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2015年6月25日(木)・・・東日本大震災から4年3ヶ月と14日

3.11 東日本大震災と福島第一原発爆発事故から4年と3ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能災難から直後の1年間を顧みる)


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        3.11 東日本大震災      福島第一原発爆発事故 18


2011年4月2日(土)・・・〈伝えたい―阪神から〉被災者の話聞いて
■坊野佳代子さん(60) 兵庫県警警務部参事官

 阪神大震災の翌月の1995年2月、兵庫県警は女性警察官150人で「のじぎくパトロール隊」を立ち上げた。のじぎくは兵庫の県花だ。

 女性のソフトさや人あたりの良さをいかして、避難所を巡回し、困っていることなどを被災者から聞き取るのが主な任務。当時、生田署の地域1課長だった私は隊長を任された。4、5人で1組となり、1日2、3カ所回った。活動を通じて実感したのは、話を聞くことの癒やしの効果だ。

 ある避難所でのこと。中年女性が「夫の免許証の期限が切れそうで心配」と声をかけてきた。「特例措置があるから大丈夫ですよ」と答えると、女性は「ああ安心した」と私の手を握り、ぽろぽろと涙を流した。

 普段と全く環境の異なる避難所生活では、ささいなことも大きな不安としてのしかかる。すぐに改善できないものでも、話をじっくり聞くだけで被災者の気持ちは和らぐはずだ。

 家族を失った人の相談を聞くと、こちらも思わず涙がこみあげてくる。「警察官は冷静でなくては」という気持ちもあるが、私は、素直に一緒に泣いたらいいと思う。自身、肩を抱き合って何度も泣きじゃくった。「一緒に頑張ろうね」くらいしか言えない。それでも相手は徐々に気持ちが落ち着き、最後は「聞いてくれてありがとう」と笑顔になる。そのほほえみに私たちも勇気をもらった。

 阪神大震災の時、もうこれ以上の災害は起きないと言われた。でも、悲劇はまた襲ってきた。生活基盤を突然失った人々にとって警察官や消防隊員に対する期待は大きいはず。「人の役に立ちたい」と思って私たちは警察官になったのだから、その思いに応えないといけない。救出活動はもちろん、多くの被災者と会って寄り添い、話をきいてあげてほしいと思う。

 報道を見ると、被災地ではガソリンや金庫を盗む悲しい事件も起きている。停電などで建物のセキュリティーが機能しなくなっているのも一因だろう。自治会やボランティアと協力しあい、防犯パトロールにも一層力を入れなければならない。

 阪神大震災当時、隊の中には宮城県警から派遣された女性警察官もいて、私たちを助けてくれた。今度はこちらが恩返しをする番だ。向こうで受け入れの態勢が整ったら、ぜひ兵庫県警も赴いて被災者の声に耳を傾けたいと思う。(聞き手・小野大輔)





[世界と日本・今日この頃]

〈憲法と民主主義〉独学で見えてきたこと 高橋源一郎

辞書を引きながらであれば、少し、ドイツ語を読むことができる。ずっと辞書を引きっぱなしでよければ、ロシア語もなんとかわかる。どちらも独学だ。

 18歳の時、拘置所に7カ月と少し入った。その頃、社会や政治について話す自分のことばの薄っぺらさが心底イヤになっていた。すべてが受け売りに思えた。だから、なにもかも一から勉強しようとした。翻訳ですら信用できず、読むなら原典にあたるしかない、と思い詰めていた。あらゆる本を読んだが、正しく学問の方法を学んだことがないので、わからないままのことも多い。独学の弊害だろう。だが、独房がわたしの大学だった。

 今月初め、国会に参考人として招致された学者たちが「安保法制」を「違憲」であると発言し大きな話題になった。「安保法制」の問題点について語る小林節さんや長谷部恭男さん〈1〉のことばは、わかりやすく、しかも、そこで大切なことがいわれていることもわかった。けれども、それを受けとめる側の自分に、ほんとうに必要な知識がないような気がした。まず、勉強しなくちゃ。

 内閣法制局長官だった阪田雅裕さんの『政府の憲法解釈』〈2〉〈副読本は『みんなで読む国連憲章』〈3〉〉を読み、多くの疑問が解けた。「憲法」の「解釈」は勝手に変えてはいけないものだ、ということ、「集団的自衛権」というものは、国連憲章で初めて生まれた新しい概念で、わかりにくく、実際には、旧ソ連やアメリカの軍事介入の口実に使われていて、問題が多いこと。

 「安保法制」が「違憲」ではないことの例として「安保条約下」の「米軍駐留」を事実上「合憲」とした「砂川判決」というものが挙げられていたので、ネット上で判決文〈4〉を探しだし、その全文も読んだ。判決文よりも、その補足として書かれた田中耕太郎最高裁長官の意見が、異様なほど「合憲」推しで、そのアツさにびっくり。参考のために『砂川事件と田中最高裁長官』〈5〉を読み、田中さんが駐日アメリカ公使と入念な打ち合わせをしていたことにもびっくりした。日本の「司法」はアメリカの意向を大切にしていたのだ。だが、いちばんびっくりしたのは、「法」というものが、この「司法判断」のように、ときに大きく社会を動かしてしまう力を持っている、という事実だった。

 法律の専門誌が示し合わせたように、ほぼ同時に「憲法」や「戦後70年」や「集団的自衛権」に関する特集を出した。「論究ジュリスト」の巻頭鼎談(ていだん)で、樋口陽一さんは、フランス人研究者の論文をとりあげ「彼によると憲法そのもの、そしてそれを取り扱う憲法学が、戦後日本の権力に対する抑止要素として……役割を演じてきた」とした〈6〉。

 また、「法学教室」の巻頭論文で、佐藤幸治さんは、現在の日本国憲法を「立憲主義の到達点」とした上で、ドイツ憲法(基本法)草案にある、こんなことばを引いている〈7〉。

 「国家は人間のために存在し、人間が国家のためにあるのではない」

 「(憲)法」は、国家のあり方を規定する。「(憲)法」や、その解釈が変えられるということは、国家のあり方そのものが変えられることに他ならない。特集から伝わってくる学者たちの切迫した思いは、その事実からやって来る。

 いま「民主主義」そのものの意味が問われる時代になって、その始原にまで溯(さかのぼ)って考えたいと思い、橋場弦さんの『丘のうえの民主政』を読んだ〈8〉。ここに描かれた、歴史上初めて「民主主義」を生んだ古代アテナイの人びとの壮大な実験が胸をうつ。平和の時代ではなく、絶え間なく続く戦争の最中にあって、アテナイの人びとは、熟議と公平を追求した。

 なぜ、2500年も前の古代ギリシャの政治体制を探究する必要があるのか。すべての市民が「政治」への参加を要請された共同体とは何だったのか。橋場さんは、その問いにこう答えている。

 「ペリクレスが理想とした民主政とはたんなる国家制度ではなく、一つの生活様式(way of life)であった。そこではどの市民も民主政への参加を期待される……われわれが現代に生きる限り、何かの専門領域にしばられるのは避けられない宿命である。広い意味での官僚制なしに近代文明が一刻も維持できないのは、だれもが承知していることだ。にもかかわらず、民主政と官僚制とは根本のところで相容(あいい)れない。自分の専門領域だけに閉じこもる無機的な人間だけが社会を構成するようになったとき、民主政は生きることをやめるだろう」

 政治家たちの中に「学者」を毛嫌いする気分があるのは、自身の「専門領域」を侵されることへの本能的な反発があるからだ。だが、人々が、それぞれの「専門領域」へ閉じこもることへの危惧から、民主政は始まったのである。

 スペイン語を始めた。もちろん独習。パブロ・イグレシアスというスペインの若い政治家の記事〈9〉を読んでからだ。彼はオキュパイ(占拠)運動の先がけ「M15運動」から生まれた市民政党「ポデモス」の党首。ポデモスは欧州議会選挙で国内第4党に躍進し、総選挙の結果次第では首相の可能性も取り沙汰されている。そんな彼の躍動する演説は、音楽とミックスされ、ラップとして広がっている(!)。いま生まれつつある、社会を作る新しいことば。それをどうしても読みたかったのだ。

     ◇

〈1〉小林節、長谷部恭男ら憲法学者3氏が衆院憲法審査会で、安全保障関連法案を「違憲」とする見解表明(今月4日)

〈2〉阪田雅裕『政府の憲法解釈』(2013年刊)

〈3〉『みんなで読む国連憲章』(1991年刊)

〈4〉砂川判決の裁判要旨と全文など(http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816別ウインドウで開きます)

〈5〉布川玲子・新原昭治『砂川事件と田中最高裁長官』(2013年刊)

〈6〉樋口陽一らの鼎談「いま考える『憲法』」(論究ジュリスト・春号)

〈7〉佐藤幸治「1945年8月15日と日本国憲法」(法学教室5月号)

〈8〉橋場弦『丘のうえの民主政』(97年刊)

〈9〉パブロ・イグレシアス「『我々にはできる!』」(世界7月号)
by nsmrsts024 | 2015-06-25 04:45 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


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