人気ブログランキング | 話題のタグを見る

3月17日(月)・・・東日本大震災から3年と6日

3.11東日本大震災と福島第一原発爆発事故から2年と11ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人間が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能人災から直後の1年間を顧みる)



2011年3月17日(木)・・・陸自ヘリ、水投下4回で終了 今後は陸上から散水
陸上自衛隊のヘリコプターは17日午前9時48分、東京電力福島第一原発3号機に上空から水を投下した。防衛省によると、上空のモニタリングの結果、上空で作業が可能な時間は1機あたり計40分間だとして、2機が交互に計4回、投下を続け、午前10時に作業を終了した。

 同省によると、ヘリは計4機が仙台市の陸自霞目駐屯地から出発。2機が投下、1機が投下の指揮、1機が放射線量の調査にあたったという。午前8時ごろに調査ヘリが同原発に出発し、上空から周辺の放射線量を調査。作業の安全が確認され、上空で待機するCH47ヘリ2機がバケツ(容量7.5トン)でくみ上げた海水を交互に投下した。

 さらに陸海空3自衛隊の大型消防車11台を同原発に集め、地上からの放水も行う。11台は付近で待機中だという。使用済み燃料貯蔵プールの冷却機能に障害の疑いのある4号機の冷却にあたるとみられる。

 自衛隊の活用をめぐっては、16日に菅直人首相が北沢俊美防衛相に自衛隊のヘリ使用を指示。同日夕方に陸自霞目駐屯地(仙台市)からヘリが出動したが、周辺上空の放射線量が作業の限界値を超えており、長時間現場にとどまることが危険と判断し、活動を見送っていた。

 福島第一原発をめぐっては、警察庁も警視庁機動隊の高圧放水車を使って地上から放水する方針。当初は4号機への放水を予定していたが、より厳しい状況である3号機に対象を切り替えた。

 警察庁によると、放水車はすでに15日に警視庁から東京電力に引き渡され、東電側が海水を補充するなどして放水の準備を進めている。警視庁の機動隊員は20キロ圏外で待機しており、自衛隊による空中からの水の投下作業後、現地に向かって地上からの放水に着手する予定。作業は午後になる見通しだ。

 警察庁によると、当初、放水車は引き渡しを受けた東電側が操縦する予定だったが、その後、東電側から改めて「警視庁側で操縦してほしい」との要請があったという。




2011年3月17日(木)・・・原発から避難の患者17人死亡 医療設備不足と寒さ響く
福島第一原発周辺からの避難指示を受け、避難所に運ばれた患者ら計17人が、搬送中や搬送後に死亡していたことがわかった。避難所に医療施設がなかったり、長時間の移動と寒さによる衰弱が影響したりしたとの見方が出ている。

 患者の受け入れ先の一つ、福島県立いわき光洋高校などによると、同県大熊町の双葉病院と介護老人保健施設ドーヴィル双葉から患者・入所者128人が14日午後8時ごろ、バスで到着。その時点ですでに2人が死亡していた。残りの人たちは車いすや担架で避難場所である体育館に移されたが、16日までに12人が次々と亡くなった。

 患者らは病院や施設を出発した後、検査のために同県南相馬市の保健所にいったん北上。その後、高速道路で南下し、80キロ以上離れた同校に運ばれた。

 患者らを受け入れるため、同校は体育館の床に畳を敷き、大型の暖房機6基を設置したが、毛布は不足していた。医療設備もなく、医師は他の施設とかけもちのため常駐していない。校長は「医療行為ができないなか、職員で精いっぱいできることをしたが、寝たきりの患者も多く難しかった」と話した。

 原発周辺からの避難に伴う患者の死亡をめぐっては、双葉病院の入院患者55人が15日、自衛隊によって搬送される途中、うち2人が死亡したことがすでに明らかになっている。福島県によると、このほかにもう1人が同県伊達市の施設に移動する際に死亡していたことが新たに判明した。県の担当者は「食事をうまくとれずに、体力が低下したことが原因ではないか」との見方を示している。

















[世界と日本・今日この頃]

「めぐみに似ていた」 横田夫妻会見 面会、ひ孫とも

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親、滋さん(81)と早紀江さん(78)が17日、川崎市内で記者会見し、めぐみさんの娘キム・ウンギョン(ヘギョン)さん(26)との初めての面会について説明した。早紀江さんは「祖父母と孫として会いたいと思ったことが静かに実現した」と喜びを語った。面会では、めぐみさんの安否に関する話は特になかったという。

 面会は10~14日にモンゴル・ウランバートルで実現。ウンギョンさんと夫、生後10カ月の娘が参加したという。

 ウンギョンさんの印象について早紀江さんは「めぐみの若い時の感じによく似ていた。前から一緒にいたような感じだった」と話した。滞在中にウンギョンさんは夫妻に野菜を使った料理を作ってくれたという。ひ孫について、滋さんは「歩行器のようなものに入って、歩き回っていました。11キロという太った子で、よくなついてくれました。会うことができてよかった」と目を細めた。
by nsmrsts024 | 2014-03-17 07:04 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


by nsmrsts024