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2月19日(水)・・・

籾井NHK会長「発言、どこが悪いのか」 経営委で
就任会見での従軍慰安婦問題や特定秘密保護法などをめぐる発言が問題になった籾井勝人NHK会長が今月12日の経営委員会で、「取り消しているし、どこが悪いのか。素直に読めば理解できるはずだ」という趣旨の発言をしていたことが18日わかった。経営委内部では「反省していない」との声があがっている。

 12日の経営委では作家の百田尚樹氏、埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏の両委員の言動などを審議し、経営委員は「一定の節度を持って行動していく」とする見解をまとめた。

 複数の関係者によると、委員会の最後に、ある女性委員が会長発言の影響について「受信料不払いなどのリスクにどう対処するのか」と質問。籾井会長は「営業が頑張る」と答えたのに対し、具体案を尋ねられた後、「(発言の)どこがおかしいのか」「会見の記録全体を見てもらえればわかる」という旨の持論を述べた。別の委員から「そういう物言いはおかしい」と反発する声があがり、浜田健一郎委員長がぶぜんとして「終わります」と委員会を打ち切ったという。

 会議終了後、委員からは「浜田委員長が注意した意味がない」と懸念する声が出た。1月28日の経営委で籾井会長は「個人的な見解を発言したのは不適切だった」と反省を表明、委員長が「自身の立場を理解いただきたい」と会長に注意していた。

 今回の発言について、NHK上層部の幹部は「就任会見では記者がしつこく聞くので致し方なかったと言いたいのだろうが、自分は悪くないという趣旨に受け止められても仕方ない」と指摘した。

 約半月後に公開される経営委の議事録の表現については調整中という。(編集委員・川本裕司)















3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から2年と11ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)



2011年3月17日(木)・・・津波10m、仙台の荒浜地区に痕跡 平野で世界最大級
 東日本大震災で死者数百人が確認された仙台市若林区の荒浜地区で、津波の高さが10メートルに達していたことが17日、東北大の今村文彦教授(津波工学)の調査で分かった。平野部としては世界最大級という。宮城県が想定した高さの約3倍の津波は、防潮堤や防潮林を越え、集落を襲った。

 荒浜地区で、住民が逃げ込んだ小学校の校舎の高さ10メートル部分まで津波の痕跡があった。荒浜地区から名取市まで、ほぼ全域で高さ10メートルの津波の跡があった。平野部は津波が増幅されにくく、三陸海岸などでは増幅され、平野部の2倍を超えた可能性がある。今村さんによると、平野部の津波は2004年のインド洋大津波で観測された十数メートルが最大という。

 宮城県は、過去最大級の津波だった宮城県沖地震(連動型)を想定して、この地域は最大の2~3メートルと予測。約5メートルの防潮堤と幅50~数百メートルの松林で備えていたが、今回の津波はその3倍だった。

 名取市の漁港では、津波では壊れないとされる鉄筋コンクリートの建物も破壊された。今村さんは「想定外の非常に強い津波が来た。防災施策に携わってきた自分としては、忸怩(じくじ)たる思いだ」と話した。(長野剛)


2011年3月17日(木)・・・韓国救助隊「生存の希望捨てない」 がれきの中続く捜索
東日本大震災の被災地で、韓国の救助隊105人が行方不明者の捜索活動にあたっている。家や道路などすべてが破壊し尽くされた中で、がれきや泥をかき分ける。「生きている人がいるかもしれない。希望は捨てない。皆さんもどうかこの困難を乗り越えてほしい」――。李東星(イ・ドンソン)団長(52)が語った。

 韓国の救助隊が日本で活動するのは初めて。先発隊が12日に宮城県入り。14日に音波探知機や救助犬、消毒用の薬品、川や海の中に潜水できる器具などを携え、本隊が加わった。仙台市若林区荒浜や多賀城市の現場で3チームに分かれて捜索活動をしている。

 韓国は80年代後半から本格的に人命救助の技術を学び始め、日本の消防庁からも多くの支援を受けた。その日本で救助活動をすることに。「言葉に出来ないほどの苦痛を受けている方々のため、少しでも力になりたい」という。

 15日、宮城野区蒲生の現場。家と家は折り重なるようにつぶれ、ひっくり返った車両には鉄の棒や木材が突き刺さっている。中国・四川やハイチの被災地では、建物などの隙間に生存者がいた。しかし、今回の地震では津波が街を丸ごとのみ込んだ。「本当に心が痛んだ」

 それでも、もしかしたらどこかで助けを待ち望んでいる人がいるかもしれない――。

 汚れた家具、食器、布団、洋服などを取り除いていると、少し前までここにあった幸せな暮らしに思いが及ぶ。割れた写真立ての中から、家族の笑顔がのぞいていた。

 しかし、つぶれた車両や建物の中、下水溝の下からは次々と遺体が見つかった。日本の習慣にならい、手を合わせ冥福を祈った。

 「息子の嫁が見つからないままなんです」。「会社の同僚があっちに流されていくのを見た。なんとかお願いします」。絞り出すような声だった。「探して見ます」。そう答えながら、胸が張り裂けそうになった。
一緒に捜索する警察の人手が足りない現場では、捜索活動だけでなく、遺体の収容もした。福島原子力発電所の放射能漏れにも神経を使い、綿密に検査機で調べている。

 宿舎は現場近くの運動場にある駐車場で、テント張りの滞在。強い吹雪があると、中まで雪が舞い込む。「ありがとう」「カムサハムニダ」とお礼を言ってくれる住民たちの言葉が、支えになる。

 被災者に伝えたいことは――。そう問いかけると李団長は答えた。「どんなに大きな困難でも、どうか希望と勇気を失わないでほしい。私たちもわずかでも力になれるよう力の限りを尽くしますから」(清水大輔)
by nsmrsts024 | 2014-02-19 06:59 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


by nsmrsts024