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4月3日(日)・・・復興妨げる原発・風評 作業員集まらぬ地域も 福島

東日本大震災から3週間あまり。岩手県や宮城県の被災地では少しずつ復興に向けた槌音(つちおと)が響き始めた。一方で、福島県は――。

 福島第一原発から直線で北に約30キロ離れた福島県南相馬市鹿島区南海老。ここにも津波は押し寄せた。

 3月30日。水浸しの土砂に横たわる家屋の木ぎれがショベルカーでかき集められ、がれきの山がいくつもできていた。山には赤いスプレーで○を描いたトタン板が立てかけられている。「遺体は見つからなかった」という目印だ。

 農業が中心のこの地区には300人ほど住んでいたが、家はすべて流された。

 重機を使った行方不明者の捜索が始まったのは3月24日。地震が起きた11日から約2週間、手つかずだった。

 南海老は政府による避難指示・自主避難要請の圏外だ。それでも、原発が影を落とす。「この地区はかなり作業が遅れている。原発のせいだ。みんな嫌がって、作業してくれる人もいない」

 地元建設会社の作業員(36)は言う。運び込まれた重機は5台。彼と同僚以外で操作していたのは、みな自衛隊員だった。

 重機の調達も難しくなっている。別の建設会社の男性は、重機のレンタル業者に貸し出しを拒まれたと明かす。「放射性物質が付いた場合、買い取ってもらえる契約でないと貸せない」。業者は、仲介役の福島県職員にそう話したという。

 がれきから見つかった卒業アルバムなどは、道路わきの箱に仕分けられる。食品製造業の荒尚久さん(43)夫妻は長女と次女の七五三の写真を探し出した。

 自宅があったこの地に戻ったのは、原発で最初の爆発が起きた3月12日に神奈川県横須賀市に避難して以来だ。「変わっていない。原発事故がなければ、もっと復旧は進むはずでは」

 30キロほど北上して県境を越えると宮城県山元町に至る。ここでは遺体の捜索と並行して、復興に向けたがれきの撤去作業が進んでいた。

 土くれの道は車が通れるようになり、積み上がったがれきを捨てるため、頻繁にトラックが行き来する。

 がれきの中を宍戸里佳子さん(15)と佐藤亜海さん(15)が自転車で走っていた。近くの高台にある坂元中学校で、先生たちの離任式に出た帰りという。

 福島では、風評被害で作業員が集まらない地域もある――。そう伝えると、2人は口をそろえた。「同じ浜でつながっているのに……。差別だと思います」

 放射能汚染の恐れと風評被害が、福島県の大きな足かせになっている。(木村英昭、小寺陽一郎)
by nsmrsts024 | 2011-04-03 06:09 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


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