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2015年6月15日(月)・・・東日本大震災から4年3ヶ月と4日

3.11 東日本大震災と福島第一原発爆発事故から4年と3ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能災難から直後の1年間を顧みる)


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      3.11 東日本大震災        福島第一原発爆発事故 8


2011年4月2日(土)・・・大気中の放射線量、各地で低下傾向続く
 福島第一原発の事故の影響で上がった大気中の放射線量は2日午前中も、各地で低下傾向が続いている。午前8時現在で、茨城県北茨城市で毎時0.565(前日午前8時は0.598)マイクロシーベルト、高萩市で0.577(同0.664)マイクロシーベルトと下がった。東京都新宿区では0.0955(同0.0979)マイクロシーベルト、前橋市では0.053(同0.055)マイクロシーベルトとやや下がった。

 福島県内は、福島市2.75(同2.68)マイクロシーベルト、郡山市2.31(同2.29)マイクロシーベルトとやや上がったが、飯舘村は6.99(同7.49)マイクロシーベルトと下がった。



2011年4月2日(土)・・・飯舘の放射性物質、平均値で避難基準下回る IAEA
福島第一原発から約40キロ離れた福島県飯舘村の土壌から国際原子力機関(IAEA)の避難基準を超える放射性ヨウ素131が検出された問題で、IAEAは1日、村内の複数地点で採取したヨウ素131の追加データを再計算した結果、平均値で避難基準を下回ったと明らかにした。

 IAEAによると、日本政府側が3月19~29日に飯舘村の複数地点の土壌から採取した15サンプルの数値を元に、IAEAの換算式で計算。その結果、平均値は1平方メートルあたり約7メガベクレルで、IAEAの避難基準10メガベクレルを超えなかったという。

 IAEA当局者は、ウィーンでの記者会見で「人間は同じ場所にとどまらず移動するため、(異なる地点のデータの)平均値がより重要になる」と指摘。その上で、飯舘村のヨウ素131について「平均値では減少しつつある」と述べた。

 ただ、サンプルの中には依然として基準を超える高い数値もあるため、「日本側が引き続き注意深く調査を続けている」とした。

 IAEAは3月30日、飯舘村の1地点で同月下旬に検出されたヨウ素131の数値が約20メガベクレルだったと発表。「1カ所のみで計測された暫定的な評価」とした上で、日本側に追加調査を促していた。

 また、IAEAは1日、日本政府の要請を受け、原子炉の専門家2人を日本へ派遣すると発表した。4日以降、福島第一原発の現状や対応策について、原子力安全・保安院や東京電力などと協議するという。(ウィーン=玉川透)




[世界と日本・今日この頃]

孤独死「身近に感じる」4割超す 内閣府調査
一人暮らしの高齢者の4割強が「孤独死」を身近に感じている――。内閣府の意識調査で、こんな結果が出た。特に会話が月に1、2回という人では、6割以上が孤独死の不安を抱える。調査結果は、政府が12日に閣議決定した2015年版高齢社会白書に盛り込まれた。

 白書によると、65歳以上の高齢者の一人暮らしは、15年時点の推計で600万8千人いる。男性高齢者の12・9%、女性高齢者の21・3%を占める。25年には700万人を超すという。

 内閣府は昨年12月、全国の高齢者2624人を対象に面接で意識調査を実施。1480人(56・4%)から有効な回答を得た。

 誰にもみとられず、亡くなった後に発見される孤独死が身近かどうかたずねると、「とても感じる」が14・5%、「まあ感じる」が30・1%で、合わせて4割を超えた。こうした人を日常の会話の状況で分析すると、会話を「毎日」する人は38・2%の一方、「1カ月に1、2回」の人では63・4%。会話が少ないと、孤独死を身近に感じる人が多くなる傾向がある。

 また、「終末期医療」「葬儀」「お墓」への準備と方法について「考えていない」と答えた人は、「全く」と「あまり」を合わせ、それぞれ41・8%、35・6%、36・6%だった。

 一方、内閣府が昨年12月に60歳以上を対象に実施した別の調査(有効回答3893人=64・9%)では、将来の日常生活への不安に「自分や配偶者の健康や病気」を挙げた人が67・6%に上った。不安内容をたずねたところ、「体力の衰え」(62・2%)に続いて「認知症」が55・0%で多く、「がん」の45・5%を上回った。(蔭西晴子)


スミソニアン騒動から20年 原爆展、米国で開幕

広島、長崎両市などによる「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」が13日(日本時間14日)、米ワシントンのアメリカン大学で始まった。米国での被爆展示が退役軍人らの反発で中止に追い込まれた「スミソニアン論争」から20年ぶりの展示だ。両市が再び核大国の首都で核兵器の非人道性を訴える。

 大学内の美術館には、原爆の熱線を浴びて溶けた十字架や傷ついた学生服、被爆者の体内に刺さっていたガラス片などの被爆資料25点とパネル33枚などが並んだ。丸木位里(いり)、俊(とし)夫妻が原爆が投下された際の惨状を描いた連作絵画「原爆の図」も展示された。

 展示は、広島、長崎両市が被爆70年を機に改めて米国民に被爆の実相を伝えようと企画したところ、同大学のピーター・カズニック教授から協力の申し出があり、実現した。開幕式には大学や広島市の関係者らが出席。カズニック教授は「世界で唯一、核兵器を使った米国には核廃絶への責任がある」と話した。
by nsmrsts024 | 2015-06-15 05:03 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


by nsmrsts024