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2017年8月14 日(月 ):元米兵:93歳来日、サイパンで拾った日章旗を遺族へ

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太平洋戦争の激戦地サイパン島から日章旗を持ち帰った元米兵が遺族に返還するため来日し、東京都内で13日、記者会見した。返したいと73年間思い続けてきたが、今年になり遺品の返還活動に取り組む米国の非営利組織「OBONソサエティ」に相談し、持ち主の日本兵が分かった。終戦記念日の15日に、岐阜県在住の遺族を訪ね、直接手渡す予定だ。


遺族に返還する日章旗を示す元米兵のマービン・ストロンボさん=東京都千代田区で2017年8月13日、熊谷豪撮影© 毎日新聞 遺族に返還する日章旗を示す元米兵のマービン・ストロンボさん=東京都千代田区で…
 元米兵はモンタナ州のマービン・ストロンボさん(93)。1944年7月に陥落したサイパン島に上陸し、戦死した日本兵が持っていた日章旗を拾った。遺体から遺品を持ち去ることに罪悪感もあったが「大事なものなので私が持ち帰らないと失われてしまう」と思い、「遺族に戻す」と誓ったという。

 戦後、返す方法が分からないまま、自宅のガラスケースで保管していた。今年3月、OBONの存在を知って相談したところ、無事を祈る家族や友人らの寄せ書きから、持ち主は岐阜県東白川村出身の安江定男さんであることが判明した。

 マービンさんは「この目で見た日本兵の様子を伝えたい」と、遺族に手渡すことを望んだ。OBONはこれまで100枚以上の返還を仲介したが、元米兵が遺族に直接返すのは初めてという。

 定男さんの弟で、東白川村に住む辰也さん(89)は「兄は亡くなった場所も日付もはっきりと分からなかったので、当時のことを聞きたい。遺品もなく、兄のものが手元に戻るのはうれしい」と話している。【熊谷豪】




終戦直前:空襲10カ所 米機1000機、犠牲2300人
 終戦前日の1945年8月14日から翌日にかけ、全国10カ所以上で空襲があった。米軍の空襲は執拗(しつよう)で、2300人以上が犠牲になったとみられる。


14、15日の主な空襲© 毎日新聞 14、15日の主な空襲
 米軍資料から空襲の実態を調べる市民団体「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」によると、14日は米軍機約1000機が出撃した。日本は45年8月10日、降伏を求めるポツダム宣言を条件付きで受諾する方針を連合国側に伝え、米軍は空襲を一部停止した。しかし、受諾条件を巡って日本政府が揺れていると判断した米軍は14日の空襲を実行した。

 米軍の作戦任務報告書では、14日は光海軍工廠(こうしょう)(山口)など6地点が主な空襲目標とされた。京都・舞鶴の港湾などに機雷を敷設し、広島や長崎に原爆を投下した部隊は長崎原爆と同形で通常爆薬の模擬原爆を愛知に落とした。神奈川・小田原では、15日未明の空襲で12人が死亡。米軍機が帰還途中に爆弾を投下したとみられる。

山口県光市で難逃れた阪大名誉教授・中田篤男さん「科学の使い方誤るな」

 大阪大名誉教授の中田篤男さん(87)=大阪府豊中市=は終戦前日、学徒動員された山口県光市の軍需工場が米軍の空襲に遭い、大勢の仲間を失った。紙一重のところで難を逃れた中田さんは戦後、分子生物学者となり、狙った遺伝子を改変する「ゲノム編集」の基礎となる発見をした。自身の戦争体験を思い返すとき、科学界への戒めの言葉も浮かぶ。「核兵器の開発に科学技術が利用されたように、使い方次第では恐ろしいことが起きる」

 中田さんは山口県の旧制柳井中(現・県立柳井高)3年生だった1944年夏、「光海軍工廠(こうしょう)」に動員された。

 配属先は高射砲弾の製造工程。毎日12時間、重さ30キロはあろうかという鉄塊を炉にくべて熱し、汗だくになって火薬を詰める穴を開けた。ある日、作業中に転倒し左手が鉄塊の下敷きになった。薬指は今もうまく曲がらない。

 45年8月14日。普段通りに早朝に出勤したが、仲間が見当たらない。前日、リーダー格の先輩が現場監督に暴力を振るわれ、職場放棄をしていた。中田さんも同調して近くの寮に帰った。そんな時、米軍機が襲ってきた。B29爆撃機が次々と飛来して爆弾を投下し、工場は瞬く間に炎に包まれた。

 寮の職員の指示で付近の山へ逃げ込んだ。翌15日、終戦の日。廃虚と化した工場には首が真後ろを向いて絶命した女性や、頭部が半分吹き飛んだ同級生の遺体が残されていた。

 光市教委の資料によると、工場では学徒動員の生徒136人を含む738人が命を落とした。普段通り仕事をしていたら、自分も死んでいたかもしれない。戦争が終わったことを知ったとき「敗戦は確定的だった。なぜ攻撃したのか」と、悔しさがこみ上げた。

 戦後は現在の広島大で学び、分子生物学の道に進んだ。校舎の壁には原爆の被爆者の血痕が残っていた。学生のころに知り合った妻和子さん(85)も被爆者。核兵器への強い抵抗感が生まれた。

 約30年前、大腸菌の遺伝子の中にある奇妙な塩基配列の繰り返しを発見した。これが、「ゲノム編集」の技術に発展し、遺伝子治療や農作物の生産性向上などにつながる研究分野として、世界中から注目されている。中田さんは願う。「ゲノム編集は使い方を誤らないでほしい。人を救う使い方をしてほしいんです」【大久保昂】




細野氏との新党「現時点では50%」…若狭勝氏
小池百合子東京都知事に近い無所属の若狭勝衆院議員は13日、フジテレビの番組で、民進党を離党した細野豪志・元環境相とともに新党を結成する可能性について、「現時点では50%」と述べた。

若狭氏は「政策の一致が大事だ。何度も協議しなければならない」と強調した。両氏は11日夜、都内で会談し、協議の継続で一致した。

政治団体「日本ファーストの会」を設立した若狭氏は、小池氏が事実上率いる地域政党「都民ファーストの会」と連携した新党の年内結成を目指している。若狭氏は番組後、細野氏との会食を小池氏に報告し、小池氏は「分かりました」と応じたと、記者団に明らかにした。





「11番のセカンドが痛かった」松山英樹の一問一答
◇海外メジャー◇全米プロゴルフ選手権 最終日(13日)◇クエイルホロークラブ(ノースカロライナ州)◇7600yd(パー71)

松山英樹が日本人史上初のメジャー優勝を惜しくも逃した。1打差の2位タイからスタートし、後半10番を終えて単独首位に立ったが、ジャスティン・トーマスに逆転負けを喫した。ホールアウト後は涙を流したが、報道陣の質問に丁寧に答えた。

◇一時は首位に立ったが?

「11番のティショットで良いショットが打てたので、(調子が)戻ってくるかな、良いプレーができるかなと思っていたが、セカンドショットが自分の中で痛かった。難しくない状況から(グリーン右ラフに)ミスをしてしまったのが、きつかった。ミスをした原因は『トップに立ったからどう』というのは関係ない感じでした」

◇11番の第2打のミスから3連続ボギー

「アプローチ、パットでしのげなかったのが痛かった。流れが悪くなる原因を作ってしまった。(ショットへの違和感は?)それは関係ある。そこまではごまかして、きのうよりはいいショット、ピンにも行っていました。12番も良いショットだったのが木に当たってピンチになった。そこからはもう、どうしようもないなという感じでした」

◇トーマスに3打差をつけられてから、15番を終えて再び1打差にした

「14、15番でバーディを獲れましたけど、(状態を)まったく立て直せなかったですね。差はひらきましたけど、最後の3ホールが難しいですけど、ピンポジション的にはバーディが獲れるような気がしていた。うまくいけばな、という感じでした。残り3ホール、16番のティショットミスと、(パー)パットのミス、入らなかったのが結構効きました」

◇グリーンの状態が3日目までと違った?

「そんなに速くはなっていなかったですけど、きょうは先週、今週の2日目まで続いたパッティングではなかったです」

◇メジャーでの優勝争いの喜びは

「このギリギリのところでやれるのは楽しいですし。そこで勝てればなおさら楽しいと思うんですけど、これを次に生かしていけるように、何をしたらいいのか(今は)分からないですけど、一生懸命、練習したいと思います」

◇これまでのメジャー大会でタイトルに一番近づいた実感は

「最後の3ホールまで近いところにいられたので、そういう意味では近かったと思う」





[2011.3.11 東日本大震災と福島第一原発爆発事故から6年と5ヶ月]
[1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人が起こした核災害、直後に海水で
炉を冷却しておけば爆発は防げた]

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    3.11東日本大震災    津波 410
by nsmrsts024 | 2017-08-14 06:26 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


by nsmrsts024