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4月30日(月)・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[支援への感謝、歌声に乗せ 仙台で「東北復興大合唱祭」]
「東北復興大合唱祭」(全日本合唱連盟東北支部など主催、朝日新聞社など共催)が30日午後、仙台市青葉区の東北大学百周年記念会館・川内萩ホールで始まった。東北6県から集まった合唱団1千人が、仙台フィルハーモニー管弦楽団の演奏とともに歌声を響かせ、東日本大震災からの復興を誓い合った。

 大合唱祭は、震災や東京電力福島第一原発事故の後に全国から寄せられた支援に歌で感謝の気持ちを伝えようと、初めて企画された。東北6県から中高生や社会人サークルなど72団体が参加した。

 3月まで仙台フィルの正指揮者だった山下一史さん(50)と福島県会津若松市出身の佐藤正浩さん(49)を指揮者に迎え、「蔵王讃歌(さんか)」など東北にゆかりのある曲や、合唱団に親しまれている名曲をオーケストラとともに夕方まで披露する。

[「森の防波堤」福島で復活作戦 7県がマツの種子支援]
東日本大震災の津波で壊滅状態となった海岸防災林の再生に向け、福島県が動き出した。津波の勢いを弱め、がれきを止めた「森の防波堤」。海岸線の松林整備に向け9年かけて苗木を植える計画だ。マツの種子が大量に必要で、足りない分をほかの7県が提供、支援する。

 福島県いわき市の新舞子(しんまいこ)浜。約10キロにわたり幅200~300メートルの松林が広がる。津波は海岸から約100メートルに位置する病院の1階部分を突き抜けた。内陸側には水田が広がり、集落までは500メートル。津波は松林で弱まり、水田で止まった。近くの農家の女性(70)は「松林がなかったら集落もやられていたに違いない。ご先祖さまに感謝している」。松林は地区の財産として、住民がごみ拾いなどをしながら大切に守ってきた。

 福島県の担当者も「漂流した車やがれきが防災林で止まり、住宅地や農地への流入を防いだ」と話す。

[子の甲状腺「安心できる」 福島、問題なしが99.5% ]
福島県は26日、東京電力福島第一原発事故に伴う放射線の健康影響を見守る県民健康調査で、子ども約3万8千人の甲状腺検査の結果を発表した。しこりがないなど問題ないとされた子どもが99.5%を占め、残りも良性の可能性が高いと判定。県の検討委員会は「通常と変わりない状況で安心できる」としている。

 避難区域を含む13市町村に当時いた18歳以下の約4万7千人が対象で、約8割の3万8114人の検査を終えた。約0.5%の186人に良性の可能性が高いしこりなどが見つかり、念のため再度の超音波検査や血液検査が必要としている。

 県は、すべての子ども約36万人を対象に、生涯にわたって甲状腺に影響が出ないか追跡していく。








千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月29日]・・・起訴前の容疑者31人を釈放 福島地検、震災の影響で
福島地検は29日、県内各地の警察署の留置場に勾留していた容疑者のうち計31人を16日までに処分保留で釈放したと発表した。震災の影響で死者や行方不明者が相次ぎ、水道などのライフラインも止まっていたことなどから「事件の関係者に取り調べを行うなどの捜査を遂行することが困難な状況にあった」と理由を説明した。

 発表によると、釈放されたのは同地検本庁と郡山、いわき両支部管内の警察署に勾留していた起訴前の容疑者。逮捕容疑は強制わいせつ、窃盗、覚醒剤取締法違反などで、地震のあった11日から16日にかけて釈放した。

 警察の留置施設そのものが被害を受けて勾留が難しいという状況ではなかった。同地検の小池隆・次席検事は「捜査の進み具合や個々の事案の内容などを考慮して釈放する容疑者を決めた」と説明。今後も捜査を続ける方針という。



[2011年3月29日]・・・津波 最後まで患者を守ろうとして…南三陸の看護師ら
宮城県南三陸町で唯一の病院、公立志津川病院は、入院患者の半数以上を高齢者が占めるごく普通の地方病院だった。患者の命を救おうとして3人の看護師と看護助手が波にのまれた。

 志津川湾に沿って走る国道45号に面した町営病院。東棟(4階)と西棟(5階)の2棟建てで、廊下でつながっていた。津波が起きた11日は109人が入院し、その半数が自分で歩くのが難しい65歳以上の患者だった。

■水、5階のぎりぎりまで

 午後2時46分。ガガガと横揺れが起きた。

 東棟4階の405号室。勤務してまだ5日目の看護助手伊藤梓さん(24)が、先輩の看護助手、菅原若子さん(52)に付いて男性患者の手足をお湯で洗っていた。

 洗面器の湯がばしゃばしゃとこぼれた。伊藤さんは冷静だった。「大丈夫ですからね」。菅原さんと一緒に患者を落ち着かせ、ぬれたパジャマの着替えを手伝った。菅原さんは伊藤さんに助言した。

 「患者さんが不安にならないように目を離さないでね」

 それが伊藤さんと交わした最後の会話になった。

 ナースコールが鳴りやまない。廊下を点滴を持った看護師が行き来する。

 「もっと上へっ」

 星愛子・看護部長(55)らが声を上げた。防災放送が大津波を知らせていた。東棟にいた病院スタッフや患者は5階建ての西棟へ。

 しかし、エレベーターは止まっていた。歩けない患者を引き上げるのは2、3人がかり。人手が足りない。階段ではパニック状態となった患者が、手すりを持ったまま階段をふさいでいた。力尽きてしゃがみ込む患者もいた。

 悲鳴に似た声が上がった。

 「波だ。逃げろ」

 真っ白な横一線の高波が猛烈な勢いで押し寄せるのが病室から見えた。防潮堤を越えると、車や船を押し流しながら突進し、目の前のショッピングセンターが一瞬で泥の水に沈んだ。
「もう助からない」。菅原さんがそう思ったとき、患者を連れた看護師や看護助手、通行人らが駆け上がった5階のぎりぎりで水は止まった。窓からは患者の一人がベッドのマットレスに乗って流されていくのが見えた。

 第1波と第2波の間、わずかに水が引いた。男性職員がずぶぬれになりながら4階へ。ベッドごと浮き上がるなどして息のあった10人余りの患者を背負って引き上げたが、それが限界だった。

 3人の看護師・看護助手がいないことがわかったのは、5階会議室で点呼した時だ。1人は伊藤さん。そしてベテラン看護師の山内由起さん(40)と後藤弘美さん(46)の2人だった。

 「私の言ったことを最後まで守ったのだろうか。目を離してしまったばかりに」

 菅原さんは唇をかんだ。

 5階まで引き上げることができた入院患者は109人中、42人。うち7人は翌日、自衛隊のヘリコプターが救出に来る前に、低体温状態となり息を引き取った。5階で死亡確認した桜田正寿医師(54)は言う。「ただただ地獄だった。地震から津波まで30分、できることはあまりに限られていた」

■「太陽のように明るい子だった」

 伊藤さんの遺体は津波から1週間後、病院内で消防隊に発見された。姉の角川理奈さん(31)によると、伊藤さんは「人の役に立つ仕事をしたい」と言って仙台市での仕事を辞め、南三陸町に戻ってきたという。千葉県に住む3歳のおいをかわいがり、夏に一緒にお絵かきをする約束をしていた。「あの子の性格から、最後まで患者さんをほっとけなかったのだと思います」

 山内さんの遺体は25日に遺族によって確認された。病院から約2キロ離れた海岸で見つかった。看護服姿。薬指には夫の和也さん(45)が贈った指輪がしてあった。1人目の患者を5階まで上げ、さらにまだ歩ける患者を誘導しようと引き返したことが同僚に目撃されている。高校1年と中学2年の息子2人がいる。和也さんは「太陽のように明るい女性でした」と話した。

 後藤さんはいまも行方不明のままだ。2男1女の母。長女(12)の小学校の卒業式を楽しみにしていた。津波が4階に達する直前まで患者に寄り添っていた姿が目撃されている。同病院の事務職員で、2階から5階に駆け上がって助かった夫の正博さん(48)は、28日の長女の卒業式に後藤さんの写真をしのばせて出席した。休みなく病院の残務整理をする毎日だ。(武田肇)


[2011年3月29日]・・・市議の「遺言」、非常通路が児童救う 津波被害の小学校
岩手県大船渡市の海沿いの小学校に、津波から逃れる時間を短縮する非常通路をつけるよう提案し続けていた市議がいた。昨年12月、念願の通路ができた。市議は東日本大震災の9日前に病気で亡くなったが、津波にのまれた小学校の児童は、通路を通って避難し、助かった。

 海から約200メートルのところにある越喜来(おきらい)小学校。3階建ての校舎は津波に襲われ、無残な姿をさらしている。校舎の道路側は、高さ約5メートルのがけ。従来の避難経路は、いったん1階から校舎外に出て、約70メートルの坂を駆け上がってがけの上に行き、さらに高台の三陸鉄道南リアス線三陸駅に向かうことになっていた。

 「津波が来たとき一番危ないのは越喜来小学校ではないかと思うの。残った人に遺言みたいに頼んでいきたい。通路を一つ、橋かけてもらえばいい」。2008年3月の市議会の議事録に、地元の平田武市議(当時65)が非常通路の設置を求める発言が記録されている。

 親族によると、平田さんは数年前から「津波が来た時に子供が1階に下りていたら間に合わない。2階から直接道に出た方が早い」と話すようになったという。

 平田さんの強い要望をうけたかたちで、昨年12月、約400万円の予算で校舎2階とがけの上の道路をつなぐ津波避難用の非常通路が設置された。予算がついた時、平田さんは「やっとできるようになった」と喜び、工事を急ぐよう市に働きかけていた。

 11日の地震直後、計71人の児童は非常通路からがけの上に出て、ただちに高台に向かうことができた。その後に押し寄せた津波で、長さ約10メートル、幅約1.5メートルの非常通路は壊され、がれきに覆いつくされた。遠藤耕生副校長(49)は「地震発生から津波が来るまではあっという間だった。非常通路のおかげで児童たちの避難時間が大幅に短縮された」と話す。

 市教育委員会の山口清人次長は「こんな規模の津波が来ることは想定しておらず、本当に造っておいてよかった。平田さんは子供のことを大事に考える人でした」と話した。

 非常通路から避難した児童の中には、平田さんの3人の孫もいた。平田さんの長男、大輔さん(38)は「人の役に立った最後の仕事に父も満足していると思う。小学3年の息子にも、大きくなったら話してやりたい」と語った。(其山史晃)


[2011年3月29日]・・・「もう限界」「一時帰宅を」原発避難の首長らが窮状訴え
もう限界だ――。福島第一原発の周辺にあり、放射線被害から逃れるため避難や屋内退避の指示でちりぢりになっている福島県内8町村の首長や議長が29日、震災後初めて、同県郡山市に集まった。佐藤雄平・県知事も同席。原発への憂慮や避難所生活の窮状を訴える声が相次いだ。

 県内の会津美里町に集団移転する楢葉町の草野孝町長は、長期化する避難生活で具合が悪くなったり、医者にかかったりする町民が何十人も出ていると説明。「職員も限界にきている」と訴えた。

 会津若松市への集団移転を進めている大熊町の渡辺利綱町長は、避難指示圏への住民の一時帰宅について言及。「避難している人は着の身着のまま、カギもかけてこないで出てきた人もいる。無理は承知だが1時間でもいい。住民を一度帰してもらいたい。それが住民からの一番強い要望だ」と報告した。

 さいたま市に集団移転している双葉町の井戸川克隆町長は車で駆けつけた。町民の所在確認について「行政でやるのは、もう限界」と説明。「民間のリサーチ会社に委託するなど、外の力を借りた方が効率的にできるのではないか」と提案した。

 馬場有・浪江町長は「大津波で相当な人が行方不明になり、遺体がまだ、そのあたりにあると聞いている。県は、遺体の収集と行方不明者の捜索をぜひ、県警、自衛隊に要請して頂きたい」と、津波被害を受けた町の写真を佐藤知事に見せた。

 首長らは、原子力災害の収束を国や東京電力に求めることや住宅、雇用、就学先の確保などを佐藤知事に要望した。佐藤知事は、一時帰宅について「命の問題だから、ここは辛抱してもらわなきゃいけない。ただ、住民の気持ちはわかっているのか、と官邸には再三言っている」と答えた。(斎藤健一郎)

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by nsmrsts024 | 2012-04-30 05:29 | 朝日新聞・綜合、政治

4月29日(日 )・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[七十七銀行女川支店、解体へ 検証求める遺族ら反発]
東日本大震災による津波で行員ら12人が死亡・行方不明となった、宮城県女川町の七十七銀行女川支店の取り壊しが、5月1日から始まることが決まった。惨事の原因を究明するため、解体前の検証を求めてきた遺族らは、同行の決定に反発を強めている。

 28日、一部の遺族の要請に応じ、本店(仙台市)行員が女川支店で震災当日の状況を説明した。しかし、助かった行員らは欠席。遺族らは「当日の行動をすべて検証し、改善につなげてほしい」と訴えた。

 本店は「町から取り壊しの要請を受けていた。町の復興を止めるようなことは難しい。解体を望んでいる家族もおり、その心情にも配慮した」としている。






千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月29日]・・・津波の中で抱きしめた 母娘3人、35分の生還劇
聞き慣れない着信音が携帯電話から響いた。

 11日午後2時45分すぎ。

 岩手県山田町の平屋建てアパートに住む主婦、小田島朋美さん(28)は携帯の画面に目をやった。

 「緊急地震速報 強い揺れに備えて下さい」

 画面を見ると同時に、激しい揺れに襲われた。

 「コタツの下に隠れて」

 夫の宗史(むねふみ)さん(31)は仕事で不在。長女の侑胡(ゆう)ちゃん(4)と次女の侑杏(ゆあ)ちゃん(3)に声をかけた。

 ガチャン。茶わんが流し台に落ちて割れた。棚のグラスが飛び出し、破片が飛び散った。

 「ママー」

 揺れが収まると、2人の娘が飛びついてきた。部屋の窓から外を見た。駐車場の地面がひび割れていた。近所のお年寄りが外に飛び出ていた。

 「すごかったですねー」。「津波が来ています。避難して下さい」という役場の放送が聞こえた。

 携帯が鳴った。実家の青森県八戸市の母親からだった。「大丈夫?」。次に地元の親友から電話がきた。「こっちはケガないよ」と答えた。

 親友と話しながら外に出た。アパートは海岸から数十メートル離れた高台にある。ふと、民家と民家の間に目をやると、真っ黒な水平線が見えた。家の1階と2階の間くらいの高さだった。

 「目の錯覚?」

 事態がのみ込めないまま、電話口の親友に叫んだ。

 「津波が来た!」

 電話をズボンのポケットにしまった。波に民家が倒される「グシャッ」という音が背中で聞こえた。

 「侑胡、侑杏、早く!」

 アパートに戻り、玄関口で2人を呼んだ。長靴を履かせ、ドアを開けると、道路が水浸しになっていた。

小田島朋美さんの自宅アパート。津波で窓ガラスが割れ、室内が海水で埋まった=27日、岩手県山田町織笠、坂本写す

自宅アパート周辺の地図
■この手は絶対離さない

 「ここからは出られない」

 長靴を履いたまま、廊下に上がり込んだ。

 ガシャーン。窓ガラスが水圧で割れ、猛烈な勢いで水がなだれ込んできた。

 「だめだ」

 海と反対側にある別の窓から脱出しよう。そう思った瞬間、その窓からも水が入ってきた。玄関のドアが下からめくれ上がり、水が一気に長靴の高さまで流れ込んだ。

 「ママ、しゃっこい(冷たい)」

 侑胡ちゃんの声を聞き、2人の娘を抱き上げた。

 海水が渦を巻き、コタツが浮き始めた。

 「子どもたちが先に埋もれてしまう」

 2人のお尻を両腕で支え、さらに高く抱き上げた。それでも水位はどんどん上がっていく。長靴がストンと落ち、足が床に着かなくなった。

 「私たち3人、こんなに早く死ぬんだ。人生あっけなかったな。こんなので死ぬんだ」

 高さ2メートル以上の天井に頭がつき、3人とも水没した。脇腹で、2人が足をバタバタさせているのを感じた。

 「苦しいんだね。ごめんね、ごめんね」

 何度も謝った。水中でのどの奥の空気をのみ込んだ。

 「どうせ死ぬなら絶対離れたくない。この手は絶対離さない」

 2人の体をギュッと抱きしめた。静かに楽になりたいと思った。

どのくらいたっただろうか。つむった目の上が白んできた。

 「脳に酸素が行かなくなったのかな」。遠のく意識で思った。

 目の上がさらに明るくなった。口を開けた。息が吸えた。目を開けた。ぐちゃぐちゃの部屋が目に映った。水が引き、足は床に着いていた。

 「えっ?」

 すぐに、抱きかかえていた2人を見た。侑胡ちゃんはぼうぜんとして、侑杏ちゃんはむせていた。

 「生きている」

 侑胡ちゃんのほっぺをたたいた。倒れた冷蔵庫の上に2人を下ろした。

 「生きなきゃ。行かなきゃ」

 侑胡ちゃんの手をつなぎ、侑杏ちゃんを抱きかかえた。外に出ると、必死に駆けた。高台にたどり着き、振り返ると家々が浮いていた。

小田島朋美さんの自宅アパート。津波で窓ガラスが割れ、室内が海水で埋まった=27日、岩手県山田町織笠、坂本写す

自宅アパート周辺の地図
■日常ってすごく幸せ

 13日、避難所の県立山田高校の体育館に宗史さんが駆けつけ、2人の娘を順番に抱きしめた。この日、侑杏ちゃんは3歳の誕生日を迎えた。「生きててくれて本当によかった」。生まれた時間の午前1時10分、朋美さんは、眠る侑杏ちゃんのほっぺに何度もキスした。

 3人は避難所で数日過ごし、現在は八戸市の実家に身を寄せている。パソコンを開き、インターネットの交流サイトを見ると、安否を尋ねるメールが数えられないほど届いていた。みんなに向け、メッセージを書いた。

 「あのね、日常ってすっごく幸せなことなんだよ。もう駄目だって諦めたけど、今こうして私たちは生きていて、温かい食事をいただいて、足を伸ばして寝ることができます。なにより、隣に、侑胡と侑杏がいる。命があって思うこと。みんな、大好きです。ありがとう」

 アパートの壁の時計は午後3時21分で止まっていた。地震の発生から35分間の出来事だったことが後でわかった。(坂本泰紀)


[2011年3月29日]・・・震災翌日の原発視察、首相「初動対応の遅れない」
菅直人首相は29日午前の参院予算委員会で、震災翌日にヘリコプターで福島第一原発などを視察したことが東京電力の初動の遅れを招くことはなかったとの認識を示した。

 東日本大震災後、首相が国会で答弁するのは初めて。首相は、自民党の礒崎陽輔氏の質問に対して「重大な事故だという認識を持っていたので、現場の状況把握は極めて重要だと考えた。私が視察に行ったことによって(対応が)遅延したという指摘はまったくあたっていない」と述べた。当初から格納容器からの排気(ベント)を行うよう東電に伝えていたとも主張した。

 首相は「その後の経緯を考えると、現地に行って責任者に直接話を聞いたことが、対応を立てるうえで極めて有効だったと今でも思っている」と説明。視察の理由については「間接的なことも多くて、つかみきれないという状況もあった」とも述べた。

 班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長が28日、首相が視察の際に「原子力について少し勉強したい」と述べていた、と証言したことについては、首相は「そういう言葉を発した記憶は必ずしもない。状況を把握したいという意味で発言したことは当然あった」と説明した。

 また、首相は福島第一原発の現状について「予断を許さない状況が続いている」との認識を示した。


[2011年3月29日]・・・死亡1万1063人不明1万7258人―29日10時
警察庁によると、29日午前10時現在の死者数は12都道県で1万1063人にのぼった。行方不明は6県で1万7258人。負傷者は18都道県で2778人。

 確認されている死者数は宮城6744人、岩手3264人、福島997人、茨城20人、千葉17人、東京7人、栃木と神奈川で各4人、青森で3人、北海道、山形、群馬で各1人。行方不明となっているのは宮城7588人、福島5012人、岩手4654人、千葉2人、青森、茨城各1人。

 建物被害は全壊1万6180戸、流失は2165戸、全半焼146戸など。道路被害は2126カ所にのぼる。

 また同日午前10時現在、被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県で死亡した人のうち身元が判明したのは8473人。8033人は遺族らに引き渡された。


[2011年3月29日]・・・プルトニウム検出「燃料棒溶融裏付けている」枝野長官
枝野幸男官房長官は29日午前の記者会見で、福島第一原子力発電所の敷地内で採取した土壌からプルトニウムが検出されたことについて、高濃度の汚染水と合わせて「燃料棒が一定程度溶融したことを裏付けている」と述べ、原子炉の核燃料が損傷して漏れ出しているとの認識を示した。

 枝野氏は「大変深刻な事態だ。周辺への影響をいかに収束させるかに全力を挙げている」と表明した。プルトニウムがさらに拡散する危険については「周辺地域のモニタリングをしっかり行っていくことで、広範な地域でのモニタリングの必要性について一定の判断はできる」と述べ、まずは周辺地域の監視を続ける考えを示した。

 枝野氏は、同原発2号機のタービン建屋外で高濃度の放射性物質を含む水が見つかった問題では、注水による冷却作業を止めるわけにはいかないという考えを強調した。燃料を冷やすための注水は汚染水の増大につながる可能性があるが、枝野氏は「止めることで燃料棒が高熱になる、空だきになるような状況は、優先的に阻止しなければならない」と語った。


[2011年3月29日]・・・福島第一原発、首相「廃炉の可能性高い」
菅直人首相は29日の参院予算委員会で、福島第一原発を廃炉にする可能性が高いとの見方を示した。社民党の福島瑞穂党首が廃炉を求めたのに対し「一定の安定状況になった後に専門家の意見を聞いて決めるが、その可能性が高い」と述べた。

[2011年3月29日]・・・タンクに次々移し替え…汚染水除去、綱渡りの作業
東京電力の福島第一原発1~3号機のタービン建屋から外へつながる坑道に、高い線量を示す大量の汚染水が見つかった。同建屋の地下にも同様の汚染水が大量にたまっており、坑道の汚染水の供給源になっている可能性もある。この水の処理が、放射能を封じ込めるカギを握る。東電は建屋内の水を別のタンクに玉突きのように次々と移し替え、燃料冷却作業に取りかかる環境作りを急ぐ一方で、坑道の水があふれ出ないよう、土嚢(ど・のう)を積むなど応急対策を進めている。

 東電によると、トレンチと呼ばれる坑道は、冷却で用いる海水ポンプの配管や電線などが通っている。人が入って点検できるようになっており、通常は水はない。その坑道の容量は総計1万3300トン。坑道内はほとんど水で埋まっているとみられ、配管などを差し引いても1万トン前後の汚染水がたまっている可能性がある。

 2号機の坑道入り口付近では、最大で毎時300ミリシーベルト以上の高い放射線が測定された。1、3号機でも最大で毎時0.8~1ミリシーベルトが出ている。たて坑から海は50~70メートル離れているが、海に漏れる可能性もある。そのため、東電は28日にまず1号機のたて坑の入り口周辺に土嚢を積み、流出を防ぐ応急措置を講じた。

 一方、同じ1~3号機のタービン建屋地下では、水深0.4~1.5メートルの汚染水がたまっている。坑道の配管は建屋に通じており、「地下から流れ込んだ可能性は否定できない」(東電福島事務所)。建屋の浸水は、復旧作業にとって邪魔なだけでなく、坑道の水の供給源になっているとみられる。

 このため、建屋の水をまず取り除くことを優先させる。
汚染水の放射能が高いため、密閉性の高い建屋内の「復水器」という装置の中にポンプで移す方針だった。すでに1号機は、坑道の水が確認される前の24日から水の移動を始めていた。だが、2、3号機も同様に復水器への移し替えを実施しようとしたところ、それぞれ満水状態だった。

 そこでまず、この復水器に入っている比較的汚染度が低いとみられる水を、建屋外にある「復水貯蔵タンク」に移し替えることにした。だが、その貯蔵タンクも、もともと水が入っている。2、3号機については、仮設ホースを引いて、貯蔵タンクの水を、建屋からさらに遠く離れている別の「圧力抑制室用貯水タンク」に移し替えて容量を確保することにし、28日から作業を始めた。

 圧力抑制室用貯水タンクは各号機共用で、4号機の南にある2基については、容量計6800トンで、空き容量は約4千トンあるとみられる。廃水を処理する施設は復旧しておらず、現状ではどこかにためるほかない。2、3号機の貯蔵タンクを空にして、復水器にどれだけ容量を確保できるか、綱渡りの作業を続けている。

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by nsmrsts024 | 2012-04-29 09:10 | 朝日新聞・綜合、政治

4月28日(土 )・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[「鳴き砂」復活へボランティアが海岸清掃 岩手・大槌]
大型連休を利用したボランティアの清掃活動が28日、津波被害を受けた岩手県大槌町の吉里吉里海岸で始まった。まだ残るがれきを取り除き、子どもたちが安心して遊べる砂浜づくりをする。

 歩くとキュッキュッと鳴る「鳴き砂」の砂浜は、震災後、大きながれきは取り除かれたが、小さな破片や木片が埋まっている。町社会福祉協議会などが呼びかけ、この日はボランティア約140人が集まった。スコップで砂を掘り、ふるいにかけてゴミやガラスなどを取り除いた。

 長野県から単身参加した主婦吉田舞さん(28)は「テレビで見て、少しでも力になりたいと連休を利用して来た」と話す。来月6日まで延べ約800人が参加を予定しているという。

[男性訪れ88万円「賠償金を子らに」 福島の福祉施設]
福島市の児童養護施設・青葉学園に28日、男性が訪れ、応対した神戸信行園長(63)に茶封筒を渡して立ち去った。中に現金88万円と、「まもなく、こどもの日。福島の未来を担う子供さんたちのために使っていただきたい」と書かれた手紙が入っていた。

 福島第一原発事故の賠償金は、福島県の一定の地域に住む大人に1人8万円、18歳以下の子どもと妊婦には40万円が支払われている。

 手紙には、「東電(東京電力)から8万円の賠償金が送られてきた。様々な事情で賠償金の恩恵に浴せない子供さんたちがいることも知った。私たちの思いとして、11名分を送ります」などとあり、差出人として「福島の獅子」と書かれていた。

 神戸園長は「子どもへの賠償金は親に送金され、子どもには直接届かないことを知っている方だと思う。大変ありがたい。行事や旅行などに有効に使わせていただきます」と話した。

 園長によると、男性は車で突然訪れ、「お預かりしているものがある」と言って封筒を差し出すと、すぐに去ったという。






千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月29日]・・・被災地に希望の電柱 宮城・南三陸で着々工事
一面のがれきと化した街に、真新しい電柱が連なる――。津波で家屋の8割が流された宮城県南三陸町志津川で、東北電力(本店・仙台市)が復旧作業に着手し、27日、主要道路に沿って電柱を立てる工事が本格化した。変わり始めた風景は被災者に小さな希望を与えている。

 「ライフラインが回復しなければ、前に進めない」と同町が東北電力に早期復旧を要請していた。電柱の高さは被災前と同じ約16メートル。他県の支店の応援も得て急ピッチで作業を進めている。押し流された変電所の復旧も同時に進めなければならず、通電は4月末ごろになりそうだという。

 水をかぶった土は、穴を掘ると水がしみ出すため、慎重に進めている。吹雪の中、作業を指揮していた協力会社の統括責任者、徳永昌利さん(41)は「被災者のために一日でも早く電気を送りたい」。近くでがれきを撤去していた漁網販売会社の今野益二郎さん(60)は「津波で自宅も会社も流されたが、復興の光がほのかに見えた気がしました」と話していた。(武田肇)


[2011年3月29日]・・・「動く総合病院」避難所へ 専門医ら福島で巡回チーム
福島県で、さまざまな専門を持つ医師がチームを組んで避難所を訪れる取り組みが始まった。避難所生活が長引く人たちに複数の専門的な視点から診察する「動く総合病院」。初日の28日は医師ら約30人が3チームに分かれ、いわき市内の避難所を巡った。

 県立医科大が地域の医師会と協力。内科を筆頭に小児科、心臓血管外科、眼科などの医師や理学療法士、感染制御の専門家らがチームを組むことで高度な専門医療を実現し、被災者の健康を守ろうという試みだ。

 この日、3チームは津波の被害が大きかった同市の小名浜地区など7カ所を訪問。公民館や集会所の部屋で横になったり座りこんだりしている避難住民のそばに座り、かわるがわる診察した。

 うち一つの避難所では、左半身に麻痺(まひ)が残る男性(66)に、看護師がまず血圧を測定。次に内科医が体調を尋ねた。「脳梗塞(こうそく)の既往症がある」と知るや、今度は心臓血管外科の医師が、携帯型の超音波検査機をふくらはぎなどにあてて測定。「血栓症のリスクがある」と診断した。最後に精神科の医師が隣に座り、「夜眠れるかどうか」などを丁寧に聞き取った。

 診療を受ける人はほとんど動かない。医師の側で次々と人が入れかわり、居ながらにして健康診断を受けているような形に。投薬もそれぞれの医師が行った。

 顔面神経麻痺で脳梗塞の疑いがあるとされた80代の男性は、最終判定のトリアージで「緊急に病院での検査の必要がある」と、最も緊急度の高い赤色の紙判定。医師が施設に話し、救急車で病院に運ばれた。

 薬は同市の薬剤師会が愛知県医師会から無償で届けられた計約130種の薬を提供し、協力した。
今週中は連日3チームで、いわき市内の避難所をそれぞれ1日2、3カ所ずつ回る計画だ。取り組みを統括する県立医科大の細矢光亮・小児科学講座主任教授は「被災した方々にどういうニーズがあるのかをとらえて、早めに適切な対応をしたい。今後、全県に活動を広げたい」と話している。(斎藤智子)


[2011年3月29]・・・僕のランドセル届いたよ 仙台の親子へ徳島から贈り物
ランドセルを買うために大切にしまっておいた入学祝いを被災後に盗まれ、困っていた仙台市の親子のもとに28日、ランドセルが届いた。朝日新聞の記事で親子のことを知った徳島県の夫婦からのプレゼントだった。

 「やったーやったー。これで1年生になれる!」。約300人が避難する仙台市宮城野区の市立岡田小学校。新品のランドセルを箱から取り出した幼稚園児の米山兼生(けんせい)君(6)が跳びはねて喜んだ。ランドセルを背負って体育館を走り回る兼生君。「格好いいね」「よかったね」。避難所の人たちが声をかけた。

 兼生君の家は津波で1階が浸水した。地震の2日後、母親の美枝さん(33)が自宅に戻ると2階が物色され、タンスに保管していた封筒の中身が無くなっていた。祖父母がランドセル購入用に贈った入学祝い3万円だった。

 26日、朝日新聞朝刊の「いま伝えたい 被災者の声」でこのことを知った徳島県の夫婦が、避難所に電話をかけてきた。「同じぐらいの孫がいるんです。力になりたい」。遠慮する美枝さんに「今一番つらいだろうけど、これからは良いことだけだから」と言って電話は切れた。

 28日、避難所に届いたのは濃い緑色のランドセル。満開の桜の写真が印刷されたはがきも添えられ、「皆、仲間です」と結ばれていた。美枝さんは「生きるための励みになりました。災害を通じて、兼生も人の心の温かさを学んでくれたはずです」。兼生君は「遠くのおじいちゃんとおばあちゃんにありがとうって電話するんだ」と話した。(渡辺洋介)


[2011年3月29日]・・・福島原発「深刻なまま」 カーニー米大統領報道官
【ワシントン=尾形聡彦】カーニー米大統領報道官は28日の会見で、東京電力福島第一原発の放射能漏れ事故の状況について、「深刻なままだ」との認識を示した。一方で、日本経済の今後については「日本の人々の回復力や日本経済の強さには自信を持っている」と語った。

 カーニー報道官は、福島第一原発で原子炉から放射性物質が漏れ出た可能性が高まっていることを問われたのに対し、「事態を非常に注視しており、大統領も最新状況について定期的に説明を受けている」と言及。日本の状況は依然として深刻だとの認識を示したうえで、「だからこそ、我々は日本を助けるために、非常に多くの援助を行うことを約束している」と述べた。

 また日本の経済復興については「日本は回復すると信じている。そうなることが、日本にとってよいだけでなく、すべての貿易相手国や、米国にとってもよいことだ」と指摘した。

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by nsmrsts024 | 2012-04-28 07:46 | 朝日新聞・綜合、政治

4月27日(金 )・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[東電、再建計画を政府に提出 7月に実質国有化]
政府の原子力損害賠償支援機構と東京電力は27日、東電の総合特別事業計画をつくり、枝野幸男経済産業相に申請した。これで東電は7月に政府から1兆円の出資を受けて「実質国有化」される。一方、東電を除く電力9社の2012年3月期決算では、原発が動かずに費用が増えたという7社が赤字に陥った。

 東電の計画は、福島第一原発事故の損害賠償が滞らないように東電を再建させることがねらい。東電は原発事故の処理や賠償にお金がかかり、全資産を売っても借金を返せない「債務超過」になる可能性があった。このため、計画では政府が1兆円を出資して助け、代わりに株主総会の議決権の50%超を持って経営陣の人事権などを握る。

 また、今年7月に家庭向け電気料金を10%値上げすることや、2013年度に柏崎刈羽原発(新潟県柏崎市・刈羽村)を再稼働させることを盛り込み、純損益の赤字を13年度(14年3月期)に黒字にする目標を立てた。この利益をもとに、政府が機構を通じて貸している賠償資金を数十年かけて返していくという。

[震災関連死1618人 避難生活長期化などで 復興庁]
東日本大震災の発生後、避難生活から体調を崩すなどして亡くなった「震災関連死」が、3月末時点の速報値で1618人にのぼることが27日、復興庁のまとめで明らかになった。国が今回の震災による関連死の数を集計したのは初めて。

 警察庁による25日現在の死者数(直接死)は1万5857人、不明者数は3057人で、震災関連死とあわせると死者・不明者数は2万人を超す計算になる。

 関連死は、長引く避難生活やけがの悪化などが原因で亡くなるケースで、直接的な被害で亡くなった人と同様に災害弔慰金が遺族に支給された数を各自治体に照会した。病院への搬送中に亡くなった例や震災のストレスによる自殺、仮設住宅での孤独死など、震災との因果関係が認められるケースも含まれるという。

 関連死は1都9県に及び、最も多いのが福島県で764人、次いで宮城県が636人、岩手県が179人。茨城県が29人、長野、千葉県が各3人、山形、埼玉、神奈川県と東京都が各1人だった。

 阪神大震災の死者数は6434人で、このうち900人あまりが関連死だった。






千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月28日]・・・東電、核燃料の圧力容器損傷に言及「健全性は維持」
東日本大震災で被害を受けた福島第一原発1~3号機について、東京電力は28日未明の会見で、核燃料を入れた鋼鉄製の圧力容器が損傷して容器の外と通じた状態になっている可能性を認めた。東電は「穴が開いているイメージ」と説明。燃料を冷却するために注がれた水に放射性物質が溶け込み、外部に漏れ続けているとみられる。

 1~3号機は津波で非常用の電源が失われ、圧力容器内の水を循環させて冷やすシステムを動かせなくなった。このため圧力容器につながる配管にポンプを接続し、水を注入する作業が続いている。核燃料を水没させ、発電停止後も出続ける崩壊熱を直接、冷やすのが狙いだ。

 しかし1~3号機いずれでも、圧力容器の水位計の数値は思うように上がっていない。東電は28日未明の会見で、注水しても圧力容器が満杯にならない原因を、「(圧力容器の)下の方に穴が開いているイメージだ」と認めた。穴が開いた理由は「わからない」という。

 圧力容器は燃料ペレット、燃料被覆管、格納容器、原子炉建屋と合わせた5重の放射能閉じ込め機能の中で、最も重要な位置づけだ。福島第一原発の圧力容器は厚さ16センチの鋼鉄でできており、底部には、計測装置などを外部から差し込む貫通部などがある。その周辺から漏れている可能性が考えられる。

 東電は、水面から露出した核燃料が過熱して損傷した可能性を認めている。専門家によると、核燃料を束ねた燃料棒が損傷して崩れ、圧力容器下部に落下してかたまりになると、表面積が小さくなって効率よく水で冷やせなくなる。極めて高温になった燃料が圧力容器の壁を溶かして穴を開けた可能性もある。

 東電は一方で、内部の圧力が大気圧より高く保てているため「(圧力容器は)完全に壊れているわけではない」とも説明。「チェルノブイリのように破裂して(燃料が)外に出ている状態ではない」とし、容器の「健全性」は保たれている、という見解は変えていない。

この状態で注水を続けた場合、放射能を高濃度に含む水の外部流出が長引く可能性があるが、東電は、核燃料を冷やすには注水しかないとの立場だ。汚染水を外部に流すのではなく、本来の循環による冷却システムを再起動させる作業も進んでいるが、電源の確保などで難航している。

 一方、原子力安全委員会(班目春樹委員長)は28日午前、臨時会を開き、2号機のタービン建屋地下1階にたまっている通常の10万倍の濃度の放射能を含む水について、一時溶融した燃料と接触した格納容器内の水が、何らかの経路で直接流入したと推定されると発表した。

 ただ、屋外では極端に高い量の放射線は計測されていないとし、今後も水の漏出が続くとしても、炉心に注水し、蒸気を放出して冷却するという現在の冷却方法は継続可能と結論づけた。


[2011年3月28日]・・・避難所のテレビ1台、十数人囲んで…東北に地元から声援
第83回選抜高校野球第6日の28日、第1試合で東北(宮城)が登場した。東日本大震災で、練習も食事も思い通りにならずに甲子園入りしたナインたち。大垣日大(岐阜)に0―7で敗れたが、地元の避難所で厳しい生活を強いられている被災者らは、懸命なプレーに思いを重ねた。

 夷塚圭汰選手(2年)の出身校で、約230人が避難生活を送る仙台市若林区の市立蒲町(かばのまち)中。試合開始の午前9時、武道館に設けられた1台のテレビに十数人が集まった。

 最前列で観戦していた三浦幸子さん(63)は、津波で自宅を失った。「表情に出さずに立ち向かっていく姿に勇気をもらうね。応援している時は避難生活を忘れられる。久しぶりに、こんな大きな声を出して笑ったよ」

 小学5年生の遠藤倭君(11)は、床上浸水した自宅から大切にしていたグラブを見つけ出した。そのグラブを手に、毛布にくるまって暖を取りながら、試合を見つめた。「早く野球をやりたい。甲子園は憧れの場所。いっぱい練習して甲子園に行きたい」

 最後の打者が打ちとられると、ため息が漏れたが、被災者らは「精いっぱいやったよね」「次は夏だね」と拍手を送った。佐藤美代子さん(58)は「家もなくて一から出直しだけど、頑張っていかないとね」と話した。

 仙台市の東北高では、食堂にテレビ3台と椅子を用意。留守番部隊の生徒のほか、近くの住民ら約100人が集まった。町内会長の小金沢佳史さん(59)は「部員は水くみや炊き出しで避難所に応援に来てくれた。『何かやることありませんか』と積極的に動いてくれた」。試合には敗れたが、「9回裏は一球一球食らい付くような思いが伝わるプレーだった」とたたえた。(篠健一郎、一色涼)


[2011年3月28日]・・・噴き上がる水蒸気、崩れた壁…上空から見た1~4号機
防衛省は、自衛隊のヘリコプターが27日午前に福島第一原子力発電所を上空から撮影した映像を公開した。

■1号機、天井や壁が崩落

 地震翌日に最初の水素爆発が起きた1号機では、原子炉建屋上部の天井や壁が崩れ落ちている。鉄骨も壊れてむき出しになっているのが見える。これまでたびたび確認されていた煙や水蒸気は、はっきりとは見えない。燃料プールの水位は外から確認できない。

■2号機、壁に亀裂多数

 格納容器につながる圧力抑制室が15日に爆発、損傷した疑いがある2号機は、1~4号機のなかでは、原子炉建屋が比較的残っている。建屋側面からと、屋上にあいている複数の穴から、水蒸気とみられる白い煙が上がっている。壁には多数の亀裂も見える。

■3号機、クレーン落下の可能性

 3号機では、水素爆発で大きく破壊された原子炉建屋の上部から、水蒸気が激しく上がっている。核燃料をつり下げて移動させるためのクレーンが、天井部分に見当たらない。燃料プールや燃料も見えないが、クレーンの一部がプール上に落下し、燃料を破損している可能性もある。

■4号機、崩れた壁からのぞくのは

 4号機は、水素爆発があった1号機や3号機と同じぐらい、原子炉建屋の壁が大きく崩れ落ち、水蒸気が建物の所々で上がっている。内部にはクレーンとみられる緑色の機器や、原子炉格納容器のふたとみられる黄色い構造物も見える。ふたは定期検査中に取り外されたものとみられる。


[2011年3月28日]・・・2号機建屋の外の水から1千ミリシーベルト 福島原発
東京電力は、福島第一原発2号機タービン建屋の外にある地下溝に水がたまり、表面から毎時1千ミリシーベルト以上の放射線を計測したと発表した。

[2011年3月29日]・・・遺体確認が難航 2750体が身元不明 警察庁
警察庁は28日、東日本大震災の犠牲者で検視を終えた1万780の遺体のうち、25%強に当たる2750体の身元が判明していないことを明らかにした。今回の震災では家族も一緒に津波で流されるなどしたケースが多く、身元確認が思うように進んでいない状況が改めて確認された。

 身元不明遺体は法律で発見地の自治体に引き渡されることになっているが、同日までの受け入れは、福島県の南相馬、相馬、いわきの3市などで55遺体にとどまっている。被災地はどこも多数の死者が出て火葬などが間に合わないためだが、ドライアイスなどによる遺体の保管にも限度があり、警察側も苦慮している状況だ。

 身元不明遺体について、警察側はDNA型鑑定結果や指紋、歯型、遺体の特徴などを写した写真といった記録を残し、後日、遺族や知人が名乗り出てきた時に照合できるよう備えている。


[2011年3月29日]・・首相の原発視察は「勉強のため」 原子力安全委員長
原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は28日の参院予算委員会で、東日本大震災の発生翌日の12日に菅直人首相が福島第一原子力発電所を視察したことについて「総理が『原子力について少し勉強したい』ということで、私が(視察に)同行した」と語った。

 首相の原発視察に対しては野党などから東京電力の初動対策が遅れるなどの悪影響が出たのではないかとの指摘がある。首相の視察が単に「勉強のため」だったとすれば、論議を呼びそうだ。ただ、班目氏は「総理が行かれたことで、特に何か現地で混乱があったとは承知していない」とも述べた。


[2011年3月29日]・・・福島から避難の認知症女性が新潟で凍死
28日午前8時半ごろ、新潟県田上町鳶ケ沢の林道で、東日本大震災で被災した福島県富岡町の無職女性(62)が死亡しているのが見つかった。加茂署によると、死因は凍死とみられる。

 同署によると、女性は認知症で、家族7人で27日午後4時ごろ、4カ所目の避難先となる田上町の「YOU・遊ランド」宿泊棟に福島県南相馬市から移ってきた。入所手続きを終えた後、1人でその場を離れて行方不明になったため、家族が同署に届けていた。

 林道は避難所から最短の道を歩くと約2キロで、積雪は約50センチ。雪の上には女性の足跡しか残っていなかったという。


[2011年3月29日]・・・第一原発の北側海水から高濃度ヨウ素 基準の1150倍
東京電力は28日、福島第一原発の北側で27日に採取した海水から、最大で安全基準の1150倍にあたる濃度の放射性物質が検出された、と発表した。東電によると、27日午後2時すぎに第一原発の5、6号機の放水口の北約30メートルで採取した海水を調べたところ、基準の1150倍のヨウ素131が検出された。25日朝に1~4号機の放水口の南側で採取した海水から1250.8倍のヨウ素131が検出されており、汚染が広がっているとみられる。

[2011年3月29日]・・・原発から5キロの地点に男性遺体 放射線量多く収容断念
警察庁は28日、福島第一原発から半径20キロの避難指示圏内にある福島県大熊町内で27日に男性の遺体が見つかったものの、放射線量が多くて収容作業を断念したことを明らかにした。発見場所は原発から約5キロの場所。遺体の状況などから、警察は男性が震災で亡くなった可能性があるとみている。

 同庁によると、遺体の情報が寄せられて県警の機動隊員ら15人が出動し、駐車場で仰向けで倒れている遺体を見つけた。線量計で表面を測ったところ、全身除染が必要とされる県の基準を上回ったため、近くの建物内に安置した。今後、改めて収容方法などを検討するという。

 避難指示圏内では、県警や陸上自衛隊が、放射能の影響を考慮しながら、指示に従わずにとどまっている住民の安否確認や、行方不明者の捜索を続けている。


[2011年3月29日]・・・東京電力株、震災後の最安値 34年ぶりの低水準
28日の東京株式市場は東京電力の株価が震災後、最安値を付けた。前週末比150円安い696円で、1977年2月以来の低水準となった。

 福島第一原子力発電所の事故処理では、作業が難航している。事態解決まで、さらなる長期化が予想され、売りが進んだ。震災前に2100円超あった東電株は3分の1となり、時価総額は約1兆1千億円。約2週間で、約2兆3千億円が吹き飛んだ計算だ。

 日経平均株価は値下がりした。終値は同57円60銭安い9478円53銭。

 東京外国為替市場の円相場は、1ドル=81円台後半で小幅な値動き。午後5時時点は前週末同時刻より70銭円安ドル高の1ドル=81円68~70銭。

 一方、日本銀行も同日、銀行や証券会社などが必要な資金をやり取りする短期金融市場などに、計4兆4千億円の資金を供給する公開市場操作(オペ)を実施すると発表した。10営業日連続の発表で、総額115兆円超となる。


[2011年3月29日]・・・福島の野菜農家が自殺 摂取制限指示に「もうだめだ」
福島県須賀川市で24日朝、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつり、自ら命を絶った。福島第一原発の事故の影響で、政府が一部の福島県産野菜について「摂取制限」の指示を出した翌日だった。震災の被害に落胆しながらも、育てたキャベツの出荷に意欲をみせていたという男性。遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせる。

 自宅は地震で母屋や納屋が壊れた。ただ、畑の約7500株のキャベツは無事で、試食も済ませ、収穫直前だった。遺族によると、男性は21日にホウレンソウなどの出荷停止措置がとられた後も「様子をみてキャベツは少しずつでも出荷しないと」と話し、納屋の修理などに取り組んでいた。

 23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、男性はむせるようなしぐさを繰り返した。「福島の野菜はもうだめだ」。男性の次男(35)は、男性のそんなつぶやきを覚えている。「今まで精魂込めて積み上げてきたものを失ったような気持ちになったのだろう」

 男性は30年以上前から有機栽培にこだわり、自作の腐葉土などで土壌改良を重ねてきた。キャベツは10年近くかけて種のまき方などを工夫し、この地域では育てられなかった高品質の種類の生産にも成功。農協でも人気が高く、地元の小学校の給食に使うキャベツも一手に引き受けていた。「子どもたちが食べるものなのだから、気をつけて作らないと」。そう言って、安全な野菜づくりを誇りにしていたという。

 遺書はなかったが、作業日誌は23日までつけてあった。長女(41)は「こんな状態がいつまで続くのか。これからどうなるのか。農家はみんな不安に思っている。もう父のような犠牲者を出さないでほしい」と訴える。(西堀岳路)


[2011年3月29日]・・・知的障害の子ら200人、避難先転々 職員「もう限界」
福島第一原発の事故に伴い、原発から5キロの所にある施設から逃れた重度の知的障害のある子どもや大人200人余りが、避難先を転々としている。いま3カ所目。付き添う職員やボランティア約50人とともに、小さな建物で限界の生活を続けている。

 福島県富岡町の「東洋学園」は通所と入所の施設を持つ社会福祉法人。第一原発と第二原発の間にあり、県内各地から、知的障害のある子どもと大人を受け入れている。

 地震発生翌日の12日、入所の児童・生徒と20~50代の大人計250人がバスで避難し、同県川内村にある同法人の施設に入った。その日のうちに政府の避難指示の範囲が広がったため、夜中に再び移動。避難所になっていた同村の小学校の体育館に着き、他の避難住民に交じって一晩を過ごした。

 だが、突然の環境の変化に大きな声を出したり、落ち着きを失ったりする子どもが相次いだ。「一般の人と一緒の避難所は無理」(猪狩学・児童部長)と考え、13日には学園が所有する同県田村市の通所施設に移った。

 戸建てで周囲に空き地があるため他の人に気遣う必要はなくなった。市も食料や日用品などを提供してくれた。ただ、問題は施設の広さ。もとは40人定員の施設のため、20畳ほどの2部屋と小体育館に全員がひしめき、昼も夜も身動きがとれない状態だ。

 ストレス発散のため、職員が時々外に散歩に連れ出してはいるが、これまでのような畑作業や粘土いじりもなく、部屋で寝ころんだり座ったりして一日中過ごしている。

 職員やボランティアの中には津波で家が流されたり身内が行方不明になったりした人もいるが、入所者の生活を維持するため、洗濯や掃除、物資の調達や薬集めに奮闘している。ただ、みな疲れ果てており、「もう限界。あと1カ月も持たない」と猪狩児童部長。学齢期の児童・生徒は4月から養護学校に通わせなくてはならず、職員らは移転先を求めて情報収集を急いでいる。(斎藤智子)

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by nsmrsts024 | 2012-04-27 10:55 | 朝日新聞・綜合、政治

4月26日(木 )・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[福島の「三春滝桜」見ごろ 荘厳な美しさ、大勢の観光客]
日本三大桜のひとつに数えられる福島県三春町の「三春滝桜」が、今年も花を咲かせた。例年にない遅めの開花だったが、いまは五分咲きで見ごろに。東日本大震災と原発事故の影響で訪れる人が激減した昨年と打って変わって、大勢の観光客らが足を運び、荘厳な美しさをめでている。

[原発事故直後の情報信頼度 保安院はツイッターより下]
東京電力福島第一原発事故直後に信頼できた情報源は「経済産業省原子力安全・保安院」だったと答えたのは13%だったことが、保安院自身の調査でわかった。信頼度はブログ・ツイッターの23%よりも低かった。保安院は「東電の情報を右から左に流している、事故の技術的解説ができないと受け止められていた」と分析している。

 調査は、今年3月、全国3345人にインターネットでアンケートした。昨年3月11日~15日に事故の情報で、信頼できる情報源を三つ挙げてもらうと「テレビ・新聞」(39.8%)が最も多く、次いで「特になし」(38.5%)だった。「専門家のホームページ」(28.3%)、「ブログ・ツイッター」(22.9%)などが続き、「保安院」は12.7%で7番目。東電は4.6%で11番目だった。

 16日以降についても傾向はほぼ変わらなかったが、保安院を信頼できる情報源として選んだのは10.2%まで下がった。

[震災死者1万5857人、不明3057人 25日現在]
東日本大震災(余震を含む)について、警察庁がまとめた死者は25日現在、1万5857人。警察に届け出があった行方不明者は3057人となっている。





千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月28日]・・・被災の透析患者を最大400人受け入れ 大阪に施設開設
大阪市は28日、住之江区の見本市会場「インテックス大阪」に、東日本大震災で被災した人工透析患者の一時避難所を開設した。ここを拠点に、関西の医療機関で治療してもらうのが目的。最大で患者400人、家族を含めると1千人が生活できる。

 大阪透析医会によると、被災地から首都圏に避難した患者は多いが、計画停電の影響で十分な医療が受けられない場合もあり、東京都内では通常4時間かかる透析を3時間で打ち切られるケースもあるという。透析には電気が欠かせないため、西日本など停電のない地域での患者受け入れが課題となっている。

 大阪市はインテックス大阪の床に畳を敷き、8畳ごとについたてで区切って1家族用の居住空間を確保。布団とマットレスも貸し出す。施設内にはシャワールームもあり、通院には病院の送迎バスや市バス(無料)、ボランティアが運行するリフトカーなどが利用できる。


[2011年3月28日]・・・宮城のがれき「23年分」 知事「3年以内に処理」
宮城県は28日、東日本大震災で倒壊した家屋などのがれきの量が、県内で1500万~1800万トンにのぼるとの推計を公表した。1年間に排出される一般廃棄物の23年分に相当するという。村井嘉浩知事は「3年以内をめどに処理したい」と語った。

 同日午前の災害対策本部会議で明らかにした。被災によって自治体機能が低下した市町村については、県が主体となってがれき処理を主導する。1995年の阪神大震災の際には、兵庫県内で1980万トンのがれきが発生。処理に3年かかり、費用は2655億円にのぼった。

■死者、1万872人に

 東日本大震災による死者は28日、警察庁の集計(午前9時現在)で1万872人となった。警察に届け出のあった行方不明者は6県で1万6244人。避難者は約24万人。

 死者数は宮城県で6627人、岩手県で3213人、福島県で974人など。警察が遺体の状況を確認した1万人超のうち、身元が判明しているのは約8千人分。

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by nsmrsts024 | 2012-04-26 08:32 | 朝日新聞・綜合、政治

4月25日(水 )・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[柏崎刈羽原発「13年度再稼働」 東電の事業計画に明記]
政府の原子力損害賠償支援機構と東京電力は、東電の再建を進めるための「総合特別事業計画」を固めた。政府が1兆円を出資して50%超の議決権を持ち、実質国有化する。一方、再建の前提として、今年7月には家庭向け電気料金を10%値上げし、柏崎刈羽原発を2013年度中に再稼働させることを明記した。

 機構と東電が計画を検討してきた。勝俣恒久会長の後任に機構の下河辺和彦運営委員長が就くことが決まったため、計画を固め、27日に枝野幸男経済産業相に提出することにした。

 ただ、原発再稼働に対しては、福島第一原発事故の反省が足りないという批判が出たり、地元自治体の理解を得られなかったりする可能性がある。値上げに対しても、利用者からはもっと人件費を減らすべきだという声が出かねない。






千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月28日]・・・原発周辺、避難指示圏内になお60人 朝日新聞社調べ
福島第一原発の20キロ圏内には、1号機で水素爆発が起きた12日に避難指示が出され、警察庁は15日、「全員が避難を完了した」としていた。だが、朝日新聞が27日、20キロ圏内にかかる10市町村に確認したところ、7市町村が圏内に残留者がいると答え、少なくとも60人余がとどまっていることがわかった。

 福島県警は、避難指示直後から第一原発の近くに立ち入れないよう主要道路に警察官を配置している。このため、市街地での残留者の大半は指示の段階からずっと圏内にとどまっているとみられる。一方、農村部には集落に通じる小道が多く、田村市や葛尾村などでは残留者が出入りしている形跡もあったという。

 こうした状況のなか、各自治体は陸上自衛隊や地元消防に協力を依頼。安否の確認と避難の説得を続けている。

 各自治体によると、残留者の多くは身内を介護している人や、酪農をしている人。「寝たきりの親は介護が必要で避難所生活に耐えられない」「餌をやらないと牛が死んでしまう」といった理由で避難を拒んでいる。

 避難指示は「首相は市町村長と知事に対し、避難のための立ち退きや屋内退避の勧告、指示を行う」とした原子力災害対策特別措置法の条文に基づく。各自治体は「法的な強制力がないので、強く拒否されれば打つ手がない」と説明する。

 圏内のほとんどの地域で、電気やガスなどのライフラインが止まっている。各自治体は、生存が確認できた世帯には食料を届けているが、最多の34人がいる南相馬市は「説得に応じて避難した人たちとの公平性を欠く」として、説得以外の対応はとっていない。ただ当面の食料があることは確認できているという。
県は「残留者の総数はつかんでいない」としている。26日には、富岡町で寝たきりの高齢者や重病人のいる3世帯5人が発見され、病院に搬送される人も出た。町内は電話がつながらなくなっており、この5人については、情報が寄せられるまで町が所在を確認できていなかった。こうした例からみて、なお未確認の残留者がいる可能性もある。

 ただ、圏内の市町村の多くが役場機能を移転させていることもあって情報収集が難しい状況。自治体側からは、国の主導による確認や説得の作業を求める声が上がっている。(小林誠一)


[2011年3月28日]・・・数兆円の復興交付金、政府検討 国の負担でインフラ復旧
菅政権は東日本大震災で被災した地方自治体を支援するため数兆円規模の「復興交付金」を創設し、社会資本の復旧費用のほぼ全額を国が負担する方向で検討に入った。4月中の国会提出を目指す復興基本法に明記し、春の大型連休前にも編成する新年度第1次補正予算案から数次の予算編成に盛り込んでいく方針だ。

 菅政権は、東日本大震災による道路や港湾、住宅などの社会資本の被害は16兆~25兆円にのぼると試算。自治体だけでは復旧作業は困難とみて、国が全面的に財政支援する方針を固めている。

 枝野幸男官房長官は27日の記者会見で「国として全面的に、自治体の負担なくやりたい」と明言。片山善博総務相も27日のフジテレビの番組で「(自治体負担が)限りなくゼロに近いようにしたい」と語り、社会資本の復旧財源のほぼ全額を国が負担する考えを示した。

 自治体への財政支援には補助金、地方交付税、交付金の3種類がある。補助金は使途が細かく定められて使いづらい。地方交付税は算定基準が複雑で被災地に限って増額することが難しいため、比較的自由に使え、金額も一時的に増やしやすい交付金にすることにした。被災地からも「大規模な災害復興交付金制度が必要」(三村申吾・青森県知事)との声が出ていた。

 民主党の復旧・復興検討委員会(委員長・岡田克也幹事長)の特別立法検討チームが週内にも復興交付金の創設を提言する。菅内閣は提言を受けて、交付金の算定基準など制度の詳細を詰める。財源は赤字国債の増発や復興に特化した増税に加え、新年度予算の組み替えで確保することも検討している。

 民主党は被災住民の住宅再建や集団移転支援、道路・港湾のインフラ改修などでも国の負担率を大幅に引き上げる新規立法を検討しており、復興への国の関与を前面に打ち出す構えだ。(山下剛、野上祐)


[2011年3月28日]・・・東京で桜開花 気象庁発表
気象庁は28日、東京で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。靖国神社(東京都千代田区)にある標本木に5、6輪以上の花が咲いているのを東京管区気象台の職員が同日午前、確認した。約1週間で満開を迎える見通し。東京の開花は平年並みで、昨年よりは6日遅い。
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by nsmrsts024 | 2012-04-25 05:46 | 朝日新聞・綜合、政治

4月24日(火 )・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[バレーボールも持ち主判明 岩手からアラスカ漂着]
米アラスカ湾のミドルトン島で見つかった寄せ書き入りのバレーボールの持ち主は、岩手県田野畑村出身の佐藤詩織さん(19)と23日わかった。「詩織」と大きく書かれたボールは、小学校卒業のとき記念にバレーボール部の後輩から詩織さんに贈られ、津波で全壊した同村羅賀地区の実家から流されたものだった。

 詩織さんは被災後に東武鉄道のグループ会社に就職し、現在は埼玉県内の駅で働いている。同日夜、同県越谷市内で報道各社の取材に応じた詩織さんは「まさか、遠いアラスカで見つかるなんて。本当にビックリしました」と話した。

 この日午後、テレビを見た母親からのメールで、自分のボールがアラスカで見つかったことを知った。寄せ書きの文字がほとんど消えずに残っていることに驚いたという。震災までは、自宅の棚の上に置いたままで眺める機会も少なかった。「戻ってきたらじっくり見て、大事にしたいです」

[兼務五つ、名刺の肩書き70文字 震災で宮城県職員]
宮城県で、長い肩書を持つ職員が増えている。文字数にして70文字前後になったり、五つの仕事を兼務したり――。東日本大震災で仕事が増えたことも影響している。

 《環境生活部廃棄物対策課技術副参事兼技術補佐(総括担当)兼竹の内産廃処分場対策室技術補佐(総括担当)兼震災廃棄物対策課技術補佐(総括担当)》

 4月1日人事で、男性職員は新たに68文字の肩書を得た。「長いですね」

 昨年9月、「震災廃棄物対策課」の職務が加わった。市町村に代わってがれきを処理するため、新設された課だ。今回、「技術副参事」が加わった。

 名刺には、兼務する職務がずらり。住民らと向き合う時、どの立場で相対しているのか、相手が分かるよう気を使う。その時の職務を「○」で囲んで渡すことも多いという。






千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月27日]・・・被災地の小中高、土曜授業も 時間確保へ、文科省認める
文部科学省は、東日本大震災で被災した公立小中高の授業時間数を確保するため、土曜日に授業を行うことを認める方針を固めた。多くの地域や学校で新年度の始業が大幅に遅れ、平日だけでは授業時間が足りなくなるとみられるためで、文科省は「震災で学習環境が悪化した児童生徒にも、将来のために学力をきちんとつけさせる必要がある」と説明している。

 公立の小中高は週5日制。学校教育法施行規則は土日や祝日に授業ができるのは「特別の必要がある場合」に限ると定めている。実際には土曜に授業をしている学校は多いが、これは任意参加の補習や、「地域住民に授業を公開する」などの条件付きで例外的に認められているものだ。

 文科省は、震災による授業時間不足は「特別の必要がある場合」に当たると判断した。今後、被災地の教育委員会に周知していくという。

 文科省は被災県の教委に対し、子どもたちの学習に著しい遅れが出た場合、補習を行ったり宿題を出したりして、可能な限り学力の底上げをはかるよう求める通知も出している。(青池学)


[2011年3月27日]・・・耕せぬ、種まけぬ… 放射能汚染、福島の農家「人災だ」
桃やキュウリ、米などの産地として名高い農業大国・福島県。沿岸部の津波被害だけでなく、福島第一原発からの放射能による水や土壌の汚染が重くのしかかる。

 「アブラナはちょうど食べごろ。これから菜っ葉やジャガイモの種芋をまこうと思っていたところだったのに」

 原発から20~30キロの屋内退避圏内に入っている広野町の自宅から避難して内陸部にいる男性(75)は焦る。25日には政府が屋内退避圏の住民にも自主避難を要請。畑に戻ることすら難しい状況だ。「これは人災。何をいっても通るものでないが……」

 同じ屋内退避圏の南相馬市原町区に住む松浦秀昭さん(68)はいまも自宅に残る。飼育する10頭の馬を捨てられない。幸い、約80アールの水田も津波被害を逃れている。

 「原発の作業員が頑張っており、放射能の影響はない」と松浦さんは信じている。だが、作付けをしようにも、例年なら農協から届く種もみが今年はない。放射能による土壌汚染があるかどうか、それに対する補償があるかどうかを見極めるための検討を続けているからだ。

 すでに文部科学省の調査で、原発から約40キロ離れた飯舘村の土1キロから16万3千ベクレルのセシウム137と117万ベクレルのヨウ素131が検出されている。

 県は25日、県内の全農家に、農作業の延期を要請。米や野菜、花の種まきや苗植えを通常より延期する▽土壌表面の放射性物質の拡散を防ぐため、田畑を耕さない▽出荷停止中の牛乳は堆肥(たいひ)化処理をするとともに、家畜は放牧せずに畜舎内で飼育する――ことなどを求めた。

 仮に、土壌が汚染された場合に対策はあるのか。
金沢大・低レベル放射能実験施設の山本政儀教授(環境放射能学)によると、かつて原発事故が起きたウクライナのチェルノブイリや核実験で被曝(ひばく)したカザフスタンのセミパラチンスクでは、土壌の入れ替えが行われた。表層20~30センチの土壌を薄くはぎ取り、その下1~2メートルの泥を掘り出して、そこに表層部の土を埋める。そのことで放射性物質は上にある土壌で遮られ、大気中に出にくくなるという。

 雨が多い日本の場合、埋めた放射性物質が雨で流され、飲料水に影響する可能性もある。山本教授は「半減期が30年と長いセシウムは地下の粘土鉱物に付着して落ちにくいが、ストロンチウムは流れていく。汚染されていない山を崩すなどして土を完全に入れ替えるのが理想かもしれない」と指摘する。

 福島でそうしたことが必要になるかは、まだ決まったわけではない。まずは作付けが可能かどうか、土壌の入れ替えが必要かどうか、付近一帯の調査を進め、汚染状態を正確に把握する必要がある。もっとも、まだ原発自体が安定していない状況で、県農林水産部の担当者は「まずは農作業の自粛で、放射性物質の拡散を防ぎたい」と話している。(大平要、岩崎賢一、中川透)


[2011年3月27日]・・・海水から基準の1850.5倍のヨウ素 福島第一原発
原子力安全・保安院は27日午前、東京電力が26日午後2時半に福島第一原発付近で採取した海水から、安全基準の1850.5倍の濃度にあたる放射性ヨウ素が検出された、と発表した。

[2011年3月27日]・・・2号機水たまりの放射性ヨウ素、通常冷却水の1千万倍
経済産業省原子力安全・保安院は27日、福島第一原子力発電所2号機のタービン建屋内の水たまりの表面で、毎時1000ミリシーベルト以上の強い放射線量が計測されたと発表した。水に含まれるヨウ素134の放射能の強さは29億ベクレルで、通常の原子炉内の冷却水が持つ放射能の1千万倍にあたる。

[2011年3月27日]・・・水の注文10~20倍 山梨の工場フル回転 心配は停電
被災地支援に加え、複数の都県の水道水から基準値を超える放射性ヨウ素が検出されたことなどからミネラルウオーターの需要が急速に高まっている。日本ミネラルウオーター協会によると、山梨県は2010年には全国の生産数の約3割を占め、全国1位の生産数量を誇る。県内に取水工場を置くメーカーは「被災地や消費者のため」と増産への取り組みに懸命だ。

 「オーダーはふだんの10~20倍。電話はひっきりなし。とても対応できない」。甲州市にミネラルウオーターの生産の主力工場を持つサーフビバレッジの常務取締役三尾秀幸さんは嘆く。

 ミネラルウオーターの工場は東日本大震災の翌日から24時間のフル稼働。それでも生産能力に限界があり、前年同期の約1.8倍ほどしか生産ができていない。そのうえ、別のメーカーに委託しているペットボトルのキャップやラベルの生産工場が被災し、震災後入荷が少ない状態だ。「綱渡り状態。こんな状態が続けば死活問題」とも。

 北杜市白州町に工場があるサントリー。震災後は前年同期比約1.6倍の増産体制だ。広報担当者は「需要は被災地に限らず、全国的に高い」と話し、4月は前年同月比1.5倍の生産を予定している。

 また、同町にミネラルウオーターの主力工場を置くコカ・コーラ社の製品を作っている白州ヘルス飲料の工場でも、被災地向けの生産が続く。節電のため、日中は3分の1ほど工場の電灯が消され、薄暗い。同工場は2月末ごろから、夏の需要に向け、24時間のフル稼働。その中でも、消費者庁が、保存方法などを表示しない出荷を被災地向けに限って認めたことを受け、25日までラベルを貼らないミネラルウオーターの生産も行った。
同工場の黒木政治製造課長(57)は計画停電の影響に頭を悩ます。国からの増産の要請もあるが「3時間停電すると機械の殺菌などのため、10~13時間生産が止まってしまう」という。フル稼働で2リットルボトル25万本、550ミリリットル50万本の生産できるが、停電があれば、生産量は半減する。

 影響は別のところにも現れている。地下水を24時間無料で持ち帰れる道の駅「はくしゅう」だ。

 山口光茂駅長(66)によると、震災後、ガソリンが手に入らなくなったためか、農作物などを売る店舗を訪れる客が半減したという。ところが、安心な水を求めて並ぶ人は逆に増えている。道の駅で扱っている水を入れるボトルの売れ行きは平常時の倍。東京都をはじめ首都圏などで水道水から放射性物質が検出されたとのニュースが相次いでいるからだ。

 あるメーカーの担当者は「(ミネラルウオーターなどの)地下水は水質の変化が少なく安心できる。需要増は当分続くのでは」とみている。(菊地雅敏)


[2011年3月27日]・・・女川の鉄筋ビル、基礎ごと倒れる 津波17メートル超か
東日本大震災で被災した宮城県女川町で、4棟以上の2~4階建てのビルが基礎ごと倒れていたことが、早稲田大の柴山知也教授(海岸工学)らの調査で分かった。津波では壊れにくいと考えられてきた鉄筋コンクリートのビルも含まれ、17メートルを超す津波の強い水流で倒されたらしい。

 ビルの倒壊は町の中心部で確認された。原形をとどめながらも、基礎ごと倒れ、地盤に打ち込んだ杭も一部、引き抜かれていた。船などの漂流物にぶつかられた跡はなく、水流の力だけで倒れたらしい。ビルは鉄骨造りのほか、古い鉄筋コンクリート製とみられるものもあった。

 柴山さんの計測では、女川町中心部を襲った津波の高さは17.6メートル。女川湾の入り口に造られていた大型の防波堤も倒れて水没、防潮堤のない中心街を守るとりでが無くなっていた。柴山さんは、外海からの津波が湾を一気に通り抜けて高さと威力を増し、一気に建物を壊したとみる。

 一方、同県南三陸町の中心部の調査では、津波の高さは15.4メートルだったものの、女川町のように倒れたビルはみられなかった。南三陸町が面する志津川湾は、湾の奥の形がとがっていないため、柴山さんは「とがった湾の形状で、津波の水流が一部に集中する女川湾とは、状況が違ったのかもしれない」と話す。

 一般に鉄筋コンクリートのビルは津波の力では倒れにくいと考えられ、高台が近くにない場合などで津波から避難する場所にも指定されている。柴山さんは「女川では鉄骨造りも含め、基礎ごと倒れていることが深刻。湾奥を襲う津波の水流のすさまじさが示された珍しい例と言え、今後の津波避難ビルのあり方の検討が必要だ」と話した。(長野剛)


[2011年3月27日]・・・国の宿舎4万2千戸、被災者受け入れへ 相談窓口紹介
菅政権の被災者生活支援特別対策本部は27日、東日本大震災の被災者を受け入れることが可能な国の宿舎などの総戸数を発表した。国家公務員宿舎や公営住宅などをあわせ、全国で計4万2145戸。政府は「被災者向け公営住宅等情報センター」で個別の問い合わせを受け付けるとともに、都道府県の相談窓口を紹介するとしている。同センターの電話番号はフリーダイヤル0120・297・722(午前9時~午後6時)。

[2011年3月27日]・・・宮城の死者6477人、「阪神」超す 警察庁集計
東日本大震災による死者は27日、警察庁の集計(午後3時現在)で1万668人となった。宮城県の死者だけで6477人にのぼり、1995年の阪神大震災の死者6434人を超えた。

 警察が遺体の状況を確認した1万人超のうち、身元が判明しているのは約7700人分。4分の1にあたる約2800人分は身元が分かっていない。

 警察に届け出のあった行方不明者は6県で1万6574人。家族ごと行方不明になって届けが出ていないケースもあるとみられる。

 宮城県以外の死者は、岩手県で3185人、福島県で948人など。福島県では、福島第一原子力発電所の事故にともなう避難指示などで遺体の収容が進んでおらず、死者数はさらに増える可能性がある。


[2011年3月28日]・・・備蓄ガソリン、無料配給 スタンド全滅の岩手・陸前高田
市内すべてのガソリンスタンドが使えなくなった岩手県陸前高田市で27日、国の備蓄ガソリンの無料配給があった。市が国に要請し、県内で初めて実現した。自衛隊が宮城県から運び、市内5カ所で市職員や消防団員が手動ポンプで車に給油した。同市によると1人20リットルで、29日までに計4万リットルを配る予定という。

 給油は、同市が事前に配ったチケットと引き換え。同市横田町狩集の給油所跡地では、午前9時の開始前から約50メートルの列ができた。

 弟が行方不明になっている菅野昭さん(76)は、24日に岩手県大船渡市で給油して以降、弟の捜索でガソリンを使い続けた。「これでまた弟を捜しに行けます」と話した。

 鈴木幹さん(74)は、最後に給油したのが23日。その日は朝4時に起きて隣町のガソリンスタンドまで行き、約3時間待ったが、そのガソリンもあとわずかしか残っていなかった。「本当に感謝です」と顔をほころばせた。

 市は、各地区の「コミュニティー推進協議会」を通じて、誰にチケットを渡すかを決めたという。市の担当者は「誰にチケットを渡すのか線引きが難しかった。コミュニティーにゆだねた」と話した。(小泉浩樹)


[2011年3月28日]・・・津波耐えた一本松「復興シンボルに」 岩手・陸前高田
海岸沿いに数万本の松が並んでいた名勝、岩手県陸前高田市の高田松原。いま、津波に耐えた1本の松が残っている。

 高田松原は、砂浜に約2キロにわたって弓なりに松が続いていた。県観光協会によると、約350年前に農作物を潮風から守る防潮林として植えられ、昨年は約104万人の観光客が訪れたという。

 津波の被害を受け、ほとんどの松の幹が折れ、その周りに枝やがれきが散乱している。その中に1本だけ、まっすぐ立っている。県観光協会の担当者は「松は陸前高田のシンボルなので、1本でも残ったのはうれしい。復興のシンボルにもなってほしい」と話している。(宮沢賢一)


[2011年3月28日]・・・経団連の救援物資船、八戸到着 146トン分を被災地へ
日本経団連の「救援物資ホットライン便・第1便」を載せた日本郵船の最新貨物船「YAMATAI」(1万4538トン)が27日、青森県八戸市の八戸港に到着した。

 救援物資は、関西中心の経団連会員企業など47団体から集まった灯油やガスコンロ、コメなど146トン分で、船は24日に神戸港を出発した。青森県内の大型トラック9台に積み替え、28日に被害の大きかった岩手県の沿岸7市町村や宮城県に向けて出発する。

 2010年完成の同船は全長162メートル。平らな甲板に住宅やタンクローリーも載せられる。経団連の井上隆主幹は「船の特徴を生かし、被災地に必要なものを届けたい」と話した。次の運搬は4月の予定で、岩手県の釜石港などへの入港も検討する。

 小田武船長は「船員21人が特別なミッションに誇りを持っている。要請がある限り役に立ちたい」と話した。



[2011年3月28日]・・・2号機汚染水、15分で被曝上限 放射能大量流出の恐れ
経済産業省原子力安全・保安院と東京電力は27日、福島第一原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)の2号機タービン建屋地下にたまった水の表面から毎時1千ミリシーベルト以上の強い放射線量を計測したと発表した。作業員の被曝(ひばく)線量の上限は250ミリシーベルトで1時間で4倍の量を浴びる計算になる。同原発でこれまで測定された線量では最大の値だという。炉内の燃料が崩壊し大量の放射性物質が漏れ出た可能性が高い。

 保安院や東電によると、2号機タービン建屋のたまり水の表面で26日、毎時1千ミリシーベルト以上を計測した。測定作業ですぐに針が振り切れたため、測定員は測定を中止して退避した。シーベルトは、放射性物質の種類ごとにエネルギーが違うことなどを考慮した人体への影響を示す単位。今回の作業のために100ミリシーベルトから緩和された250ミリシーベルトの上限に達しないようにするにはその場に15分といられない。

 また、26日に採水し調べたところ、高い放射能のヨウ素131やセシウム137などを計測した。さらに、半減期が53分と短いヨウ素134についても、炉内の冷却水より1千万倍強い濃度を検出したと27日午前にいったん発表した。このため炉内で部分的に核分裂反応が続いている可能性があるとの見方も出た。だが原子力安全委員会からの指摘もあり測り直したところ、実際は検出できないほど低い濃度だったとわかり、28日未明に訂正した。1号機と3号機のたまり水で計測した放射能の値も再度確認するという。

 2号機の水は、何らかの形で回収する計画だが、ポンプの復旧などに向けた電源ケーブルの敷設作業に支障が出る可能性がある。

 24日に3号機タービン建屋地下のたまり水で作業員3人が被曝。他号機のタービン建屋でも水が見つかり、東電が調べていた。3号機で事故後に検出したのは390万ベクレルで、通常の炉内の水の1万倍。26日時点で1号機、3号機は通常の千倍程度だった。

 検出された放射性物質には燃料が核分裂してできる物質が含まれていた。半減期が8日と短いヨウ素131などが多量に含まれることなどから、保安院は、炉から取り出して時間が経っている燃料のプールより、原子炉から漏れ出た恐れが強いとみている。

 2号機は炉心の水位が低い状況が続き、格納容器につながる圧力抑制室が爆発で壊れた疑いがある。燃料や放射能の閉じこめ機能の損傷が進んでいる可能性がある。

 このほか、東電が26日午後2時半に福島第一原発放水口付近で採取した海水から、安全基準の1850.5倍の濃度にあたるヨウ素131が検出された。前日の1250.8倍に比べ、増加傾向にある。保安院は「健康被害を心配する状況ではない」としているが、汚染源や推移を注視している。

 2号機では25日、原子炉建屋の搬出口付近の屋外で水が流れた跡が見つかり毎時15ミリシーベルト程度を計測した。タービン建屋の水や、海水の汚染との関連は不明。
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by nsmrsts024 | 2012-04-24 11:04 | 朝日新聞・綜合、政治

4月23日(月 )・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[持ち主は被災地の高校生 アラスカ漂着のサッカーボール]
米アラスカ湾のミドルトン島で見つかったサッカーボールは、東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市の高校2年生、村上岬さん(16)のものと分かった。自宅を津波で失った村上さんは「まさか何千キロも離れたアラスカで見つかるなんて」と喜んだ。

 ボールは7年前、小学校を転校した時に、同級生や担任の先生からもらったものだった。いつもベッドのそばに網に入れてつるしていたが、自宅は津波で流失。水がひいた後、何度も自宅跡に足を運んだが、何も見つからなかった。「自分の持ち物が何一つ見つかっていなかったので、とてもうれしい」

 一方、ボールを見つけたアラスカ州カシロフに住む米連邦航空局(FAA)の技術者デビッド・バクスターさん(51)は「妻が日本人だった偶然もあって、持ち主に届けるのは自分の使命だと感じている。無事に返したい」と語った。

[7市町村、5年後も20ミリSv超 「除染なし」想定]
東京電力福島第一原発の周辺で、帰還できない年間放射線量20ミリシーベルト以上の地域は、除染をしなければ5年後も7市町村に残ることがわかった。野田政権が22日、福島県双葉郡との意見交換会で初めて予測図を公表。今後、避難者の意向調査を踏まえ、帰還に向けた支援策を具体化させる方針だ。

 今回の予測図は、避難住民や自治体が将来の帰還計画を判断する材料になる。昨年11月の航空機によるモニタリング調査結果をもとに除染を実施しない場合を想定。立ち入りが制限されている原発から3キロ圏内を除き、2032年3月末までの年間放射線量の予測値を示した。

 5年後の2017年3月末の時点で20ミリシーベルト以上の地域は南相馬市や飯舘村など7市町村で、10年後も6市町村にわたる。一方、年間50ミリシーベルト以上の地域は、5年後で原発が立地する双葉町と大熊町を含む4町村。10年後には、双葉・大熊両町の一部境界などに限られる。

[渋谷で脱原発求めるパレード 1千人が参加]
脱原発を求めるパレードが22日、東京都内であった。主催者の集計によると約1千人が参加。約3キロをデモ行進した。

 代々木公園(渋谷区)で開催された環境イベント「アースデイ東京」の一環。5月5日の「こどもの日」に、北海道電力泊原発の3号機が定期検査入りし、国内で稼働する原発がゼロになることから、緑色のこいのぼりを掲げて「子どもたちのために原発のない未来を」と訴えた。

 友人と一緒に子ども連れで参加した横浜市の安住ふみさん(33)は「原発のリスクを負ってまで、これ以上経済を発展させる必要はない」と語った。






千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月26日]・・・福島・関東の放射線量は低下傾向 東北の一部は上昇
福島第一原発事故の影響で上昇した福島県や関東地方の大気中の放射線量は26日午前、引き続き、低下傾向だった。ただ、東北地方の一部で測定値が上がった。25日夜以降、断続的に雪や雨が降っている影響とみられる。

 大気中の放射線量が平常値を上回っていたのは宮城、山形、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川。原発建屋の爆発などで放出された放射性物質が雨によって落下して一時、放射線量は上昇したが、ここ数日、減少傾向が続いている。

 福島県では26日午後2時現在、福島市で1時間あたり3.94マイクロシーベルト、飯舘村で9.43マイクロシーベルトなどと前日より微減した。関東では、東京都新宿区が0.121マイクロシーベルト、さいたま市0.101などと少し下がった。一方、新潟県の新発田市や山形県米沢市ではわずかに上昇した。


[2011年3月26日]・・・過酷労働もう限界、両親は不明…原発の東電社員がメール
東京電力の福島第二原子力発電所で働く女性社員が、東電本社の幹部に、現場の状況を電子メールで伝えてきた。事故を起こした企業の社員であり、被災者でもある立場の苦しさもつづっている。両親の行方はわからないという。

 メールを受けた幹部はかつて女性の上司として第二原発で働いていた。幹部からメール転送された東電関係者が、社員の名と所属を伏せて記者に見せた。関係者は「いまの状況で見せることが適切なのか迷ったが、社員の希望でもあり、現場の様子を知る参考にしてほしい」と話す。

 メールの送信日時は23日正午過ぎ。送り主は46歳の事務職の女性社員だ。次のような内容でつづられている。

 「1F(福島第一原発)、2F(第二原発)に働く所員の大半は地元の住民で、みんな被災者です。家を流された社員も大勢います。私自身、地震発生以来、緊急時対策本部に缶詰めになっています。個人的には、実家が(福島県)浪江町の海沿いにあるため、津波で町全体が流されました」

 「実家の両親は津波に流され未(いま)だに行方がわかりません。本当なら、すぐにでも飛んでいきたい。でも、退避指示が出ている区域で立ち入ることすらできません。自衛隊も捜索活動に行ってくれません。こんな精神状態の中での過酷な労働。もう限界です」

 福島第一、第二原発では、2010年7月時点で東電の社員約1850人、関連会社や原発メーカーなど協力企業の社員約9500人が働いている。東電によると、9割が福島県内在住で、そのうちの7~8割は原発周辺の双葉地域の住民。事故後は東電、協力企業の地元社員だけでなく、全国から集められた社員らが交代で作業している。
「被災者である前に、東電社員としてみんな職務を全うしようと頑張ってます。特に2Fは、自分たちのプラントの安全性の確保の他に、1F復旧のサポートも同時にやっていた状況で、現場はまるで戦場のようでした。社員みんな心身共に極限まできています。どうかご理解下さい」

 「今回の地震は天災です。でも、原発による放射性物質の汚染は東電がこの地にあるせいです。みんな故郷を離れ、いつ戻れるかどうかもわからない状況で、不安を抱え怒りを誰にぶつけてよいのか分からない! それが今の現実です」

 社員は「この現実を社内外に届けてください」と伝え、本社の支援を求めている。(永田稔)


[2011年3月26日]・・・北海道、被災者1万人受け入れへ 大型バスで出迎えも
東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手、宮城、福島の3県などの被災者について、北海道は1万人規模で受け入れる方針を決め、25日に発表した。公営住宅以外にもホテルを借り上げて住まいを確保するとともに、大型バスで被災地まで出迎えたり、生活費を無利子で融資したりすることで、積極的に被災者を支援する考えだ。

 一連の費用は2011年度補正予算案として、30日に開かれる臨時道議会に提案する。

 被災者向けの住まいとしては、道や道内市町村が計約2千戸の公営住宅を用意している。ただ、1万人規模で被災者を受け入れた場合、さらに住まいが必要になると判断し、ホテルなどの宿泊施設を借り上げることにした。予算は1億5千万円を計上する。

 被災者の移動の負担を軽減するため、道が大型バスを借り上げ、被災地まで出迎えることも決めた。道内入りに利用するフェリー代、バスの借り上げ費、添乗する道職員の旅費など、関連経費は計8800万円。

 被災者の生活経費向けの融資制度も実施する。公営住宅に入居する際に必要となる布団や食器といった生活用品の購入経費などを想定しており、無利子で最大50万円まで貸し付ける。

 これらの支援策は、補正予算成立後、3県などと調整のうえ実施時期を決める。

 補正予算案は総額約23億円にのぼる。その中には、道教育委員会の教育費計7317万円も盛り込まれた。津波被害で就学が困難となった道内の公立高校生や、被災地から道内の公立高校に転入してきた生徒ら計130人に対し、月額平均2万円を1年間貸し付ける制度や、道内に避難してきた児童・生徒の心のケアや保健指導にあたるスクールカウンセラー、退職した養護教諭を派遣するシステムなどを実施する。


[2011年3月27日]・・・「魚食べて心配ない」 原子力安全委員長、海水汚染巡り
福島第一原発事故の影響で、原発からの排水が基準の千倍を超すなど、周辺海域で放射能汚染が深刻化している。これに対し、原子力安全委員会=班目(まだらめ)春樹委員長=は26日、「放射性物質は海では希釈、拡散される」として、人が魚を食べてもまず心配はない、との見方を示した。

 東京電力による原発の放水口付近の調査では、25日朝にヨウ素131が1立方センチあたり50ベクレル、セシウム137が同7.2ベクレル検出された。原発の排水を規制する基準に照らすと、ヨウ素は1250倍、セシウムは79倍にあたる。東電は、1日1回だった測定回数を2回に増やすことにした。

 一方、文部科学省が23日から原発の沖合約30キロ地点で調べると、最大で1リットルあたりセシウムが26ベクレル検出。飲用水の基準に比べると、7分の1以下だが、09年度に調べた通常値の1万倍を超えていた。

 海洋生物への影響について、原子力安全委員会は26日、「排水口付近では濃度が高いが、魚介類に取り込まれるまでに潮流に流されて拡散、希釈される。さらにヨウ素は半減期が8日と短いため、人が食べるまでには相当低減していると考えられる」とした。

 一方で、財団法人海洋生物環境研究所の御園生(みそのう)淳研究参与(環境放射能)によると、濃度が高いと魚類が取り込んだ放射性物質が体内で最大で海水の30~50倍の濃度まで蓄積されることもあるという。半減期が30年のセシウムは心配が残るという。「2~4カ月で魚に影響が出ることもある。継続的な広域の調査が必要。消費者や漁業者の安心にもつながる」と指摘した。


[2011年3月27日]・・・大船渡市、低地の住宅を高台に移す計画 首相に支援要請
岩手県大船渡市の戸田公明市長は26日の記者会見で、津波で甚大な被害があった低地の木造住宅を、高台に移す意向を示した。同日の菅直人首相との電話会談でこの要望を伝え、国に対して支援を求めたという。低地の住宅跡地は市が買い取ることで、スムーズに住民が移転できる仕組みをつくりたいとしている。ただ、法的な制約や財源の措置などハードルは高い。

[2011年3月27日]・・・ドイツで反原発数万人デモ 福島事故受け「即時停止を」
【ベルリン=松井健】ベルリンやハンブルクなどドイツ国内の4都市で26日、原発の運転中止を求める数万人規模のデモがあり、参加者は「福島の後では原発を即座に止めるという結論しかない」などと訴えた。福島第一原発事故を受け、ドイツでは反原発運動が盛り上がっている。ドイツ政府は事故後、国内の原発の運転期間を延長する政策を凍結し、1980年までに稼働開始した原発7基の運転を3カ月間停止している。

[2011年3月27日]・・・タービン建屋地下の排水難航 原子炉冷却作業、足踏み
東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)のタービン建屋の地下にたまった高濃度の放射能を含む水の処理が難航している。1号機で続く排水作業は、26日になっても終わらず、炉心の冷却に使うポンプに電力を送るめどはたっていない。

 タービン建屋の地下に水がたまり、高い放射線量が確認されたのは1~3号機。このうち1号機では、24日から排水の作業が始まった。排水用のポンプを水中に入れ、タービン建屋の中にある復水器というタンクに移す計画だ。

 しかし、建屋そのものが広いうえ、廊下などにも水がたまり、作業が滞っている。排水が終わったとしても、洗浄をしないと、その後の作業を再開できないという。

 経済産業省原子力安全・保安院によると、1~3号機では地下の水がじゃまをして、電源ケーブルの敷設作業が中断している。ケーブルは、炉心の本格的な冷却に必要なタービン建屋内のポンプを動かすのに必要だ。このポンプが動かなければ、消防ポンプに頼るいまの状況が続く。

 保安院は、水の漏出の源は原子炉と推測する。「圧力容器や格納容器が大きく損なわれているわけではない」とする一方、「今も漏れ続けている可能性は否定できない」と説明している。

 3号機のタービン建屋では24日に水につかりながら作業をしていた3人が両足を被曝(ひばく)した。その6日前の18日に、別のタービン建屋で高い放射線量が確認されながら、被曝した作業員らに伝えられなかった。東電は26日午前、高い放射線量が確認されたのは1号機と説明していたが、午後になって2号機だったと訂正した。測定された放射線量は毎時500ミリシーベルト相当だったという。

 炉心の冷却作業は2号機では海水を使っていたが、26日午前に真水に変更し、地震発生時に運転していた1~3号機のすべてで真水に切り替わった。2号機では同日午後、中央制御室の照明がついた。

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by nsmrsts024 | 2012-04-23 12:14 | 朝日新聞・綜合、政治

4月22日(日 )・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[輪になって立ち上がろう 宮城の仮設住宅でギネス挑戦]
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県東松島市の仮設住宅で21日、住民らがギネス記録に挑戦した。「123人が輪になって腕を組み、一斉に立ち上がる」▽「225人で『かえるの歌』を少しずつ歌う」――という記録に挑んだ。

 運動公園にある仮設住宅には、約400戸1100人が暮らすが、部屋に閉じこもりがちな住民もいる。「一度に多くの人たちが参加して、楽しめる花見にしたかった」と自治会長の小野竹一さん(64)。ボランティア団体に相談し、ギネス挑戦を思いついた。一斉に立つことはできなかったものの、「かえるの歌」は成功。週明けにもギネスに申請するという。

[被災地のサッカーボール?アラスカ湾の島に 名前も記載]
東日本大震災の被災地から流れて来たとみられるサッカーボールとバレーボールが、米アラスカ湾のミドルトン島で見つかった。米海洋大気局(NOAA)が19日、サイトで公表した。

 NOAAによると、地元の技術者の男性が、海岸に打ち上げられたボールを発見した。サッカーボールの表面には日本語が書かれており、発見者の妻が調べたところ、津波の被害を受けた地域にある学校名が書かれていたことがわかった。サイトに掲載された写真には「祐輝」「明紀」「俊輔」の3人の名前も写っている。

 NOAAは在シアトル日本総領事館などと連絡を取り合い、持ち主を探して返還したいとしている。(ロサンゼルス=藤えりか)






千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月26日]・・・東電、1号機の高放射線量を事前把握 作業員らに伝えず
東京電力福島第一原子力発電所(福島県大熊町、双葉町)3号機のタービン建屋内で起きた作業員3人の被曝(ひばく)で、3人が作業に入る6日前の18日、1号機のタービン建屋地下で高い放射線量を確認しながら、東電は作業員らに注意喚起をしていなかったことがわかった。東電は「情報共有が早ければ被曝を防げた可能性があった」と認め、謝罪した。

 東電福島事務所によると、6日前の18日、1号機のタービン建屋地下1階で作業した際に放射線量を測定、作業員の被曝線量の上限(250ミリシーベルト)に迫る毎時200ミリシーベルトと高いことを確認していた。

 一方、3人の作業員が3号機で作業を始めたのは、24日午前10時半ごろ。作業員には1号機の情報は伝わっていなかった。

 3号機では前日にはなかった水が深さ15センチになっていたが、3人は前日の作業では線量が低かったこと、「タービン建屋は通常、線量が高い場所でない」と思っていたことなどから、水につかって作業をして、局所被曝した。18日のデータが事前に伝わっていれば、作業員らの思い込みを防げた可能性がある。

 東電福島事務所の小山広太副所長は「1号機の現場の状況の情報をしっかり各現場で作業している人たちに注意喚起していれば、今回の被曝は防げたと思っており、反省している」と謝罪した。

 東電は建屋内に津波による海水が残っていると考えて排水を検討。その準備として水を分析するため、24日午前9時半に1号機で水を採取、分析した。東電や経済産業省原子力安全・保安院によると、3号機と同様、通常の原子炉内の冷却水より約1万倍強い、1立方センチ当たり380万ベクレル(放射能の単位)の放射能が検出された。

 含まれている放射性物質の種類は3号機とほぼ同じだった。セシウム137など燃料に含まれる物質が検出されており、原子炉内から漏れ出した可能性がある。
保安院は3号機の水の発生源について、使用済み核燃料の貯蔵プールよりも原子炉内の可能性の方が高いとの見方を示した。

 東電はまた、2号機のタービン建屋地下でも表面付近で毎時200~300ミリシーベルトの高い放射線量の水がたまっていることを明らかにした。これにより、高い放射線量の水がたまっていたのは1、2、3号機となり、今後、配管の損傷などからどういう経路で漏出が広がったのかを調べていくことになる。

 水たまりの深さは3号機で最大1.5メートル、2号機は1メートル、1号機は40センチ。4号機でも、放射性物質の状況は不明だが、80センチの水がたまっているという。


[2011年3月26日]・・・九州・四国へ疎開…申請ゼロ 宮城「できれば近隣で」
被災者の一時的な「疎開」を計画している宮城県が、被災した自治体に受け入れ先の情報提供を始めた。だが、25日までに申し込みはゼロ。住み慣れた土地に愛着を持つ避難者が多いようだ。

 県は22、23の両日、津波の被害を受けた14市町に集団避難の狙いを説明。第1次分として、すぐに受け入れ可能な長崎県と徳島県を紹介した。

 徳島県は公営住宅など53世帯分、長崎県は「ハウステンボス」や雲仙温泉のホテルなどに計538世帯分を用意した。原則無料で、徳島県では1世帯30万円の生活資金も配られる。交通費も自治体の負担。宮城県の担当者は「希望者がいれば、すぐに移れる準備をしている」と話す。

 しかし、25日夜までに希望者からの申し込みはない。

 宮城県が集団避難を促す背景には、同日時点で約9万1千人もの被災者が避難所で暮らしている実態がある。電気などのライフラインの復旧に伴い、一時は30万人超だった避難者は3分の1以下に減った。一方、今も避難所に残る人々の多くは、帰るべき家を失っていることになる。

 村井嘉浩知事は現在までに仮設住宅1万戸を発注しているが、最終的な必要戸数は「2万~3万戸」と予測している。まず1千戸を28日に着工するが、全員が入居できるまでに1年以上かかる恐れがある。また、甚大な被害を受けた地域ほど、仮設住宅にふさわしい用地は見つかりにくい。

 このため、村井知事は「一時的」と強調しつつ「環境のいい場所に移っていただき、コミュニティーを維持してもらうのが望ましい」と語る。

 県が14市町の意向を尋ねたところ、否定的な回答はなかった一方で、「できるだけ近隣で探した上で、無理ならお願いしたい」という意見があったという。被災市町側が期待するのは、県内陸部など被害の少ない自治体への避難だが、内陸にもガスや水道が復旧していない市町村がある。
2次避難者の受け入れに手を挙げる自治体は、ほかにも関西や四国、九州などで相次いでいる。しかし「供給側」と「需要側」の思いは簡単にはマッチしない。宮城県の担当者は「被災者や市町の意思を尊重しながら進めたい」としており、今後も反応が芳しくない場合は、より短期の県外避難計画も考える方針だ。(高橋昌宏)


[2011年3月26日]・・・17都県、24万4339人が避難〈26日午後3時〉
警察庁のまとめでは、26日午後3時現在の避難者数は17都県で計24万4339人だった。

 確認されている避難者数は福島8万6308人、宮城8万6267人、岩手4万3728人、新潟7532人、埼玉3465人、山形3327人、群馬3137人、茨城2734人、栃木2689人、千葉1414人、東京981人、山梨740人、神奈川547人、静岡407人、長野390人、秋田353人、青森320人。


[2011年3月26日]・・・死者1万418人、不明1万7072人―26日午後3時
警察庁によると、26日午後3時現在の死者数は12都道県で1万418人にのぼった。行方不明は6県で1万7072人。負傷者は18都道県で2777人。

 確認されている死者数は宮城6333人、岩手3123人、福島904人、茨城20人、千葉17人、東京7人、栃木と神奈川で各4人、青森で3人、北海道、山形、群馬で各1人。行方不明となっているのは宮城6240人、福島5950人、岩手4878人、千葉2人、青森、茨城各1人。

 建物被害は全壊1万8803戸、流出は1165戸、全半焼148戸など。道路被害は2086カ所にのぼる。

 また、同日午前10時現在、死亡した人のうち身元が確認されたのは約7270人。このうち約6860人が遺族らに引き渡された。


[2011年3月26日]・・・「汚染情報なぜ共有しない」東電の対応、専門家ら批判
東京電力福島第一原子力発電所3号機のタービン建屋内で起きた作業員3人の被曝(ひばく)事故をめぐり、東電側が1号機の同建屋でも同様の放射線量を6日前に把握しながら、注意喚起していなかったことが判明。東電側は26日、後手にまわった対応への釈明に追われた。専門家らは、ずさんな安全管理を批判している。

 同日午前の東電本社。連日の記者会見に姿を見せた福島第一原発の藤森昭彦・環境担当は、注意喚起がなかった理由を問われ、言葉に窮した後、「十分な情報共有がなされていなかった。現場の混乱があったと思われる」。絞り出すような声だった。1号機関連の高い放射線量の公表が遅れたことについても、吉田薫広報部部長が「申し訳ない」と述べるにとどまった。

 経済産業省原子力安全・保安院も、東電から1号機関連の報告を25日未明に受けながら、公表したのはほぼ1日後。西山英彦審議官は「3号機に神経が集中していたという事情があった」と釈明。ある保安院職員は「バタバタした状況が続いて、保安院でも情報整理ができていないのだ」と混乱ぶりを嘆いた。

 元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二さん(原子核工学)は、「情報共有されていなかったことは非難されるべきだ。一義的には放射線管理担当者の責任だと思うが、組織としてずさんだったと言われても仕方ない」と東電の対応を批判。同実験所の小出裕章助教(同)は、「作業員は非常に困難な状況で、一刻も早く冷却ポンプを復活させようと水に入ったのだろう。これを教訓に、東電側は情報を共有させ、作業員一人一人の身を守ることを考えないといけない」と話す。

 また、宮崎慶次・大阪大名誉教授(原子炉工学)は、「長靴を履いていれば、水につかって作業してもやむを得ない放射線量だった。直接肌に触れることの危険性が、現場で作業する人にどの程度伝わっていたのか。東電が協力会社側にも十分に注意し、管理する必要があった」と指摘した。

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by nsmrsts024 | 2012-04-22 07:40 | 朝日新聞・綜合、政治

4月21日(土 )・・3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と1カ月

[飯舘村、隣町に自前の小学校舎 間借り終え児童に笑顔]
原発事故で村ごと避難が続く福島県飯舘村が、隣の同県川俣町に小学校の校舎を造り、20日、開校式があった。これまで、村の三つの小学校が同町内の中学校1カ所に間借りしていた。鉄骨むき出しの仮設ながら自前の校舎ができ、子どもたちがのびのび学校生活を送れるようになった。

 3月までの間借り授業では、体育や音楽、理科の実験などの教室の確保が難しかった。新校舎は村が購入した空き地に建てられた。2棟で、16の教室と職員室、保健室などがあり、校庭や体育館の広さは村の学校と変わらない。費用は土地代を含め5億6千万円で、大半が国の補助と日本赤十字社の寄付で賄われた。

 新校舎は今月から利用が始まり、飯樋(いいとい)小の加藤裕紀教頭は「子どもたちに笑顔が増えた」と言う。6年生の今野凱斗(かいと)君(11)は「きれいで広くて図書室もあるし、校庭で思い切り遊べるのがうれしい」と話した。

[福島のコメ農家、風評被害の賠償申し立て 総額35億円]
東京電力福島第一原発事故に伴う農地の除染費用や風評被害による損害などの賠償を求めて、福島県のコメ農家3人が20日、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)に申し立てをした。

 3人は、大玉村の男性(62)=耕作面積約9ヘクタール=と二本松市の男性(62)=約13ヘクタール=、猪苗代町の男性(62)=約40ヘクタール。請求額は約7億~19億円で、3人の総額は約35億円。

 請求の多くは除染にかかる費用という。国が勧める、表土を削り取る除染方法や土を掘り返す反転耕といった方法では、「安全で消費者に求められるコメは作れない」と主張。汚染されていない土を新たに盛り土する「客土」という方法を求めている。1ヘクタールあたりの経費を約4700万円として算定したという。

[食品の放射能検査「独自基準やめて」 農水省が通知]
食品の放射性物質検査をめぐって、農林水産省は20日、スーパーや食品メーカー、外食産業などの業界団体(270団体)に対し、国が設けた放射性物質の基準を守るよう求める通知を出した。国よりも厳しい独自基準を設けて自主検査を実施し、「『放射性物質不検出』の食品しか売りません」などとする動きに歯止めをかけるのが狙いという。

 国は4月から、それまでの暫定基準を改め、新基準(一般食品の放射性セシウムは1キロあたり100ベクレル、牛乳と乳児用食品は50ベクレル、飲料水10ベクレル)を施行した。

 通知は同省食料産業局長名で出され、民間に広がる自主検査に対する注意喚起の形をとっている。通知は、この新基準が国際的な指標と比べても、さらに厳しい設定であることを強調。「過剰な規制と消費段階での混乱を避けるため、自主検査においても食品衛生法の基準値に基づいて判断するよう周知をお願いします」と記している。






千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた空から降る核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)

[2011年3月26日・・・地震、津波、原発…かつてない災害、ボランティア手探り
扉が開くたびに、雪が残る屋外から冷たい風が吹き抜ける。津波や原発事故で家を追われた約500人が身を寄せる山形県米沢市の市営体育館。寒さと不安に満ちた避難所の一角に、ふわふわと湯気が立ちのぼった。

 「足湯、始めます」。地元の学生らでつくるボランティアが段ボールで作った看板を立て、被災者に声をかける。神戸のボランティア団体「被災地NGO恊働センター」の吉椿(よしつばき)雅道さん(43)が指導する「足湯隊」だ。

 退屈していた子どもたちが真っ先に集まってきた。お年寄りも遠慮がちに続いた。一人ずつパイプ椅子に腰をかけ、湯をはったたらいに足をつける。ショウガ入りのお湯が、足の裏から体を温める。

 福島第一原発の半径20キロ圏内にある福島県楢葉町(ならはまち)から避難してきた関本吉一さん(63)は指先や手のひらのマッサージを受けながら、ポツリポツリと漏らした。「つらいよ。家があっても帰れない」

 足湯隊の一人で、通信制高校で学ぶ田井治尚(たいじ・しょう)さん(21)=米沢市=はじっと耳を傾けた。「僕たちができることをやりますから」。約15分のマッサージが終わる頃、そう励ました。

 田井治さんは地震の後も、アルバイト先のコンビニ店で夜勤を続けていた。すると、福島から次々と被災者がやって来た。けがをしている人、着の身着のままの人……。せっぱ詰まった表情に、テレビで見ていた大災害が自分の中でも現実になった。「何かしたい」と、山形県庁でボランティアを始めた高校の先輩を訪ねたら、米沢入りした吉椿さんらを紹介された。

 足湯を始めて25日で1週間。常連さんもできた。でも足湯のさなかに被災者がうかがわせる恐怖感や喪失感には返す言葉が見つからない。

「今僕たちにできるのは、ストレスやマイナスの気持ちを受け止め、痛みを分けてもらうこと」。そう心に決めて寄り添う。

 足湯隊の学生らは約10人。指揮する吉椿さんは、被害が大きい宮城、岩手両県などに入って若いボランティアが活動できない現状に、もどかしさを感じている。2008年の中国・四川大地震でもがれきの片づけに取り組むなど、数多くの被災地を訪れてきた。だが、今回の状況はどこよりも過酷だと感じる。

 それでも、できるだけ早いうちに現地での安全を確保し、米沢で育てたボランティアを宮城などに送り込みたいと考えている。

 「地震、津波、原発。二重三重の災害に苦しむ人たちを決して見捨てない」

      ◇ 

 個人のボランティアは通常、各市町村の社会福祉協議会が設置するボランティアセンターに申し込み、割り振られた仕事を担当する。全国社会福祉協議会(全社協)によると、24日までに岩手、宮城、福島3県の計57市町村にボランティアセンターが設置されている。

 ボランティアをしたい、という希望は多く寄せられている。たとえば東京ボランティア・市民活動センターの、被災地のボランティア募集情報をメールで配信するシステムには、1500件を超える希望者が登録した。しかし、紹介できたのは支援物資の都庁での仕分けなどわずかだ。

 大半のセンターがボランティア登録の条件を、地元住民や自転車で被災地に通える人に限っているためだ。人手は足りないが、ガソリンが不足し、ボランティアを遠方から運べない。避難所に物資が十分に行き渡っておらず、食料も確保できないし、宿泊施設もないという。

 壊滅的な被害を受けた沿岸部では、遺体の収容が続いている。余震も収まらず、満潮のたびに道路がひざ上まで冠水するところもあり、二次災害の危険が残る。福島第一原発の事故に収束の兆しが見えないことも、受け入れが進まない要因になっている。


[2011年3月26日]・・・御用邸の風呂、被災者へ提供 眞子さまらタオル袋詰め
那須御用邸(栃木県那須町)の職員宿舎の温泉風呂が東日本大震災で同県に避難した人たちに26日から提供されるのを前に、宮内庁職員と皇宮警察の護衛官から集まったタオル計約3400枚が25日までに運び込まれた。同庁によると、タオルの袋詰め作業には、秋篠宮妃紀子さま、長女眞子さま、次女佳子さまも参加。同庁本庁舎で24日午後、職員と一緒に1時間半ほどかけて1セットずつポリ袋に詰めたという。

[2011年3月26日]・・・米国から「ロボット消防士」 福島第一原発に投入へ
米アイロボット社(本社マサチューセッツ州)は、福島第一原子力発電所の調査支援のために、紛争地などで使用されている同社のロボット4台と社員6人を26日までに日本に向けて派遣した。

 派遣されたのは、同社のパックボットとウォーリアー各2台。パックボットは米軍によってアフガニスタンなどの紛争地で爆発物探知などの任務に投入されてきた。ウォーリアーは100キロ以上のものを運ぶ能力があるとされ、同社は「重いホースなどを運べるので『ロボット消防士』の役割を担える」としている。

 同社によると、福島第一原発での任務はまだ決まっていないが、「監視や危険物の発見といった任務を想定している」といい、同社社員が指導する日本人の操縦者が実際の任務にあたる見込みという。

 同社は、マサチューセッツ工科大学(MIT)から生まれたベンチャーで、国内でもお掃除ロボ「ルンバ」シリーズで有名。(松尾一郎、小宮山亮磨)


[2011年3月26日]・・・海水から基準濃度の1250倍放射性物質 福島第一原発
東京電力は26日、福島第一原子力発電所近くで25日朝に採取した海水から、最大で安全基準の1250.8倍にあたる濃度の放射性物質が検出された、と発表した。

 東電によると、25日午前8時半に第一原発の放水口から約330メートル南側の海岸沿いで0.5リットルの海水を採取して調べたところ、ヨウ素131が原子炉等規制法が定める基準の1250.8倍、検出された。21日午後2時半のときの10倍に跳ね上がった。これまで1日1回だった測定を2回に増やして監視を強化する。

 経済産業省原子力安全・保安院によると、仮にこの濃度の水を500ミリリットル飲むと、一般人の年間限度にあたる1ミリシーベルト程度を被曝(ひばく)するが、ヨウ素131は放射線量が半分になる半減期が8日と短い。30キロ離れた場所での数値に変化は確認されていないという。

 このほか、セシウム134が基準の117.3倍、セシウム137が79.6倍、検出された。

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by nsmrsts024 | 2012-04-21 07:26 | 朝日新聞・綜合、政治

最高裁判所


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