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5月11日(水)・・・被災地医療「自立」選ぶ 宮城・南三陸、支援チーム撤収

津波で中心部が壊滅した宮城県南三陸町の各避難所で診療をしていた応援の医療チームが、13日で活動を終える。震災から2カ月、いまでも町内だけで5千人以上が避難生活を強いられているが、「いつまでも支援に頼れない」と、町はあえて自立の道を選んだ。

 「医療については、これまでは夢の状態。いつまでも続かない」

 同町医療統括本部の指揮を執る西沢匡史医師(38)は言う。「医療の自立」に向け、3月末にはすでに支援チームの撤退時期を検討していた。

 勤務していた公立志津川病院は町唯一の病院だったが、津波にのまれた。当直明けで自宅にいた西沢医師は、聴診器もないまま、近くの避難所に続々と運ばれるけが人の処置に追われた。数日後、全国から続々と医療チームが駆けつけ、イスラエル軍が仮設診療所を建てた。支援のありがたさが身にしみた。

 同病院は、イスラエルの仮設診療所を引き継ぎ、4月18日に外来診療を再開。20の支援チームが、各避難所に常駐し、被災者らのケアにあたった。だが、チームはいずれ撤退する。「夢は長く続くほど、覚めたときがつらい」

 救急医療は震災から1カ月ほどで落ち着き、薬の供給は安定した。西沢医師は今月1日、避難所診療を段階的に縮小し、13日に撤収することを町民や支援のチームに通知。「自立再生への第一歩」と、町民に理解を求めた。

 町内の各避難所と、志津川病院の仮設診療所は、9日から無料バスで結ばれた。避難所の一つ、志津川高校では、神戸市の医療チームが、校舎の一室で診療をしてきた。同校に避難する男性(50)は震災後、たびたび腹痛を患うようになり、診療所を2度訪れた。「近くに病院がないから、いなくなると不安ですね」とこぼす。
医師不足は震災前から深刻だった。町内の医師は、志津川病院に5人、開業医6人の計11人。西沢医師も、当直が月10回以上は当たり前だった。それが、被災した開業医が相次いで再建を断念するなどし、半減した。

 今後は、同病院の仮設診療所と残った1医院だけで診療する。入院患者は、6月から隣の登米(とめ)市の「よねやま診療所」のベッドを借りて受け入れる予定だ。

 「震災の惨状をみて、この町でやってみようという医師がいるかもしれない」。西沢医師は、町にとどまってくれる医師を求めている。(浅倉拓也)
by nsmrsts024 | 2011-05-11 17:13 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


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