、相馬双葉漁協が6月から、3魚種に限って試験操業を開始。放射性物質が検出されないことを確認した上で、これまでは県内に出荷されてきた。

 この日は「スーパーシシド亘理店」で、ゆでたミズダコとツブ貝のシライトマキバイが販売された。近くに住む農業の星裕子さん(58)は「復興に協力したい。検査されているので不安はありません」とタコを購入した。今回の出荷分は23日には仙台市中央卸売市場で競りにかけられる。

 同漁協の阿部庄一指導部長は「これを足がかりに少しずつ前進したい」と話した。(笠井哲也)


[鉛板、原発構内に投棄させる 役員が指示 被曝隠し問題]
東京電力福島第一原発の復旧工事を下請けしたビルドアップ(福島県)の役員(54)が、作業員の被曝(ひばく)線量を少なく見せるために線量計「APD」を鉛カバーで覆って作業させた後、原発構内に鉛カバーをすべて投棄させていたことがわかった。厚生労働省は、本当の被曝線量を調べるには現物の鉛カバーで放射線の遮蔽(しゃへい)効果を確かめる必要があるとして回収を目指す。

 ビルド社の役員が21日、和田孝社長に説明したところによると、役員は昨年11月、工事現場である原発1号機西側の高台を下見した際に、高い線量を感知してAPDの警報音が鳴ったのに驚き、実際の工事では鉛カバーでAPDを覆うことを決意。作業員9人が約3時間、鉛カバーを着けて資材を運ぶなどの作業をしたとしている。

 作業員の一人によると、現場の線量は思ったほど高くなかったため、鉛カバーは1回装着した後は使うのをやめ、原発構内にあるビルド社専用の車の中に隠していた。その後、役員が「ばれたらおおごとだから捨てよう」と投棄を指示したという。

 この作業員は「原発構内の草むらに捨てた。構内は放射線量が高いため、見つかりにくいと思った」と朝日新聞の取材に話した。










千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた人間が発する核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)


[2011年8月1日]・・福島で原水禁世界大会開催 原発立地県で初
広島、長崎の「原爆の日」を前に、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などが31日、福島市で世界大会を開いた。東京電力福島第一原発の事故を受け、原発立地県で初めての開催。800人を超える参加者があり、「脱原発」を前面に打ち出した。

 「私の運動への熱意は核兵器廃絶に偏りがちだった。反原発への取り組みが弱かった」。長崎の被爆者、川野浩一議長は冒頭のあいさつで反省を述べた。その上で「この原発事故を最後にしましょう。『ノーモア・フクシマ』と叫びましょう」と呼びかけた。

 講演したルポライター鎌田慧さんは「原発反対で運動してきたが、社会を変える力になっていなかった」と振り返った。1954年の「第五福竜丸事件」の際、乗組員だった大石又七さんは講演で、「原発は核兵器と同じ危険性を秘めている。原発はなくすしかないと認識すべきだ」との思いを訴えた。


[2011年8月2日]・・・震災の死者1万5656人 不明は4975人 1日現在
警察庁がまとめた東日本大震災(余震を含む)の死者は、1日現在で1万5656人となった。警察に届け出があった行方不明者は4975人。
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by nsmrsts024 | 2012-07-22 07:43 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた核災害


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