2017年 09月 01日 ( 1 )

2017年9月1日(金 ):サッカーW杯予選:日本、6度目の本大会出場決定

サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会アジア最終予選は31日、埼玉スタジアムで日本代表対オーストラリア代表戦を行い、日本は2ー0でオーストラリアを降し、6大会連続6度目の本大会出場を決めた。

 日本は前半からシュート数で相手を上回り、試合を優勢に進めた。前半41分には、浅野のゴールで先制。後半37分にも、井手口の豪快なシュートが決まり、値千金の追加点を挙げた。




【民進党代表選】前原誠司元外相を選出へ 枝野幸男元官房長官は地方票でも苦戦 1日投開票
民進党は1日、東京都内で開く臨時党大会で党代表選の投開票を行う。前原誠司元外相(55)が優位に立っており、枝野幸男元官房長官(53)を引き離し、新代表に選出される見通しだ。低迷する党勢を回復するための挙党態勢の構築や、蓮舫代表が進めた共産党との共闘路線の見直しなどが今後の課題となる。

 前原、枝野両氏は31日、態度未定の国会議員らに電話で支持を訴え、票の上積みを図った。夜にはそれぞれ支援者を集めた決起集会を国会周辺で開いた。

 代表選は国会議員(142人)と国政選挙の公認内定者(127人)、地方議員、党員・サポーターの投票をポイント制で争う。

 党関係者らへの取材によると、前原氏が国会議員の7割にあたる約100人の支持を取りつけ、約35人の枝野氏を圧倒している。公認内定者の半数強も前原氏に傾いているもようだ。

 総ポイントの約半数を占める地方議員と党員・サポーターに関しては、国会議員票ほどの大差は開いていないとみられる。ただ、前原氏の優勢は揺らいでおらず、枝野陣営は労働組合の組織内議員らを通じて追い上げを図っている。





金正恩に2年の軍隊経験説、成功体験重ねる33歳指導者の不気味
8月29日に、“日本列島越え”の弾道ミサイルを発射した金正恩だが、最高指導者の地位を継承した経緯には謎が多い。そうした金正恩が、朝鮮人民軍に身分を秘匿して入隊し、一兵卒として軍隊生活を送ったと指摘する専門家がいる。朝鮮総連出身で、今はフリーライターとして活躍する李策氏が取材した。

2005年の初めから2年間身分を隠して朝鮮人民軍に入隊か

 故金正日総書記の三男である金正恩朝鮮労働党委員長が、どのような過程を経て父親から最高指導者の地位を継承したかについては謎が多い。

 彼が父親の後継者に決まったのは2009年頃のこと。金正恩の誕生日は1984年1月8日とされているから、25歳の時ということになる。

 金正恩は、スイスに留学して小中学校に通い、2000年に帰国して以降、金日成総合大学と金日成軍事総合大学で教育を受けたとされている。ただ、国家の指導者となるべく特別な経験を積み、実績を築くには十分な時間がなかったことは確かだ。

 だが、金正恩の経歴の“空白部分”について、興味深い指摘がある。

 韓国のNGO「北韓戦略情報センター」(NKSIS)の代表で、自身も脱北者である李潤傑(イ・ユンゴル)氏によれば、金正恩は2005年の初めから約2年間、朝鮮人民軍に身分を秘匿して入隊し、一兵卒として軍隊生活を送ったというのである。

 李氏によると、スイス留学から帰国して以降、勉強が手につかなかった金正恩の将来を案じた母・コ・ヨンヒが、いずれ父親の権力を継いだ時の助けになればと「武者修行」に送り込むことを決断。コ・ヨンヒは2004年8月に病死するが、その遺志を受け継いだ党と軍の幹部らが、金正恩の極秘入隊を決行したというのだ。

 最高権力者の息子として何不自由なく育ち、海外留学まで経験した「世間知らず」な金正恩は、軍隊生活になかなか馴染めず、他の兵士と同様に上官からの「シゴキ」や「イジメ」を経験した。それでも何とか順応し、2006年末に除隊したという。

 筆者の知る限り、このようなエピソードを紹介しているのは李氏だけだが、事実なら、金正恩の思考や行動を理解する上で欠くべからざる情報と言えよう。

 いずれにせよ、何の実績もなく最高指導者となった金正恩だったが、今となってはもう、そのように言うことはできない。

 朝鮮人民軍が弾道ミサイルなどの新兵器を試射するたびに、金正恩は現場で指揮を取り、成功へと導いている。それも、米韓が金正恩に対する「斬首作戦」を進める状況下で、米軍の偵察衛星に自分の身をさらしながらだ。

 つまり、一連のミサイル発射は、それ自体が米軍を向こうに回しての軍事作戦なのであり、少なくとも短期的な意味では、金正恩は「勝利」を重ねてしまっているのである。

 こうした状況について、現役の自衛官に意見を求めたところ、「朝鮮人民軍の中で、金正恩の権威は高まらざるを得ないでしょう」との返答だった。

 今の世の中、まだ33歳の若者がこのような経験を重ねて国家指導者として成長していくというケースは、他に類を見ないものと言える。

ミサイルが列島越えしても慣れて穏やかな日本

 片や、北朝鮮と向き合うわれわれ日本の側はどうか。

 金正恩が8月29日に強行した弾道ミサイルの「日本列島越え」の暴挙は、金正日も1998年にやったことだ。あの時に巻き起こった日本世論の猛反発ぶりと比べると、今回はずいぶんと穏やかであり、金正恩によってすっかり「慣らされてしまった」と言わざるを得ない。

 安倍晋三首相は「これまでにない深刻かつ重大な脅威だ」と言って非難したが、「ではどうするのか」といった問いには答えを持ち合わせていないのである。

 これが何を意味するかと言えば、経済制裁で国と国民が傷つくのを顧みず、決然と行動する金正恩に対し、「核武装の完成」という当面の目的を達するために必要とする“領域”を、徐々に譲り渡す形になってしまっているわけだ。

 このような「成功体験」を重ねている金正恩は、果たしてどこに向かって突き進んでいくのか。

 彼は今、決然と行動することこそが勝利のカギであると確信しているのではないか。筆者は、金正恩がこのままより大きく成長してしまうことに、非常に不穏なものを感じる。

 将来の災いの芽を摘むためにも、日米韓はなるべく早い段階で、金正恩の意思と行動をくじいておかねばならない。弾道ミサイルがロフテッド軌道を取らず、通常の軌道でこちらへ飛んでくるのなら、むしろ迎撃し易くなったはずだ。

 日米韓は、北朝鮮が遠からず発射するであろう弾道ミサイルの迎撃に全力を挙げ、「物事は必ずしも自分の思い通りにならない」ということを、金正恩に思い知らせるべきだ。

(フリーライター 李策)




ハリル魔術ズバリ!Wエース外し新生ジャパンで“突破率0%”から歓喜W杯決定
 サッカー・ロシアW杯アジア最終予選B組(31日、日本2-0豪州、埼玉)ハリル・ジャパンが奇跡を起こした!! 国際連盟(FIFA)ランキング44位の日本が同45位の豪州を2-0で下し、6大会連続6度目の本大会出場を決めた。バヒド・ハリルホジッチ監督(65)は、勝ったチームがW杯切符を得る大一番でFW浅野拓磨(22)=シュツットガルト、MF井手口陽介(21)=G大阪=ら若手を大胆起用。本大会出場の可能性0%から見事に巻き返し、W杯予選で過去勝利がなかった宿敵を完封した。

 あふれる涙。65歳の指揮官が必死で目頭を押さえた。苦しんでつかんだW杯切符。ハリルホジッチ監督がベンチ前で歓喜の雄たけびをあげる。W杯予選で7戦勝利なし(5分け2敗)だった難敵豪州を倒し、ロシアへの扉をこじ開けた。

 「メルシー、ボークー。ありがとうございました。これは日本国民のための勝利。素晴らしいサポーターを誇りに思う。スタッフと関係者にも感謝したい」

 気温22・0度、湿度63%。秋風を感じる夜に熱いタクトを振った。前線にFW浅野、FW乾。中盤にボール奪取力が高いMF山口、MF井手口を配置。昨年10月のアウェー豪州戦から先発8人、今年6月のイラク戦からも先発4人を入れ替え、FW本田&MF香川のダブルエースを外す大胆な選手起用を図った。

 前半から猛烈な押し上げで豪州に圧をかけ続けた。同41分に浅野の左足ボレーで先制。後半37分にはMF井手口が貴重な追加点をもぎ取った。2人とも20代前半。勝ったチームがW杯切符を決める大一番でみせた覚悟の采配だった。

 最終予選は、アラブ首長国連邦(UAE)にホームで敗れる波乱の幕開け。1998年W杯フランス大会のアジア予選以降、初戦黒星のチームが出場権を獲得した例はなく、日本協会は「次の試合に負ければ監督解任」の方針だった。

 常に解任危機と隣り合わせの戦い。ベテランとてコンディション次第で容赦はしなかった。視察をもとに、調子が上向きな順に青→緑→黄→橙→赤と約55人の代表候補を色分けにし、生きのいい選手を一目瞭然にした。最終予選でただ一人、全試合に先発したDF吉田は「誰もが安泰ではない。競争が激しいチーム」と振り返った。

 現役を引退していた1990年代、故郷ボスニア・ヘルツェゴビナで民族紛争が勃発。妻子を国外に逃し、2年が過ぎたころ、フランス2部のクラブから初めて監督就任の話が届く。当時41歳。「助かった。フランスに向かった次の日、(クロアチア兵が)私を殺しにきたそうだ」。経営していたカフェと住居は焼き払われた。

 ハビエル・アギーレ前監督が八百長疑惑で退いた後に「ロマンより目の前の相手に勝つリアリストが必要」との選考基準から日本に招かれた。勝負に徹し、この日も抗議を制しようとする通訳と一触即発の事態を引き起こすなど、感情を表に出し、激しい言葉で選手とも何度もぶつかった。

 「今夜の選手を誇りに思う。若手を信頼することが正しいことも示せた。選手が英雄のような姿をみせてくれた」

 15年前、フランス・リールの自宅の庭に夫人が桜を植えた。2015年3月。桜が満開の季節に日本のオファーを受け「運命を感じた」。就任から2年半。種をまき、育てた若い芽が見事にいぶいた。 (浅井武)

キリン株式会社代表取締役社長・磯崎功典「総力戦で勝ち取った予選突破だと思います。これからもファンやサポーターとともに、サッカー日本代表を全力で応援していきます」

★日本中が沸いた!過去のW杯出場決定プレーバック

 ◆1998年フランス大会 日本のW杯初出場を決めた一戦は、「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれる。岡田監督が率いる日本はアジア第3代表決定戦に回り、97年11月16日にマレーシアのジョホールバルでイランと対戦。2-2で延長に入り、途中出場のFW岡野が得点して劇的な勝利を収めた。

 ◆2006年ドイツ大会 05年6月8日の北朝鮮戦で出場を決めた。北朝鮮への制裁で第三国での無観客試合としてバンコクで行われ、サポーターは会場の外から声援を送った。ジーコ監督が指揮を執る日本はFW柳沢、FW大黒のゴールで2-0と快勝。世界各地での予選突破第1号となった。

 ◆2010年南アフリカ大会 09年6月6日にアウェーのタシケントで行われたウズベキスタン戦で決めた。MF長谷部が退場し、岡田監督も退席処分となる中、前半にFW岡崎が挙げたゴールをDF中沢&DF闘莉王が中心になって守り1-0で逃げ切り。2戦を残し、再び世界で最も早く予選を突破した。

 ◆2014年ブラジル大会 13年6月4日の豪州戦で出場を決めた。後半36分に相手のクロス気味の浮き球が入って先制されたが、0-1の試合終了間際、相手の反則で得たPKをMF本田がゴール中央に豪快に蹴り込んだ。ホームでのW杯出場決定は初めて。3大会連続で予選突破第1号となった。






[2011.3.11 東日本大震災と福島第一原発爆発事故から6年と5ヶ月]
[1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人が起こした核災害、直後に海水で
炉を冷却しておけば爆発は防げた]

a0044103_11255454.jpg

     3.11東日本大震災    津波 445
[PR]
by nsmrsts024 | 2017-09-01 08:15 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた核災害


by nsmrsts024