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2月3日(日)・・・

班目元原子力安全委員長を任意聴取、事故対策など 検察
東京電力福島第一原発の事故をめぐり、業務上過失致死傷などの容疑で告訴・告発を受けて捜査している検察当局が、内閣府原子力安全委員会(昨年9月廃止)の班目(まだらめ)春樹・元委員長から任意で事情を聴いたことが分かった。すでに東電の勝俣恒久・前会長らの聴取も進めており、年度内にも立件の可否について結論を出すとみられる。

 班目氏は2010年4月に委員長に就任。11年3月11日の事故直後、現場に向かう菅直人首相(当時)のヘリコプターに同乗するなどして対応や住民の避難について助言。同月23日には放射性物質の拡散について試算を公表した。

 検察当局は原子力安全規制についての安全委員会の議論が適切だったかや、事故後の対応に遅れがなかったかについて班目氏に説明を求めたとみられる。











3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から1年と10ヶ月
千年に一度の巨大津波と66年後にまた起きた人間が発する核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災からの1年間を顧みる)


[2011年3月28日]・・・東電、核燃料の圧力容器損傷に言及「健全性は維持」
東日本大震災で被害を受けた福島第一原発1~3号機について、東京電力は28日未明の会見で、核燃料を入れた鋼鉄製の圧力容器が損傷して容器の外と通じた状態になっている可能性を認めた。東電は「穴が開いているイメージ」と説明。燃料を冷却するために注がれた水に放射性物質が溶け込み、外部に漏れ続けているとみられる。

 1~3号機は津波で非常用の電源が失われ、圧力容器内の水を循環させて冷やすシステムを動かせなくなった。このため圧力容器につながる配管にポンプを接続し、水を注入する作業が続いている。核燃料を水没させ、発電停止後も出続ける崩壊熱を直接、冷やすのが狙いだ。

 しかし1~3号機いずれでも、圧力容器の水位計の数値は思うように上がっていない。東電は28日未明の会見で、注水しても圧力容器が満杯にならない原因を、「(圧力容器の)下の方に穴が開いているイメージだ」と認めた。穴が開いた理由は「わからない」という。

 圧力容器は燃料ペレット、燃料被覆管、格納容器、原子炉建屋と合わせた5重の放射能閉じ込め機能の中で、最も重要な位置づけだ。福島第一原発の圧力容器は厚さ16センチの鋼鉄でできており、底部には、計測装置などを外部から差し込む貫通部などがある。その周辺から漏れている可能性が考えられる。

 東電は、水面から露出した核燃料が過熱して損傷した可能性を認めている。専門家によると、核燃料を束ねた燃料棒が損傷して崩れ、圧力容器下部に落下してかたまりになると、表面積が小さくなって効率よく水で冷やせなくなる。極めて高温になった燃料が圧力容器の壁を溶かして穴を開けた可能性もある。

 東電は一方で、内部の圧力が大気圧より高く保てているため「(圧力容器は)完全に壊れているわけではない」とも説明。「チェルノブイリのように破裂して(燃料が)外に出ている状態ではない」とし、容器の「健全性」は保たれている、という見解は変えていない。

この状態で注水を続けた場合、放射能を高濃度に含む水の外部流出が長引く可能性があるが、東電は、核燃料を冷やすには注水しかないとの立場だ。汚染水を外部に流すのではなく、本来の循環による冷却システムを再起動させる作業も進んでいるが、電源の確保などで難航している。

 一方、原子力安全委員会(班目春樹委員長)は28日午前、臨時会を開き、2号機のタービン建屋地下1階にたまっている通常の10万倍の濃度の放射能を含む水について、一時溶融した燃料と接触した格納容器内の水が、何らかの経路で直接流入したと推定されると発表した。

 ただ、屋外では極端に高い量の放射線は計測されていないとし、今後も水の漏出が続くとしても、炉心に注水し、蒸気を放出して冷却するという現在の冷却方法は継続可能と結論づけた。



[2011年3月28日]・・・避難所のテレビ1台、十数人囲んで…東北に地元から声援
第83回選抜高校野球第6日の28日、第1試合で東北(宮城)が登場した。東日本大震災で、練習も食事も思い通りにならずに甲子園入りしたナインたち。大垣日大(岐阜)に0―7で敗れたが、地元の避難所で厳しい生活を強いられている被災者らは、懸命なプレーに思いを重ねた。

 夷塚圭汰選手(2年)の出身校で、約230人が避難生活を送る仙台市若林区の市立蒲町(かばのまち)中。試合開始の午前9時、武道館に設けられた1台のテレビに十数人が集まった。

 最前列で観戦していた三浦幸子さん(63)は、津波で自宅を失った。「表情に出さずに立ち向かっていく姿に勇気をもらうね。応援している時は避難生活を忘れられる。久しぶりに、こんな大きな声を出して笑ったよ」

 小学5年生の遠藤倭君(11)は、床上浸水した自宅から大切にしていたグラブを見つけ出した。そのグラブを手に、毛布にくるまって暖を取りながら、試合を見つめた。「早く野球をやりたい。甲子園は憧れの場所。いっぱい練習して甲子園に行きたい」

 最後の打者が打ちとられると、ため息が漏れたが、被災者らは「精いっぱいやったよね」「次は夏だね」と拍手を送った。佐藤美代子さん(58)は「家もなくて一から出直しだけど、頑張っていかないとね」と話した。

 仙台市の東北高では、食堂にテレビ3台と椅子を用意。留守番部隊の生徒のほか、近くの住民ら約100人が集まった。町内会長の小金沢佳史さん(59)は「部員は水くみや炊き出しで避難所に応援に来てくれた。『何かやることありませんか』と積極的に動いてくれた」。試合には敗れたが、「9回裏は一球一球食らい付くような思いが伝わるプレーだった」とたたえた。(篠健一郎、一色涼)
by nsmrsts024 | 2013-02-03 06:44 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


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