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2015年9月1日(火)・・東日本大震災から4年5ヶ月と21日

3.11 東日本大震災と福島第一原発爆発事故から4年と5ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能災難から直後の1年間を顧みる)

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 3.11 東日本大震災      福島第一原発爆発 87

2011年4月4日(月)・・・放射線許容量 厚労省、食品の暫定基準維持を4日決定
食品に含まれる放射性物質の許容量を定めた食品衛生法の暫定基準について、厚生労働省は4日、薬事・食品衛生審議会を開き、当面変更しないことを決める。

 暫定基準値は、1キロ当たりで放射性ヨウ素が水や牛乳・乳製品300ベクレル(乳児は100ベクレル)、野菜類(根菜、イモ類は除く)2千ベクレル、放射性セシウムが野菜類や肉など500ベクレルで、そのまま維持される。

 食品衛生法には放射性物質について基準がなかった。原発事故後に、厚労省が、原子力安全委員会の指標を根拠に各食品ごとの暫定基準を設定した。この日の審議会で、内閣府の食品安全委員会から暫定基準の算出根拠となる数値を「安全」と評価されたことを報告。委員らが、暫定基準の是非について協議した。

 正式な基準は、放射性物質の発がん性や胎児への影響などについて食品安全委員会の評価が出た時点で、厚労省がまとめる方針。

 暫定基準をめぐっては、野菜などの出荷停止を指示された福島県や茨城県などから「厳しすぎる」と見直しを求められていた。(北林晃治)



[世界と日本・今日この頃]

錦織圭、初戦で敗退 テニス全米オープン
テニスの4大大会の今季最終戦、全米オープンがニューヨークで31日(日本時間9月1日)、開幕した。男子シングルス1回戦で、第4シードで昨年準優勝の錦織圭は世界ランキング41位のベノワ・ペール(仏)と対戦。フルセットの熱戦となったが、4―6、6―3、6―4、6―7、4―6で敗れた。


橋下氏、国会前デモ「ほぼ数字にならない」 影響警戒か
安全保障関連法案に反対する市民らが東京の国会議事堂前で行ったデモについて、橋下徹大阪市長(大阪維新の会代表)は31日、自身のツイッターで「日本の有権者数は1億人。国会前のデモはそのうちの何パーセントなんだ? ほぼ数字にならないくらいだろう」とつぶやいた。デモにより、法案の審議に影響が出ることへの警戒感を示したものとみられる。

 さらに橋下氏は「こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」と言及した。30日のデモの参加者は主催者発表で12万人。警察関係者によると、国会周辺だけで約3万3千人が集まった。

 橋下氏は「デモは否定しない。国民の政治活動として尊重されるのは当然」としつつも、「デモで国家の意思が決定されるのは絶対にダメだ。たったあれだけの人数で国家の意思が決まるなんて民主主義の否定だ」とも書き込んだ。



93歳、水木しげるさんに教わる「妖怪の育て方」とは

漫画家、妖怪研究家の水木しげるさん(93)が7月、地元・鳥取のテレビ局の企画で、子どものころ妖怪に目覚めた原風景と、妖怪の先生「のんのんばあ」の面影をたどる旅をした。ふるさとで再確認したこともあれば、新たな気づきもあったという。

 「この間、出雲に行ってね。今は体も頭も調子がいい」。8月下旬、水木さんは笑顔でインタビューに応じた。昨年末に体調を崩し、2カ月ほど入院。その後も体調管理を優先して仕事や取材を制限してきた。一方で、自身が妖怪に目覚めた原風景を改めてたどりたいと、島根半島の地図を眺めては意欲を燃やしてきた。今回の番組収録の旅は悲願だった。

 水木さんが育ったのは現在の鳥取県境港市。家の前は境水道で、向こうに島根半島が見えた。小学校入学前、水木家で子守をしていた「のんのんばあ」こと景山フサさんに連れられて島根半島を歩き、妖怪について教わった。夕方、人の気配もない場所で、鐘の音が聞こえた。あれは荒れた寺に来る妖怪「野寺坊」の仕業だ。道端の廃屋はのぞいちゃいかん。古ぞうきんのお化け「白うねり」が首に絡みつくから……。「あの時は最高だったなあ」

 今回の旅では、死んだ子どもの霊が集まるという伝説のある洞窟「加賀の潜戸」や、フサさんが自分の「故郷」と話していた小さな漁村、諸喰を訪ねた。

 「洞窟にも諸喰にも『昔』の匂いがする。ああいう昔を、これからも大事にしなければいかんのです!」と語気を強くした。

 子ども時代の水木さんは妖怪の漫画で「メシが食える」とは考えもしなかった。戦争で徴兵され、爆撃で片腕を失った。得意の絵で身を立てようとしたが芽が出ず、極貧生活に。40代半ばでやっと「ゲゲゲの鬼太郎」が大ヒットした。「子どもの時に遊んだふるさとの精霊たちが、私を鬼太郎に会わせてくれたんだ」

 最近は、島根半島から「昔」が消えないように、「鬼太郎たちが食い止めている」と想像を巡らす。「妖怪たちは『昔』のある場所を好むものだから」

 漫画家の枠を超え、妖怪研究家として国内外で精力的な調査を重ねてきた。

 幼年期に“英才教育”を施したフサさんは、どんな人物だったのか。

 「白髪のおばあさん。悲しいほど貧乏でしたよ。だけど私ら子どもにとっては面白い、魅力的な大人でした」。お金も食べ物もろくにない。だからこそ、「代わりに妖怪の知識を披露したんだと思います」。

 水木さんは学校の試験が大の苦手だった。「算数の試験はいつも0点。でも、もし妖怪の試験があったら間違いなく100点」。フサさんの“授業”は心のよりどころになっていた。

 だが、水木さんが小学生のとき、フサさんは肺結核で亡くなった。「あっ、と気づいた。先生がいない、これからお化けのこと、どうしようと」。ただ「貧しかったおばあさんが残した話」は忘れまいと思った。

 妖怪とは何か。水木さんはいう。「彼らは自らを語りたい時、語らせる人間を選んで、その口を使って語る。お化けは人間を通じてしか存在しないのです」
by nsmrsts024 | 2015-09-01 04:43 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


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