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5月31日(土 )・・・東日本大震災から3年2ヶ月と20日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)


2011年3月21日(月)・・・「速やかに放水やらねば処分」国の指示か 都知事が抗議
石原慎太郎・東京都知事が21日、首相官邸の菅直人首相を訪ね、東京消防庁による福島第一原発への放水作業に関連し、国の対応に抗議した。政府関係者が「速やかにやらなければ処分する」と同庁隊員に指示し、長時間放水した結果、放水車が壊れたなどとしている。都関係者によると、この政府関係者は海江田万里経済産業相という。海江田氏周辺は「そのような発言の事実はない」と否定している。

 石原知事は菅首相と会談後、報道陣に「言う通りでなければ処分するなんて(言っても)、絶対に兵隊は動かない」と述べ、首相に抗議したことを明らかにした。

 枝野幸男官房長官は21日夕の記者会見で「事実関係を把握した上で、善処が必要であれば政府として対応させていただく」と述べた。

 東京消防庁によると、19日午後からの2回目の放水は当初、7時間の予定だったが13時間35分続いた。屈折放水塔車の排出ガス処理装置の警告灯が点灯し、3回目からは別の車両を使った。長時間の運転で、排ガス中の有害物質を減らす装置のフィルターにすすがたまった可能性があるという。



2011年3月21日(月)・・・野菜の放射能測定めぐり「事実誤認」 福島県が訂正へ
福島県は21日、「日本分析センター」(千葉市)による県産野菜の放射能測定方法が正確でなかったと20日に発表した内容について、事実誤認だったとして撤回、訂正する方針を決めた。22日に発表する。

 福島県産ホウレンソウなどの放射能測定をめぐっては、県の依頼を受けた文部科学省が19日、野菜中の環境放射能の測定・分析を同センターに依頼。センター側は20日、同省のマニュアルに従って測定した結果を同省に提出した。

 ただ、この検査は環境放射能を測定するもので、野菜を洗浄せずに測定するのが原則。厚生労働省が所管する食品衛生法に基づく放射能測定については、洗浄してから野菜を測定する必要があるため、県が改めてセンターに野菜を送り、再度測定をしているという。

 福島県の鈴木義仁・農林水産部長は20日夜の会見で、野菜の放射能測定について「(日本分析)センターに手違いがあった」などと発言していた。しかし、政府やセンター側から指摘を受け、発表内容を訂正する。















[世界と日本・今日この頃]

各地で今年一番の暑さ 日田35.6度、熊本で男児搬送
 高気圧に覆われた影響で31日、各地で今年一番の暑さとなった。福岡管区気象台によると、大分県日田で午後3時前に最高気温35・6度を記録、今年全国初の猛暑日となった。

 また、福岡県久留米で34・9度、同県朝倉で34・6度、佐賀県白石で34・8度、熊本県人吉、甲佐、鹿北で34・0度を記録するなど、各地で真夏日となった。作業や運動中に気分が悪くなり、熱中症が疑われる病院への搬送が相次いだ。茨城県と千葉県ではそれぞれ61歳と74歳の女性が死亡した。

 熊本市中央区では、駐車場の乗用車内にいた男児(3)が熱中症の疑いで搬送された。熊本東署によると、男児は意識はあるが脱水症状を起こしている。母親がホタル鑑賞会に出かけていた同日夕から約2時間半、車内に放置されていたとみられるという。

 同気象台は九州北部地方(山口県含む)に高温注意報を出し、熱中症への注意を呼びかけている。

 大分県日田市では暑さを避けて、日中の人通りはまばら。市中心部を流れる筑後川のそばの亀山公園では、子どもたちが服のまませせらぎに入って水を掛け合ったり寝そべったりして、涼を求めていた。
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by nsmrsts024 | 2014-05-31 16:12 | 朝日新聞・綜合、政治

5月30日(金 )・・・東日本大震災から3年2ヶ月と19日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)






2011年3月21日(月)・・・NY近郊の原発、防災計画見直し言及 米エネ長官
【ワシントン=勝田敏彦】米エネルギー省のチュー長官は20日、米FOXニュースの番組で、ニューヨーク・マンハッタンの中心から約60キロのインディアンポイント原子力発電所の防災計画が「詳細に検討されるだろう」と述べ、見直す方針を明らかにした。福島第一原発の事故で、米国でも原発への不安が広がっているのが背景だ。

 米国は現在、福島第一原発の80キロ圏内に避難勧告を出している。インディアンポイント原発から80キロ圏内に米国人2100万人が住んでいるとの指摘に対し、長官は「それは問題であり、原発がそこに残るべきかどうかを考えなければならない」と述べた。

 同原発には1970年代に運転を始めた加圧水型炉(PWR)が計2基あるが、老朽化で、住民から不安の声も出ていた。

 また長官は、東京電力が福島第一原発の廃炉を避けるため、海水の注入を遅らせて事態を悪化させたとする米メディアの報道について「そのようなことを示す兆候は知らない」と述べた。



2011年3月21日(月)・・・首相会見の中継中「ふざけんな」 フジテレビ、音声混信
フジテレビは21日、東日本大震災の報道特番で菅直人首相の記者会見を中継している最中に「笑えてきた」「ふざけんな」などの音声が混信したとして、「放送責任を感じる」とするコメントを出した。

 特番は震災翌日の12日に放送。首相会見を報じていた午後8時半ごろ、男性の声で「ふざけんなよ、また原発の話だろ」、女性の声で「笑えてきた」といった声が混信して数秒間放送された。

 同局は「音声機器のトラブル。当時、複数の中継を同時に実施しており、スタッフの音声が混信した」としている。「笑えてきた」などの発言は、スタッフが自分の担当の中継がなかなかつながらないことについて漏らした言葉という。










[世界と日本・今日この頃]

拉致調査、日朝が合意 日本側、開始後に制裁解除
 安倍晋三首相は29日夜、日本人拉致被害者を再調査することで北朝鮮と合意したと発表した。北朝鮮は約3週間後に特別調査委員会を立ち上げ、拉致被害者と拉致された疑いのある特定失踪者の調査などを開始する。これを受け、日本政府も北朝鮮に対する独自の制裁措置の解除を始める。再調査の合意は金正恩(キムジョンウン)体制発足後では初めてとなる。


 安倍首相は首相官邸で「安倍政権にとり、拉致問題の全面解決は最重要課題の一つだ。全面解決へ向けて第一歩となることを期待している」と記者団に語った。

 日朝両政府は、26~28日にスウェーデン・ストックホルムで日朝外務省局長級協議を実施。日本外務省の伊原純一アジア大洋州局長と北朝鮮の宋日昊(ソンイルホ)朝日国交正常化交渉担当大使がそれぞれ本国に合意案を報告し、両政府が正式に合意した。

 菅義偉官房長官は29日夜、緊急記者会見を開き、日朝両政府による合意文書を公表した。文書によると、北朝鮮側は拉致被害者や拉致の可能性がある特定失踪者、戦後に現在の北朝鮮に残された日本人らすべての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施し、最終的に、日本人に関する全ての問題を解決する意思を表明。日本側はこれに応じ、最終的に、現在日本が独自にとっている北朝鮮に対する制裁措置を解除する意思を表明した。

 また、北朝鮮側は特別の権限が付与された特別調査委員会を立ち上げることや、調査の過程で日本人生存者が発見された場合には、状況を日本側に伝え、帰国させる方向で協議すること、などの行動をとるという。

 一方、日本側は北朝鮮側が調査を開始する時点で、北朝鮮当局者の入国禁止など人的往来の規制、10万円超の現金持ち出しの届け出義務、人道目的の北朝鮮籍船の入港禁止といった制裁措置を解除することや、人道的見地から適切な時期に北朝鮮に対する人道支援の実施を検討することなどを受け入れた。

 菅長官は会見の中で、日朝局長級協議で拉致被害者の新たな安否情報があったかどうかを問われ、「そうしたことも交渉の中では行われていると思うが、具体的な内容については差し控えたい」と述べた。また、北朝鮮による調査開始と同時に制裁措置を解除するかどうかについては「見極め中だ」とした。

 拉致問題をめぐっては、日本政府は拉致被害者として17人を認定し、うち5人は2002年に帰国。横田めぐみさんら残る12人について北朝鮮は死亡、または入国していないと説明していた。

 北朝鮮の朝鮮中央通信は29日午後6時半ごろに「朝日政府間会談の結果と関連する報道」を配信。日本側が発表した合意文書とほぼ同じ表現で伝えた。同日夜の段階で、それ以上の論評は伝えていない。(円満亮太)
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by nsmrsts024 | 2014-05-30 06:22 | 朝日新聞・綜合、政治

5月29日(木 )・・・東日本大震災から3年2ヶ月と18日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)


2011年3月21日(月)・・・世銀「大震災の影響は一時的、日本は今年半ばから回復」
【リオデジャネイロ=尾形聡彦】世界銀行は20日、東日本大震災の影響で、日本の実質国内総生産(GDP)成長率は一時的に鈍化するものの、復興に伴って、今年半ば以降には回復に向かう見込みだと発表した。正確に予想するにはまだ材料不足としながらも、東アジアの途上国経済に対する影響も短期的かつ限定的になるとみている。

 世銀は今年上半期の日本の実質GDP成長率が鈍化すると予測。同期の日本の成長率が0.25~0.5%幅押し下げられると仮定すれば、東アジアの途上国の輸出は0.75~1.5%幅鈍化する可能性があると分析した。

 ただ、1995年の阪神大震災が日本経済にもたらした影響は短期的だったことなどから、今年下半期以降は復興需要で成長率が加速すると見込んでいる。

 また、世銀は民間予測などのまとめとして、東日本大震災の被害額は1220億ドル(約9.9兆円)~2350億ドル(約19兆円)に上る可能性があるとしている。




2011年3月21日(月)・・・停電世帯数、グループ間で2倍の差 「不公平」と苦情も
 東京電力が、管内を5グループに分けて実施している計画停電(輪番停電)で、グループ間で実際に停電した延べ世帯数に2倍超の差が出ている。東電には利用者から「不公平」との苦情も寄せられているが、東電は「次第に回数は均等になる」と説明している。

 14~18日に実施した計画停電では、停電世帯が最も多かったのが「第1グループ」で延べ1207万世帯。最少の「第4グループ」は延べ503万世帯だった。需要が低かった時間帯には停電が見送られるなどした一方で、1日に2度の停電を強いられたグループがあって差が出た。

 各グループの世帯数はそれぞれ200万~305万世帯で、東電は「なるべくならして設定」していた。

 また、もともと東京23区の大部分は停電対象からはずされている。不公平感が出ないよう東電は、23区も細かく区分けして計画に組み込めないか検討したようだが、現段階では「技術的に自信が持てない。今の状況を続けるしかない」(藤本孝副社長)という。

 東電によると、先週はカスタマーセンターに問い合わせや苦情が1日5万~6万件寄せられたという。

 同じ地域でも日によって停電時間が変わる計画停電には、産業界からも不満の声が上がる。経済同友会は「企業活動への影響が大きい」として、企業側が消費電力を抑える「総量規制」を提案する。しかし、東電は「規制をかけても、削減量を守ってもらえる確証はない」として、実施には否定的だ。(信原一貴)















[世界と日本・今日この頃]

中東派遣・米以外も守る…首相、集団的自衛権の拡大示唆
安倍晋三首相は28日の衆院予算委員会で、他国を武力で守る集団的自衛権の行使が認められた場合、自衛隊を中東・ペルシャ湾のホルムズ海峡へ派遣することを想定している、と明らかにした。首相は日本から遠く離れた地域へも自衛隊を派遣する可能性を示し、米国以外の国を守る考えにも踏み込んだ。

 この日は、首相が15日に集団的自衛権の行使に向けた基本的な方向性を示す記者会見をした後、最初の国会論戦となった。

 首相は15日の会見では集団的自衛権を行使する具体的な地名は挙げなかった。しかし、28日の国会答弁では、その例として「ホルムズ海峡」に言及。「この海峡の機雷を何カ国かで除去しようというときに、日本がやらなくていいのか」と述べた。海峡を通る商船が「日本国籍でなくても全く守らなくてもいいのか」とも語った。
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by nsmrsts024 | 2014-05-29 05:33 | 朝日新聞・綜合、政治

5月28日(水 )・・・東日本大震災から3年2ヶ月と17日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)



2011年3月20日(日)・・・小沢氏が首相と会談 震災後初、政権への協力約束
倒閣の動きを見せていた民主党の小沢一郎元代表が19日、菅直人首相と首相官邸で会談し、東日本大震災の対応で菅政権への協力を約束した。地元の岩手県を襲った大震災の後、小沢氏はほとんど東京都内の自宅にこもっており、公の場に姿を見せたのは初めて。

 小沢氏は午前11時、スーツ姿で官邸を訪れ、鳩山由紀夫前首相らと被災状況の説明を受けた。首相との会談は「政治とカネ」の問題で離党を勧められた2月10日以来。小沢氏は約40分間の会談で「日々ご苦労さまです。総力を挙げて頑張ってもらいたい」と述べ、会談後、記者団の質問には答えなかった。

 小沢氏は震災後の地元入りは警備の都合で見送り、党災害対策本部の総会も、被災地の統一地方選を延期する臨時特例法案を審議した17日の衆院本会議も欠席した。発信は、震災から6日後にホームページを更新しただけだ。「この度の災害は、戦後の荒廃期に匹敵するほどの危機的状況。今こそ、勇気と英知を結集して、危機を乗り切らなければならない」

 野党でさえ震災対策を優先して首相退陣や衆院解散の主張を封印する今、首相を引きずりおろす環境ではない。ホームページでは原発事故に触れつつ、「政府、東京電力には、正しい情報を迅速に公表することを強く求める」と菅政権への注文の形で辛うじて不満をにじませた。

 小沢氏の地元の衆院岩手4区は内陸部だが、津波で壊滅的打撃を受けた陸前高田市などは中選挙区時代の地盤で支持者も多い。なのに小沢氏の発信が少ないのはなぜか。

 小沢氏周辺は、達増拓也知事や業界団体、旧知の官僚らと連絡を取り、「後方支援」に回っていると説明している。政治とカネの問題で党員資格を停止され、パフォーマンスと受け取られる言動を控えている側面もあるようだ。

 小沢氏支持の議員には、震災対策の前面に小沢氏を立て復権を目指す動きもある。17日、小沢氏に近い議員十数人が国会内で集まった時は「地元を知る小沢氏が復興を担当するべきだ」「小沢氏を震災担当相に」との待望論が続出。小沢氏も周辺に「自分から申し出るわけにいかない」と、要請があれば受ける姿勢をのぞかせたという。

 だが、首相は自民党の谷垣禎一総裁に入閣を要請する一方、「脱小沢」路線を修正する考えはなさそうだ。19日の会談でも、小沢氏を要職に起用するそぶりはまったく見せなかった。(蔵前勝久)



2011年3月20日(日)・・・福島第一原発、運転再開困難の認識示す 経産相
海江田万里経済産業相は19日の記者会見で、東日本大震災で大きな被害を受けた東京電力福島第一原発について、「運転再開できるような状況だと思いますか。いまの状況が」と、運転再開は困難だとの認識を示した。ただ、廃炉にするかどうか判断する時期については「それはいずれだ」と述べるにとどめた。

 福島県郡山市の原正夫市長からこの日、「国は廃炉を前提にした対応をすべきだ」との要請を電話で受けたことに触れたうえで述べた。

 海江田氏は「いまやらなければいけないのは、被害を少しでも小さくすることだ」と強調。「やれることは何でもやる。制限はない」と述べ、あらゆる手段をとる方針を示した。












[世界と日本・今日この頃]

中国・ベトナム100隻、放水・衝突繰り返す 記者目撃

中国が石油掘削活動を続ける南シナ海・西沙(英語名パラセル)諸島近海で28日早朝、中国海警の船がベトナム漁業監視船に放水した。記者が近くを航行中のベトナム海上警察の巡視船上から目撃した。


 午前5時50分(日本時間午前7時50分)、大型の中国海警の公船から放水銃が放たれ、右手にいたベトナム漁業監視船に大量の水がかけられた。監視船が逃げるのを追いかけるように、放水は約25分間続いた。

 現場周辺では100隻以上の両国船が集まり、互いに相手を海域から追い出そうと、放水や接近、衝突を繰り返している。(西沙諸島近海=佐々木学)
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by nsmrsts024 | 2014-05-28 10:33 | 朝日新聞・綜合、政治

5月27日(火)・・・東日本大震災から3年2ヶ月と16日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)


2011年3月20日(日)・・・多国籍軍、リビアへの軍事介入開始 仏大統領発表
【パリ=稲田信司】フランスのサルコジ大統領は19日午後(日本時間同日深夜)、英仏米などを中心とする多国籍軍がリビアに対して軍事介入を開始したと発表した。同国上空の飛行禁止空域の設定をめぐり、欧米諸国やアラブ連盟などが19日、パリで緊急の首脳級会議を開き、カダフィ政権の反体制派に対する攻撃を止めるため、軍事介入に踏み切ることで合意した。

 サルコジ氏は会議後、「多国籍軍の航空機がすでにカダフィ政権による(反体制派拠点の)ベンガジに対する攻撃の監視に入った」と語った。軍事行動は、フランスのほか、英国、米国など複数の国の軍部隊が参加した多国籍軍が実施する。

 緊急会議は飛行禁止空域の設定を認める国連安全保障理事会の決議採択を受けて開かれた。キャメロン英首相やクリントン米国務長官、アラブ連盟のムーサ事務局長、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長らが出席した。



2011年3月20日(日)・・・放射線量、茨城・栃木・群馬で平常時より高い値
文部科学省は19日、各都道府県の定点で観測した大気中の放射線量を発表した。

 同日午前0時から午後5時までの間に茨城、栃木、群馬の3県で、平常時より高い値が観測された。18日まで過去の上限値を超える値が出ていた埼玉県では、平常時の値の範囲内に戻った。東日本大震災による被害を受けている宮城県と福島県からは、引き続きデータが届いていない。

 車で移動しながら実施した放射線量計測では、福島第一原発から約30キロ離れた同県浪江町の北西部で19日午前10時20分、毎時136マイクロシーベルトが測定された。その場に7時間あまりいれば、一般人の年間放射線被曝(ひばく)限度量の1ミリシーベルト(1千マイクロシーベルト)を超えるレベルだ。この地点は18日も150マイクロシーベルトが測定された。














[世界と日本・今日この頃]

中国当局、日経新聞助手の拘束理由を通知
日本経済新聞の重慶支局の助手が中国当局に拘束された問題で、同紙は27日、公安当局が助手の家族に「故意に騒動を引き起こした容疑」で北京市公安当局が勾留したとの通知を手渡したと報じた。

 中国当局は13日朝、助手を重慶市内の自宅から連行。その際、今月初旬に拘束された著名弁護士の浦志強氏についての捜査への協力を求めるためだと説明。翌14日に口頭で助手を勾留したと家族に伝えていた。

 助手は仕事を通じて、浦氏と交流があった模様だ。(北京)




南シナ海、一触即発のにらみ合い ベトナム船に記者乗船
 中国が西沙諸島近海に石油掘削の装置を運び入れてから約1カ月。27日には掘削装置を移動し、さらなる調査に乗り出した。洋上ではベトナム船との一触即発の緊張が続く。現場の海域に27日、記者が入った。

 午前9時半(日本時間同11時半)。朝日新聞を含む複数の外国メディア記者を乗せたベトナム海上警察の巡視船が中部ダナンの港を出てから13時間半後、水平線上にぼんやりと中国公船「海警」が姿を見せた。周りにベトナム海上警察の巡視船、船種不明の船、オイルタンカーなども見える。その数計約50隻。

 その先に前日まであった、赤と白の要塞(ようさい)のような石油掘削装置「HD981」はない。ベトナム海上警察のルー・ティエン・タン隊長は「第一段階の作業を終え、東方約30マイルの場所に移動したようだ」。

 午前11時過ぎ、記者団を乗せた巡視船の先に海警4隻を含む大型船約10隻が現れた。「ここで本部からの指示を待つ」(タン隊長)。前日の漁船沈没事件を受け、慎重な対応を迫られている。

 約3時間半後、本部の指示を受け、記者らの船と数隻のベトナム公船が東から南に針路を変えて動き出すと、停泊していた中国船団も同じ方向へ動き出した。
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by nsmrsts024 | 2014-05-27 10:26 | 朝日新聞・綜合、政治

5月26日(月)・・・東日本大震災から3年2ヶ月と15日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)



2011年3月20日(日)・・・1・2号機は通電可能に 福島第一原発、ケーブル接続
東日本大震災で被害を受けた東京電力福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)では19日、電源復旧作業が進み、ケーブルがつながって1、2号機で通電できるようになった。残りの4基も早ければ20日に仮設ケーブルとの接続ができる見通し。電源が復旧し、冷却水を供給して核燃料を冷やせるようになると、現在の危機的状況を切り抜ける道筋がみえてくる。一方、東京消防庁が19日、3号機への放水作戦に加わり、特殊な送水車で放水した。

 電源を最初に引き込むのは2号機。19日午後1時半ごろに接続が終わった。建屋を調べたところ、設備の被害は比較的少なく、複数のポンプの電気系統も正常らしいこともわかった。

 ただ、予期せぬ故障をしている可能性もあり、電源を入れて作動させる前に一つ一つ確認する作業が必要だ。ポンプが損傷している場合に備え、炉水を循環させて熱をとるための代替用の仮設ポンプを約20台準備している。

 一方、5、6号機は19日、2台目の非常用発電機が復旧。原子炉と使用済み核燃料プールを循環する冷却水を、海水によって冷やすことができるようになった。冷却水の温度は、6号機は基準の上限値(65度)より高いが、5号機は下回った。外部電源とつなぐことができれば、冷却システムを安定して動かせる。

 東電は20日未明、東日本大震災の際に3号機で計測された揺れの値を発表した。水平方向で507ガル(ガルは加速度の単位)。一部で揺れの値が設計の想定の範囲を超えていた可能性が高いという。3号機は2006年に制定された新耐震指針に基づき想定が引き上げられ、経済産業省原子力安全・保安院も妥当と評価していた。



2011年3月20日(日)・・・県外への避難者すでに2万1千人 北海道や沖縄にも
東日本大震災の影響で県外へ避難する人が増え続けている。朝日新聞が全国の都道府県などに聞き取ったところ、19日現在で少なくとも約2万1千人が県外避難しており、避難先は北海道から沖縄まで全国におよんでいる。大半は福島第一原子力発電所がある福島県からだ。同県双葉町は19日、役場機能ごとさいたま市に避難した。

 避難先の多くは被災地に近い県で、新潟県は8478人、山形県は3627人、栃木県も2277人を受け入れた。福島県は19日午前時点の集計で、新潟、山形、栃木、群馬、茨城の隣接5県に、埼玉、千葉県を加えた計7県に、計1万6286人が避難していると発表した。

 福島県によると、福島第一原発の20~30キロ圏内の屋内退避区域では、南相馬市と飯舘村の住民が県外避難を始めている。一方、福島県内の自治体で避難のため役場機能を移したのは、原発から20キロ圏内の5町と、20~30キロ圏内の1町2村。

 こうした状況に、全国の自治体が避難者の受け入れ準備を進めている。大阪府内では公営住宅など2500戸が用意されたほか、東京都や愛知県でも、それぞれ公営住宅600戸を準備。北海道も同じく1942戸で受け入れが可能という。














[世界と日本・今日この頃]

核のゴミ1本1.3億円 海外委託の処理費、3倍に高騰
青森県六ケ所村に4月、英国から返還された高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の輸入価格が、1本あたり1億2800万円だったことが税関への申告でわかった。過去最高額で、海外に処理を委託した廃棄物の返還が始まった1995年の3倍。管理や輸送の費用がかさんだとみられる。費用は電気料金に上乗せされる。

 原発から出る使用済み核燃料を再処理して再び燃料として使う「核燃料サイクル政策」について、政府は4月、閣議決定した新たなエネルギー基本計画のなかで「推進」するとしたが、再処理で出る核のゴミの費用もかさむことで、サイクル政策の非経済性が改めて浮かんだ。

 再処理事業では新たな燃料のほか、利用不可能で強い放射線を出す高レベル放射性廃棄物も発生する。六ケ所村にある日本の再処理工場はトラブル続きで完成しておらず、電力各社でつくる業界団体・電気事業連合会によると、日本は69年以降、英仏両国に送って再処理を依頼してきた。
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by nsmrsts024 | 2014-05-26 05:01 | 朝日新聞・綜合、政治

5月25日(日)・・・東日本大震災から3年2ヶ月と14日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)


2011年3月20日(日)・・・プール内、十分な水を確保か 防衛相「放水で効果」
福島第一原発の1号機から4号機で、使用済み燃料を貯蔵するプールに十分な量の冷却水が確保されている可能性が高いことが19日、防衛省の調査でわかった。

 関係者などによると、19日に陸上自衛隊のヘリコプターで上空約300メートルからそれぞれの原子炉施設の表面温度を計測したところ、広範囲で冷却水の上限値(65度)を下回る40度以下を示したという。

 同省によると、使用した機材は建物に屋根がない場合、鉄骨などではなく、内部の空間の温度が計測できるという。

 調査結果を受けた同日の記者会見で北沢俊美防衛相は暫定的な分析と断った上で「一定の水量を確保できていたと考えている。(自衛隊や東京消防庁などによる放水で)効果が上がっているのではないか」との考えを示した。

 陸自は今後も上空から計測を続ける。また、政府はプールの水位を調べる方法を検討中だという。



2011年3月20日(日)・・・仏軍機がリビア攻撃 多国籍軍、軍事介入開始
【パリ=稲田信司、春日芳晃】フランスのサルコジ大統領は19日午後(日本時間同日深夜)、英仏米などを中心とする多国籍軍がリビアに対して軍事介入を開始したと発表した。AP通信は仏国防省の話として、同日夕、仏軍機がリビア政府軍の車両などを攻撃したと報じた。同国上空の飛行禁止空域の設定をめぐり、欧米諸国やアラブ連盟などが19日、パリで緊急の首脳級会議を開き、カダフィ政権の反体制派に対する攻撃を止めるため、軍事介入に踏み切ることで合意した。

 会議後、サルコジ氏は「本日、我々は国連安保理決議に従って、アラブ諸国をはじめ有志国とともにリビアに介入する」と宣言。「多国籍軍の航空機がすでにカダフィ政権による(反体制派拠点の)ベンガジに対する攻撃の監視に入った」と空域偵察を進めていることを明らかにした。

 また「我々の空軍は、カダフィ大佐による(反政府勢力への)攻撃に対抗する」とカダフィ政権が攻撃を停止しなければ空爆などの軍事攻撃に移ることを示唆する一方、「カダフィ大佐はまだ最悪の事態を避けることができる。外交の扉は攻撃がやめば再び開く」と武力攻撃によらない解決に含みをもたせた。

 AFP通信によると、偵察飛行をしているのは仏空軍のラファール戦闘機。ほかに米軍などが空中警戒管制機(AWACS)を待機させている。英空軍はトルネード戦闘機などを投入する方針を表明している。カナダも作戦に参加する方針を明らかにした。















[世界と日本・今日この頃]

プーチン氏「領土交渉、中断するのか」 日本に不快感
ロシアのプーチン大統領は24日、日本がウクライナ問題でロシアに制裁を科したことについて初めて発言し、「日本は北方領土問題の話し合いも中断するのだろうか」と述べた。北方領土交渉を続けられる状況ではなくなったという認識を示したものだ。イタル・タス通信が伝えた。

 安倍晋三首相は昨年4月に公式訪ロした際、プーチン大統領と北方領土交渉を「再スタート」させることで合意。その後外務次官級の協議を重ね、今秋にはプーチン大統領の訪日が予定されていたが、実現しない可能性が出てきた。

 プーチン大統領はサンクトペテルブルクで開かれた経済フォーラムで「我々は交渉の用意があるだろうかと言えば、ある。しかし、我々は日本が(対ロ)制裁に加わったと聞いて、驚いた。私がよく分からないのは、(北方領土)問題の交渉も(日本は)中断するつもりなのか、ということだ」と述べた。制裁に強い不快感を示し、北方領土交渉への影響は避けられないという認識を明確にした。
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by nsmrsts024 | 2014-05-25 06:46 | 朝日新聞・綜合、政治

5月24日(土)・・・東日本大震災から3年2ヶ月と13日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)



2011年3月20日(日)・・・消防放水「命中を確信」 涙の隊長、家族に陳謝
「非常に難しく危険な任務だった。国民の期待をある程度達成でき、充実感でほっとしている」――。東京電力福島第一原発の冷却作戦で、10時間以上の「連続放水」を成功させた東京消防庁の派遣隊員の一部が19日夜、帰京した。佐藤康雄総隊長(58)ら3人が東京都内で記者会見し、心境を語った。

 会見したのは、災害救助のスペシャリストである「ハイパーレスキュー」の冨岡豊彦隊長(47)と高山幸夫隊長(54)。

 冨岡隊長は「大変だったことは」と問われると、「隊員です」と言って10秒ほど沈黙。涙を浮かべ、声を震わせながら、「隊員は非常に士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。残された家族ですね。本当に申し訳ない。この場を借りておわびとお礼を申し上げたい」と言った。

 高山隊長は18日、職場から直接現地に向かった。妻に「安心して待っていて」とメールで伝えると、「信じて待っています」と返信があったという。

 佐藤総隊長も妻にメールで出動を伝えた。「日本の救世主になってください」が返事だった。

 高山隊長は今回の任務を「目に見えない敵との闘い」と振り返った。注意したのは放射線量。「隊員たちが常に測定しながら安全を確認し、アピールしてくれた。仲間のバックアップがあったから任務を達成できた」と話した。

 会見では、作戦の具体的な中身も明かされた。

 佐藤総隊長によると、派遣隊は本人が承諾した隊員から選抜された。

 原発に入ったのは18日午後5時5分。作戦は当初、車から出ずに車両でホースを延ばす予定だった。8分で設置できる計算だった。だが、海岸付近はがれきだらけ。車が走れそうなルートだと2.6キロあり、ホースが足りない。
一度本部に戻り、安全な方法を再検討した上で午後11時半に原発に戻った。最終的には、途中まで車で延ばし、最後の約350メートルは隊員が車外に出て、巻いたホースを手で延ばし、取水のために海まで届かせた。

 ポンプで吸い上げた海水を放つ「屈折放水塔車」を止めたのは、2号機と3号機の真ん中で建物まで約2メートルの至近距離。目標とした、使用済み核燃料が貯蔵された3号機のプールまでは50メートルだった。いつでも退避できるようにマイクロバスを用意し、「特殊災害対策車」も待機した。

 翌19日の午前0時半、「白煙の方に向かって」3号機への放水が始まった。

 放水現場の放射線量は毎時60ミリシーベルトだったが、放水後はゼロ近くに。「命中している」と確信したという。



2011年3月20日(日)・・・町ごと避難、心強さも不安も 福島県双葉町の1200人
福島第一原発の事故で、避難を指示されたり、周辺地域で危険を感じたりした人が、避難先を求めて全国に散らばった。原発近くで役場が退避を迫られた町村も「漂流」。事態が収まる見通しが立たないなか、町村長や住民は焦りを募らせている。

 福島第一原発5、6号機がある福島県双葉町。町長や町民ら約1200人は19日、埼玉県に避難した。町災害対策本部を含む町の機能も事実上移すという。人口は約6900人。このうち約2200人は震災の翌12日、福島県川俣町の避難所に避難。事故が深刻になると、県外への再避難を決定。ほかの場所に再避難する人を除き、埼玉県が受け入れることになった。

 19日午後2時すぎ、さいたま市の多目的施設「さいたまスーパーアリーナ」。双葉町民を乗せたバスなど約70台が続々と到着した。大半はマスク姿で、大きなリュックを背負ったり毛布を抱えたり。疲れた表情で避難生活を送るアリーナの通路に入った。埼玉県は夕食の弁当3千食を用意して迎えた。

 「不安な毎日だったが、埼玉県知事をはじめ、みなさんから温かいおもてなしをいただいた」。井戸川克隆町長(64)は、ほっとした様子を見せた。集団避難の理由については「1カ所に集中し、町民のみなさんに対応した方が効率的」と説明した。

 先頭のバスに乗っていた紺野智美さん(38)は「命からがらに逃げてきたので、温かい心で受け入れていただき感謝です」と話し、涙を流しながら階段を上った。でも、「この生活がいつまで続くのか」と不安も見せた。

 「親戚もいっぱいいるので、助けあえて心強い」と話す高野サダ子さん(75)は、ボランティアに両脇を支えられて入館した。故郷への思いは募る。「なんで原発をつくったのか……。復旧には期待も不安もある」
住民を率いて約210キロの避難を決断した井戸川町長にも、まだ「先」は見えない。「(今後の方針は)全く決まっていない。あまりに突然のことで町民の暮らしを守るのに精いっぱいだった……」

 埼玉県によると、19日午後5時現在でアリーナには、このほかに、福島県から1050人、茨城、宮城県から計10人が避難している。




















[世界と日本・今日この頃]

H2Aロケット打ち上げ成功 観測衛星だいち2号搭載

 H2Aロケット24号機は24日正午過ぎ、鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられた。約15分後、搭載していた陸域観測技術衛星「だいち2号」を予定軌道に投入し、打ち上げは成功した。東北大と和歌山大、日本大、民間企業が開発した小型衛星4基も運んだ。


 H2Aは、23日深夜に組み立て棟から発射場へ移動し、姿勢制御装置や地上設備などの最終チェックがあった。24日未明にはロケットから半径3キロの範囲が立ち入り禁止となり、警備の職員らが見学に訪れた人たちに外に出るよう声をかけて回った。液体水素と液体酸素の燃料注入も始まり、午前11時ごろにはカウントダウンが始まった。

 搭載するだいち2号は、災害時の状況把握や地図作成、資源探査などに使われる観測衛星。特殊なレーダーを使い、噴煙の下にある火山の火口などを見られる。

 H2Aは2001年に初飛行した日本の主力ロケット。03年に6号機が失敗して以降は18回連続で成功しており、成功率は約96%。製造元の三菱重工業は、高い信頼性と延期の少なさを売りに、衛星打ち上げ市場でのシェア拡大を狙っている。今月には2基目となる商業衛星の受注に成功したと発表した。(東山正宜)



被災地の防潮堤、昭恵夫人「再考を」 環境への影響懸念

安倍晋三首相夫人の昭恵さんが24日、東日本大震災の被災地で計画されている大規模な防潮堤をめぐり、意見交換するフォーラムを仙台市内で開いた。「本当にどこでどの程度の高さが必要か、もう一度みなさんと一緒に考えたい」と述べ、各地で進む計画への再考を呼びかけた。

 住民や専門家、地方議員ら約400人を前に「海が見えなくなって、環境も破壊されてしまうかもしれない」と指摘。「若い人が『こんな海が見えない所は嫌だ』と出て行って、防潮堤だけが残ることがないようにしたい」と訴えた。

 安倍首相もビデオでメッセージを寄せ、「想定される津波の高さとともに、環境の保全や景観との調和などを考える必要がある」として、住民主体の見直しに柔軟な考えを示した。

 昭恵さんは、防潮堤の計画を考える住民の運動に関わり、昨年12月には自民党の環境部会に出席し、計画を再考するよう求めている。(笹川翔平)
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by nsmrsts024 | 2014-05-24 07:07 | 朝日新聞・綜合、政治

5月23日(金)・・・東日本大震災から3年2ヶ月と12日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)



2011年3月20日(日)・・・米軍艦船、リビアにミサイル攻撃 政府軍の施設狙う
【ワシントン=望月洋嗣】米軍は19日、地中海の米軍艦船からリビアをミサイルで攻撃した。AP通信が米軍幹部の話として報じた。米軍は、リビアの首都トリポリや反体制派の拠点都市ベンガジ周辺にあるリビア政府軍の施設を標的としている模様だ。



2011年3月20日(日)・・・米大統領「リビアへの軍事行動開始」 戦闘機を派遣
【ブラジリア=尾形聡彦】オバマ米大統領は19日午後5時(日本時間20日午前5時)すぎ、訪問先のブラジルでホワイトハウス同行記者団に対し、リビア情勢について、「リビアでの限定的な軍事行動を許可した。行動はすでに始まった」と述べ、カダフィ政権に対する軍事行動を開始したことを明らかにした。すでに戦闘機を派遣して、軍事行動を始めているフランスなどと共に有志連合で、軍事作戦に当たる。













[世界と日本・今日この頃]

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by nsmrsts024 | 2014-05-23 04:43 | 朝日新聞・綜合、政治

5月22日(木)・・・東日本大震災から3年2ヶ月と11日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と1ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)



2011年3月20日(日)・・・リビア軍事施設に112発のミサイル攻撃 米国防総省
【ワシントン=望月洋嗣】米国防総省は19日、リビアのカダフィ政権の軍事施設約20カ所を巡航ミサイル「トマホーク」112発で攻撃したと発表した。国連安全保障理事会が決めた飛行禁止空域の設定に向けて、カダフィ政権の防空網を破壊することが狙い。仏軍機に続く攻撃で、リビアに対する多国籍軍の軍事行動が本格化した。

 米統合参謀本部のゴートニー海軍中将は今回の攻撃について「飛行禁止空域設定の条件を整えることが目的」と説明。首都トリポリやミスラタなどリビア沿岸部のミサイル発射施設や早期警戒システムなどの軍事施設を狙ったという。攻撃には英軍の艦船一隻も参加した。今回の行動は「複数段階にわたる軍事作戦の第一段階」としたが、今後の作戦の詳細には触れなかった。

 また、ミサイル攻撃で制空権を握った後、グローバル・ホークなどの偵察機でリビア空軍の活動を監視する方針を示した。今回の攻撃には、米軍の航空機は参加していないという。



2011年3月20日(日)・・・連続放水13時間半、2400トン放つ 東京消防庁
東京電力福島第一原子力発電所3号機の冷却作業で、東京消防庁の緊急消防援助隊による本格的な放水が20日午前3時40分に終了した。19日午後2時すぎに始まり、約13時間半にわたって連続して行われた。2400トン以上の海水が放たれた計算だ。

 福島第一原発の海際に設置した「スーパーポンパー」と呼ばれる送水車で海水をくみ上げてホースで送り、最大22メートルの高さから放水できる「屈折放水塔車」から連続的に水を放った。

 毎分約3トンのペースで放水を続け、約13時間半で計約2430トンを放ったことになる。3号機の使用済み燃料貯蔵プールの容量は約1千トンなので、仮にプールが空でも、これを満たすことができる量を上回った計算だ。

 屈折放水塔車は無人での稼働が可能で、13時間半のうち大半は無人による作業だったとみられる。この間、車両に給油する必要はあったという。

 東京消防庁は19日、新たに車両14台と隊員102人を、先発した139人の交代要員として現地に追加派遣した。














[世界と日本・今日この頃]

原発NO、司法が動いた 大飯差し止め判決、歓喜と困惑
 「司法は生きていた」――。大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた21日の福井地裁判決に、原発の危険性を長年訴えてきた原告たちは歓喜の声を上げ、東京電力福島第一原発事故の避難者たちは「悲劇を繰り返さない第一歩にして」と願いを込めた。一方、原発立地自治体の首長らは判決に戸惑いを隠せない。


 「大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない」

 21日午後3時。福井地裁の大法廷で樋口英明裁判長が主文を告げると、廷内に「おー」「よし!」と歓声や拍手がわき起こった。民事裁判では異例だが、樋口裁判長は45分間にわたって判決要旨を読み上げた。

 主文を聞いて飛び出した原告側代理人の弁護士が地裁前で「差し止め認める」と書いた垂れ幕を掲げると、法廷に入りきれなかった原告らは「すべての原発を止めよう」と約40人がシュプレヒコールを上げた。

 「判決を聞いて5人の仲間のことを思った」

 原告の一人で元原発作業員の山本雅彦さん(57)=福井県敦賀市=は判決後の記者会見でそう話し、04年にあった美浜原発3号機の蒸気噴出事故で亡くなった5人の作業員を悼んだ。

 1979年から6年間、県内すべての原発で計測機器の点検などを担当した。被曝(ひばく)は怖かったが他に仕事のあてもなく、「事故が起きても大事には至らない」という関電の説明をうのみにしていた。

 しかし退職後の86年にチェルノブイリ原発事故が発生。原発に関する文献を読みあさって安全性に疑問を抱き、原発をめぐる訴訟に原告として参加するようになった。

 山本さんは「(原発という)危険な職場の緊張感は働く者しか分からない。原発を動かしてはいけないと言った判決の意義は本当に大きい」と話した。

 原告団代表で住職の中嶌哲演(なかじまてつえん)さん(72)=同県小浜市=は判決後の会見で「歴史的名判決だ」と笑顔を見せ、「原発密集地帯の福井県の地元裁判所による判決の意義ははかりしれない。国内外の広範な市民と連帯しつつ『原発ゼロ社会』を目指していきたい」とする声明を読み上げた。

 1968年に小浜市で原発誘致計画が浮上した時から反原発運動に関わり、大飯原発の再稼働反対運動をリードしてきた。「素晴らしい判決だが、市民感覚でいえば当たり前。福島第一原発事故や原発訴訟で敗訴につぐ敗訴を重ねた先人たちのことを思うと、感無量です」と話した。(大野正智、小川詩織)



誰も助けに来なかった 吉田調書、所長が「恨み」吐露

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 朝日新聞デジタルは特集「吉田調書」第1章3節「誰も助けに来なかった」を配信しました。調書に残された言葉や、福島第一原発3号機の爆発の直後に東電本店に投げかけた言葉などから、「原発は誰が止めるか」を考えます。URLは次の通り。

 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午前11時01分、福島第一原発の3号機が爆発した。
 分厚いコンクリート製の建屋を真上に高々と吹き飛ばしたところを無人テレビカメラに捉えられ、ただちに放映された、あの爆発だ。

——— 水が欲しいときっとなるだろうから、そうだったら、何はともあれ外との間のパイプラインをつくってしまえという指示をどこかで出したのかなと思っていたんですが、パイプラインを何でもいいからつくってくれと、そんなことまでは頭が動かないのか、それとも、言っても先ほどのように。

吉田「それはわからないです。私はこの中にいましたので、外からどういう動きをしていたかはちっともわからないんで、結果として何もしてくれなかったということしかわからない。途中で何かしてくれようとしていたのかどうか、一切わかりません」 

——— わかりました。私はそこまででいいです。

吉田「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」

——— それは誠にそうだ。結果として誰も助けに来てくれなかった。

吉田「後でまたお話が出ますが、消防隊とか、レスキューだとか、いらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかったということだけは付け加えておきます」


写真|爆発した3号機の原子炉建屋=2011年11月12日、福島県大熊町、相場郁朗撮影

 3月12日午後の1号機の爆発に続き、日本史上2度目の原発の爆発も、ここ福島第一原発で起きてしまった。
 外で作業にあたっていた人が怪我をした。当時、原子炉への注水は、3号機の海側にある逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を、消防車で汲み上げておこなっていた。その屋外作業に大勢がかかわっていた。
 また、自衛隊がちょうど給水車で原子炉に入れる水を補給しにきていた。作業をしていた6人は被曝し、何人かは怪我もした。
 福島第一原発では所長の吉田昌郎以下、所員の落ち込みようは激しかった。吉田はサイト、すなわち発電所のみんなの声を代弁し、午後0時41分、テレビ会議システムを使って、声を詰まらせて東電本店に次のように訴えた。
 「こんな時になんなんだけども、やっぱり、この……、この二つ爆発があってですね、非常にサイトもこう、かなりショックっていうか、まあ、いろんな状態あってですね」
 社長の清水正孝の答えは、次のようなものだった。
 「あの、職員のみなさま、大変、大変な思いで対応していただいていると思います。それで、確かに要員の問題があるんで、継続につき検討してますが、可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっと頑張っていただく」
 東電本店はヒトだけでなくモノの面でも福島第一原発を孤立させていた。



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 福島第一原発では、いまや原子炉の冷却の主軸である消防車のポンプを回すための軽油も、中央制御室の計器を動かすのに必要な電気を発電するためのガソリンも、ベントなどの弁を開けるのに必要なバッテリーも足りなかった。
 所員はこれらの必要物資を、10km離れた福島第二原発、20km南のスポーツ施設Jヴィレッジ、場合によっては50km南の福島県いわき市の小名浜コールセンターまで取りに行っていた。
 東電本店は福島第一原発まで運ぶよう運送業者に委託するのだが、3月12日に1号機が爆発し、避難指示の区域が拡大してくると、トラックがその手前までしか運んでくれなくなったのだ。
 トラック業者だけでない。福島第一原発は、同じ東電の福島第二原発からガソリン入りのドラム缶をもらうときも、中間地点にあるコンビニエンスストア、通称「三角屋のローソン」や、ホームセンター「ダイユーエイト」の駐車場にそれぞれが運搬車で乗り付けて、引き渡してもらっていた。
 福島第二原発としては、福島第一原発に直接行ってしまうと、運搬車が放射性物質に汚染され、除染しないと乗って帰れなくなるからだった。


——— この注水の作業なんかについては、消防車の運転操作なんかの委託をしていた、日本原子力防御システムですかね、そういうところだとか、南明興産というところですね、こういうところも協力していただいている?

吉田「最初は協力してくれる」

——— 途中からは。

吉田「線量が出てから」

——— 線量が上がり過ぎて、その人たちの作業はできなくなったと。それ以降は、東電の。

吉田「自衛で」

——— その自衛消防隊の方だけでやっていたんですか。

吉田「はい。何人か奇特な方がいて、手伝ってくれたようなことは聞いているんですけれども」

——— それは。

吉田「南明さんとかですね。ほとんど会社としては退避されたような形で、個人的に手伝ってといったらおかしいんですけれども、そういうことは聞いております」 (中略)

——— 3月16日以降とかは、がれきの整理などのために、例えば、がれき撤去のための作業用の車両みたいなもの、ブルドーザーなり何なり、そういうものは届いていたんですか。

吉田「バックホーが数台もともとこちらにあったのと、間組さんがどこかから持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけれども、間組さんが線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」

——— これは何で間組なんですか。

吉田「たまたま、私もよくわかりません。そのときは線量が高いんですけれども、間組が来てくれたんです」

——— この辺周辺の撤去などの作業をしてくれたんですか。

吉田「それもやりましたし、6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です。なぜ間組に代わったかというのは知らない。結果として間組がやっているという状況だったので、たぶんいろいろお話をして、一番やろうという話をしてくださったんだと思います」



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 東日本大震災発生当日の2011年3月11日午後9時44分、新潟県にある東電柏崎刈羽原発を1台の化学消防車が福島に向けて出発した。消防関係の業務を東電から請け負っている南明興産という会社の社員3人が乗っていた。
 交流電源をすべて失った福島第一原発で、原子炉を緊急に冷やすポンプがすべて使えない状態になっていた。吉田らが代わりに思いついたのは、消防車を使って外から原子炉に注水する方法だった。過酷事故時の対応を定めたアクシデント・マネジメント・ガイドには書かれていない世界初の試みだ。
 ところが、福島第一原発の消防車3台のうち、使えるのは1台だけだった。1台は津波にやられ、もう1台は構内道路がやられて1〜4号機に近づけないところにあった。
 消防車を操れる人間はもともとごく少数。それもそのはず、東電の社員は誰も消防車を運転したことがない。ホースを消火栓につないだり、ホースとホースをつなぐなどの消防車周りの作業もしたことがない。
 南明隊は到着するやいなや、あちこちにかり出された。

——「実質的な、効果的なレスキューが何もない」

 福島第一原発では、消防車から原子炉への注水の経路がめまぐるしく変わった。防火水槽やタンクの淡水を入れていたかと思うと、次は逆洗弁ピットというくぼみにたまった海水を入れる。その次は海の水を直接汲み上げて入れる。そのたびに消防車を動かし、ホースをつなぎ変えた。南明隊は途中、東電の要請で部隊増強を図った。
 消防車周りの仕事はたいてい屋外作業となる。そのため、常に高い値の放射線にさらされたし、1号機や3号機が爆発した時はがれきの雨に打たれた。
 吉田も気遣ってはいたが、なにせ彼らの代わりができる人間が東電にいなかった。
 一方、がれきの撤去作業では、一部のゼネコンが一肌脱いだ。
 福島第一原発では15日以降、各号機の核燃料プールの冷却が大きな課題になっていた。特殊な消防車で地上から放水することが考え出されたが、がれきが、各号機へ消防車が近づくことを拒んでいた。
 がれきは、1、3、4号機の相次ぐ爆発で発生したもので、がれき自体が高い値の放射線を発していた。
 それを人と重機を投入して片付けた。これもまた高い値の放射線量のもとでやってのけた。




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——— こういう爆発があって、例えば3月13日とか14日というのは、保安院の方というのはどうなんですか。

吉田「よく覚えていないんですけれども、事象が起こったときは、保安院の方もみんな逃げて来て、免震重要棟に入られたんです。それから即、オフサイトセンターができたので、オフサイトセンターに全部出ていった。私の記憶がなかったので、先ほどDVD議事録を見ていたら、武藤が途中で大熊にあったときのオフサイトセンターから保安検査官をこちらに送り込むという話はあったんです。結局あれは14日だったんですけれども、来られなかったんです」

——— 来なかったんですか。

吉田「はい。私は記憶がないんだけれども、今みたいに24時間駐在で来られるようになったのは、もうちょっと後だと思います」

——— 保安院の方が来られると、例えば情報を得ようと思ったら緊対室に来ますね。

吉田「はい」

——— そのときというのは、所長に何かあいさつなりというのは、向こうからするんですか。そのまま本部の円卓の辺りにいるんですか。

吉田「我々別に保安検査官を拒絶するつもりもないし、来られるようなときに来られればよくて、彼らは保安院の制服を着ていらっしゃいますから、いらっしゃるということで、ごく普通に会議の中に入ってもらえばいい、という形で対応しています」

——— それは円卓に保安院用の席があるんですか。

吉田「もともとはなかったんです。そんな話があって、保安院の人に座っていてもらえという話をしたんです」

——— それはいつごろですか。

吉田「最初に武藤から電話があって、保安院さんが来るという話のときに、短期間で1回来られたかも知れないんです。14日ごろにね。そんな記憶もあるんです。ちょこっといらっしゃった。オフサイトセンターが福島に引き揚げるとなったときに、みんな福島に引き揚げられて、結局、16日、17日ぐらいまで、自衛隊や消防がピュッピュやっているときはいなかったような気がするんです」

——— サイト内に来られたとすれば、例えば保安院の事務所の方にずっといるわけではないんですか。

吉田「住むところは免震棟しかないわけですから、事務所には行きようがないんです。線量もあるし、被曝もあるしね」


 各原発には、原子力安全・保安院、今なら原子力規制庁に所属する原子力保安検査官が、常駐する制度になっている。
 東日本大地震発生時、福島第一原発内にも当然いて、地震後一時、免震重要棟に入っていた。だが、しばらくして南西5kmのところに福島オフサイトセンターが立ち上がると、そこへ移動した。
 2日後の3月13日午前6時48分、そのころオフサイトセンターに詰めていた東電原子力担当副社長の武藤栄が、吉田に、保安検査官が福島第一原発に戻ると連絡してきた。
 「保安院の保安検査官が、そちらに4名常駐をしますと。12時間交替で1時間ごとに原子炉水などプラントデータを、報告をするということになります」
 吉田は即座に「保安検査官対応!」と受け入れ態勢を整えるよう部下に指示した。
 保安検査官はその後しばらくしてやって来たが、3月14日夕方、2号機の状況が急激に悪化するとまたオフサイトセンターに帰ったとみられる。そして、15日朝、オフサイトセンターが原発から60km離れた福島市へ撤収すると、いっしょに行ってしまった。

——「みんな福島に引き揚げられて」

 一方、原発から5km離れたところにあるそのオフサイトセンターだが、原発事故があったら、10以上の省庁から40人超が集まり、原発や周辺自治体と連携して、情報を収集・発信する拠点になると定められていた。甲状腺がんを防ぐ安定ヨウ素剤の配布指示でも大きな役割を担っていた。
 それなのに、今回の事故では半数強しか来なかった。班が七つ立ち上がり、それぞれが班長の指揮のもと作業にあたることになっていたのだが、班長が3月末近くまで来ない班もあった。


 最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。
 これが多くの震災関連死の人を出し、今もなお13万人以上に避難生活を強いている福島原発事故の収束作業の実相だ。
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by nsmrsts024 | 2014-05-22 06:56 | 朝日新聞・綜合、政治

最高裁判所


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