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2016年1月5日(火)・東日本大震災から4年9ヶ月と25日

3.11 東日本大震災と福島第一原発爆発事故から4年と9ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能災難から直後の1年間を顧みる)
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   3.11 東日本大震災      津波 142


2011年5月6日(水)・被災地の野菜、応援セールで支援 スーパーや百貨店
東日本大震災の被災地を支援しようと、スーパーや百貨店が東北や北関東の野菜の特売セールを始めている。一部の野菜で放射性物質が検出されて以来、風評被害で販売が落ち込む産地もあり、消費者に安全性を訴える狙いもある。
 関東で98店を展開するスーパーのサミットは6日、茨城県産の野菜を販売する「応援セール」を始めた。
 東京都北区の王子店では10日まで、レタスや水菜など8品目を販売する。茨城県産の野菜は市場価格が値崩れしており、売価は前年より2割程度安い。
 3品目を買った女性(68)は「茨城を応援するつもりで買った」と話した。
 大手スーパーのイトーヨーカ堂も「東北応援セール」を実施している。宮城県産の牛肉に手を伸ばす客も多く、担当者は「店頭の物は安心という情報が行き渡っている」と話す。首都圏に展開する東急ストアも、96店で特売をする。
 百貨店にも応援フェアは広がっている。横浜高島屋では6日から当面の間、野菜売り場で、福島産や群馬産など5県の野菜計約30品目を販売する。広報担当者は「継続して販売することで農家を支援したい」。大丸松坂屋百貨店も東京と上野、横浜の各店で、北関東産のチンゲンサイなど約15品目を、順次販売する。



[2015年、世界と日本・今日この頃]

おひとりさま、突然がん告知 そのとき仕事は
「検査の結果、右胸のしこりは悪性でした。手術が必要ですね」
 東京都杉並区に住む会社員の女性(49)は2011年12月、JR東京総合病院(東京都渋谷区)で医師から乳がんを告知された。
 東京都内の自動車販売会社で派遣社員として働き始めたばかり。真っ先に頭に浮かんだのは、「仕事を続けられるだろうか?」という不安だった。
 両親はすでに他界し、石川県にいる妹(47)と弟(43)は、それぞれ家庭をもっている。女性はずっと独身の「おひとりさま」として暮らしてきた。
 ログイン前の続き会社に病状を伝え、仕事は継続できることになった。しかし、その数日後、職場のトイレで吐き気やめまいなどで歩くこともままならない状態になり、救急車で病院に運ばれた。
 幸い翌日には体調が戻り、出社すると、自分の机の上に見慣れない紙袋があった。中身は、私物のマグカップや筆記具などだった。
 「わたし、クビなんですか?」
 不安は的中した。
 「がん患者は体力がもたないから仕事は無理だろう。すでに後任を選考している」。職場の上司から、そう告げられた。派遣社員の仕事は、やめざるを得なかった。
 「好き好んで病気になったわけではないのに……」。悔しい気持ちと同時に「がん患者は世間からそうみられるのか」と思った。
 乳がんの進行度は「ステージ1」だったが、MRIなどの検査をしたところ、右の乳房に病変が広がっていた。同病院乳腺外科の尾身葉子(おみようこ)医師(41)から「(右の)乳房の4分の1を切除する必要があります」と治療方針を伝えられた。
 翌年1月、手術を受けるために入院。石川県から妹が駆けつけてくれた。手術は無事に終わり、他の部位への転移もなかった。
 同じ時期に入院した他の患者には、家族がずっと付き添っていた。一方、手術後すぐに妹は石川県に帰り、約10日間の入院中に見舞いに来てくれたのは友人ら2人だけ。寂しさは感じなかったが、仕事を失い、焦燥感が募った。
 「退院後に、仕事はすぐに見つかるだろうか」。そのことばかり考えていた。
     ◇
 「患者を生きる」で、おひとりさまのがん闘病を5回にわたって連載します。(田内康介)
by nsmrsts024 | 2016-01-05 06:41 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


by nsmrsts024