人気ブログランキング | 話題のタグを見る

3月24日(木)・・・がれき いつものあの日が埋まってる 心の支え捜す人々

すべてが津波に流された。たくさんの人が亡くなった。せめて生きていく心の支えにと、廃材や泥の中で大切なものを捜す人たちがいる。がれきのなかにも、思いのこもった無二の品が含まれている。

 仙台湾に面した宮城県七ケ浜町菖蒲田浜地区。倒壊した家の破片が無数に散らばる。高校2年の伊丹結香さん(17)は棒で地面をつつき、あるものを捜し歩いていた。

 高校から始めた弓道で全国大会3位に入ったメダル。ほこりをかぶらないように、普段は机の引き出しにしまっていた。眺めては「がんばろう」と思いを新たにしてきた。しかし、家ごと津波に流された。

 震災3日後から連日、家の近くを捜す。机の破片は見つかったが、メダルはない。「がれきの片付けが始まって道路に落ちてるだけだと捨てられてしまうかも。持っておくか、役場に届けてもらえたら」。祈るように話した。

 津波に襲われた同県南三陸町。30代の母親ががれきの中でうずくまり、泣いていた。「なんにも悪いことしてないのに。どうして……」

 あの日、2歳の娘を寝かしつけ、山向こうの町に買い物に出て地震に遭った。山を越えて轟音(ごうおん)が響いてきたが車は動かず、坂道を走った。そこから先の記憶はない。

 娘は翌日、自宅があった場所から400メートルほど離れたがれきの下で見つかった。消防団員が顔を拭いてくれていた。いつもの歯磨きのように、口を大きく開けて指で泥をかきだしてあげた。

 震災3日後、がれきの中から、やっとアルバムを掘り出した。砂ぼこりが巻きあがる中、泥だらけのアルバムを胸に母親は泣き続けた。

 被災地ではがれきの撤去が控えている。県によると、災害ゴミでも所有者の財産権は否定できず、重機で廃材などを回収後、金庫や位牌(いはい)などが見つかれば保管することもあるという。ただ、担当者は「個人の思いを含んだものはできるだけ保管したいが、作業効率上、細かいところまでは難しい」と話す。(白井伸洋、三浦英之)

「うちの流し台だ」と言って涙を流す大友千賀子さん(手前)と中嶋明美さんは姉妹。実家の父親と兄は車の中で遺体で見つかり、母親は行方不明だ=21日、宮城県名取市、金川雄策撮影

重機を使ってがれきの撤去作業をする自衛隊員=22日午後4時1分、岩手県山田町、樫山晃生撮影

家屋などのがれきが道の脇に高く積まれている=22日午後4時12分、岩手県釜石市、福留庸友撮影

■「膨大すぎる」撤去難航

 がれきの撤去作業は、町が壊滅状態になった岩手県山田町でも難航している。

 「遺体が発見されました」。重機のある現場から無線で連絡を受けた自衛官が、巡回の警察官に向かって叫んだ。警察官が駆け寄り、遺体の特徴や服装などを書類に書き込んでいくと、その間、撤去作業は中断される。

 同町内では20日から、500人を超える自衛隊員と民間の建設業者約20社が行方不明者の捜索とがれきの撤去作業を行っている。しかし、町中ががれきで埋め尽くされており、撤去作業の見通しが立たない。自衛隊の一人は「がれきの量が膨大すぎる」と途方に暮れた。

 岩手県宮古市田老地区では22日、自衛隊が「今日は重機を入れません。何か捜しものがある人は声をかけてください」と避難所の住民らに連絡した。がれきの中から、家族の写真やぬいぐるみ、ランドセルなど思い出の品や、衣類などが次々に運び出された。

 実家が流されてしまった佐々木佐保里さん(46)は「全財産を失いましたが、何かひとつでも思い出のものが見つかれば……」。自らもがれきの山をかきわけながら、祈るような目で自衛隊の捜索を見守っていた。(坂本泰紀、古田真梨子)
by nsmrsts024 | 2011-03-24 06:39 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


by nsmrsts024