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8月3日(日 )・・・東日本大震災から3年4ヶ月と24日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と4ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)



2011年3月22日(火)・・・搾りたて生乳6トン、無念の廃棄処分 被災で出荷滞る
震災の影響で茨城県内の酪農家が搾った生乳を出荷できず、廃棄処分を余儀なくされている。牛乳メーカーの工場や貯蔵施設が被災して集乳が滞っているためだ。21日までに主なメーカーの半数が操業を再開。県内の酪農組合も農家からの集乳を始めつつあるが、通常の生産量にはほど遠い。放射能汚染の風評被害への不安も広がっている。

 わずか2時間前に搾ったばかりの生乳が、車の6トンタンクから勢いよく畑にまかれていく。3分ほどでタンクは空になり、ほのかに甘いミルクの香りが漂ってきた。

 生乳を廃棄処分していたのは、同県小美玉市の美野里地区で、祖父の代から酪農業を営む男性(38)だ。「仕事ができるだけでも幸せなのかもしれません。でも、やっとの思いで搾った生乳を捨てなければならず、本当に悔しい」

 この農場では乳牛400頭を飼育。1日あたり12トンの生乳を生産している。震災で出荷ができなくても、毎日2回は機械で搾乳する。乳がはり炎症を起こす「乳房炎」から乳牛を守るためだ。

 震災直後、停電で機械が動かず、発電機を稼働させるまで丸1日搾乳できなかった。牛舎に入ると、うなり声が響いた。「早く搾って」と言わんばかりに多くの乳牛が近寄ってきて、怖いくらいだったという。

 搾った生乳は、県内3カ所にある貯蔵施設「クーラーステーション(CS)」に一時的に集められる。その後、県内の乳業メーカー7社を中心に配送される。

 だが、メーカーは軒並み被災。約300トンを保管できる県央CS(笠間市)が操業停止になり、集乳はストップ。搾っても自分の畑に廃棄処分せざるを得なかった。

 震災から10日が経ち、この農場の損失は1200万円を超えた。「収入ゼロなのに、人件費などの出費はかさむ。借金をしないとしのげない……」とため息をつく。
被災したメーカー工場では、徐々に操業が再開されている。だが、通常の生産量には遠く及ばないのが実情だ。

 県央地域のメーカーは18日から再開したが、生産量は通常の15%ほど。紙パック工場が被災したため容器が足りず、配送車の燃料不足で販売店に卸す予定が立たない。担当者は「通常の体制になるまでに時間はかかる」と話す。

 一部メーカーの再開を受けて、県内の多くの酪農組合でも21日から集乳が本格的に始まった。が、メーカー側に、全量を受け入れる体制は整っていないため、CSがいっぱいになると、再び廃棄処分せざるを得なくなる可能性があるという。「メーカーの早い復帰を待つしかない」と県酪農業協同組合連合会。

 男性の農場でも出荷が始まったが、地震のストレスやエサ不足で乳量が落ちている。「昨夏の猛暑の影響がやっと薄れてきたところだった。エサを増やしても、通常の量に戻るのに数カ月はかかるだろう……」

 福島第一原発の事故による風評被害も心配だ。

 政府は19日、福島県内の生乳から基準を超える放射能が検出されたと発表。21日、同県に出荷停止を指示した。

 男性は「ただでさえ、牛乳の消費量は年々減っている。風評被害を長引かせないためにも、政府は安全性をもっと強調してほしい」と願う。(東郷隆、今直也)




2011年3月22日(火)・・・「まさか、ここにまで」指定避難所にも津波の牙 宮城
津波は安全なはずの指定避難場所をものみ込んだ。役場の支所や学校、高台……。「まさか、ここにまで」。想定外の大津波は、自治体の指示に従って避難した多くの人の命すら、奪った。

 宮城県石巻市の北上川の河口に面した同市北上総合支所は、津波に備えて5年前、新築された。想定されていた津波の最高水位5.5メートルより1メートル高い土地に建て、避難場所にも指定された。しかし、2階の屋根を超える大波で全壊。支所に身を寄せたお年寄りら49人のうち、市職員2人と児童1人の計3人だけが生き残った。市職員の牧野輝義さん(42)は「避難は完璧だったが、津波の力がそれを上回った」。残る職員2人は被災住民対応にあたっている。

 指定避難場所だった同県東松島市の野蒜(のびる)小学校体育館でも数十人が亡くなった。「水が流れ込み、渦にお年寄りが巻き込まれていった」。2階観覧席にいた女性は津波が来たときの光景を語る。

 震災のあった11日、海岸線から約1.3キロ離れた学校には住民が続々避難して来た。お年寄りや子供ら約300人がマットに座り、ひと息ついたとき、濁流が入ってきた。人々は舞台や2階観覧席に上る階段に向かったが、お年寄りらは取り残された。避難した女性は「体育館にいれば安全という意識があった。これほど大きな波が来るとは思わなかった」と話した。

 同県七ケ浜町の岡本八朗さん(77)は揺れの後、町内に流れた「大きな津波が来ます。高台に逃げてください」との放送で避難。海岸から約100メートル離れた、10メートルほどの高台にある指定場所に向かった。近所の人ら約15人が集まった。高台に着くと大阪に住む長男から「大丈夫か」と電話が入り、「避難場所にいるから大丈夫」と伝えた。
しかし、眼下の道路には海水が流れ込み、次の瞬間、高さ5~6メートルの防波堤を超えてきた波にのみ込まれた。岡本さんは九死に一生を得たが、家は流され、3年前に亡くなった妻の写真すら失った。「何も残ってないんだよ。涙も出ないよ」と避難先の体育館でつぶやいた。(千種辰弥、沼田千賀子、山本奈朱香)















[世界と日本・今日この頃]

新疆襲撃事件、住民37人死亡 警察当局は59人射殺
中国新疆ウイグル自治区カシュガル地区ヤルカンド県で7月28日に起きた襲撃事件について、自治区政府系ニュースサイト「天山網」は3日、容疑者グループが住民37人を殺害し、警察当局は59人を射殺、215人を拘束したと伝えた。殺された住民のうち35人は漢族、2人がウイグル族だとしている。

 当局は「組織的で計画的な重大暴力テロ事件」と断定。同サイトは首謀者としてウイグル族とみられる名前を挙げ、2013年から海外のウイグル独立派組織「東トルキスタン・イスラム運動」と連携し、「暴力テロ集団」を形成したとした。「聖戦」の旗も押収したという。

 同サイトによると、容疑者グループは28日朝、覆面姿で刃物やおのを持って地元政府庁舎や派出所を襲い、さらに別の場所に散って民衆や地元幹部らを殺害した。

 この事件について当局は当初、「数十人が死傷し、容疑者数十人が射殺された」と発表していた。(上海=金順姫)
by nsmrsts024 | 2014-08-03 06:49 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


by nsmrsts024