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8月22日(金 )・・・東日本大震災から3年5ヶ月と11日

3.11 東日本大震災と福島第一原発爆発事故から3年と5ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能災難から直後の1年間を顧みる)



2011年2月23日(水)・・・カダフィ政権が停戦するまで攻撃継続 米海軍大将明かす
【ワシントン=望月洋嗣、貫洞欣寛】リビアに対する多国籍軍の軍事作戦を指揮するロックリアー米海軍大将は22日、カダフィ政権が停戦するまで、攻撃を続ける考えを示した。一方、ゲーツ米国防長官は、リビア軍の防空網に大きな打撃を与えたため、多国籍軍の攻撃は数日のうちに大きく減るとの見方を示した。

 米国防総省によると、多国籍軍は攻撃開始以来、巡航ミサイル「トマホーク」計162発を発射。米軍機は計212回、その他の参加軍は計124回出撃し、リビア軍の地上部隊などに計108回の空爆を実施した。

 地中海で作戦を指揮する米第6艦隊の旗艦マウント・ホイットニーから衛星回線を通じて記者会見したロックリアー大将は、カダフィ政権に対し、反体制派の拠点都市ベンガジへの進攻中止と、ミスラタ、ザウィヤ、アジュダビヤ各都市からの即時撤退を要求。「カダフィ大佐がこうした要求に応じ、市民への攻撃をやめれば、我々の任務も完了する」とし、当面は攻撃を続ける構えを示した。

 ゲーツ長官は22日、訪問先のモスクワで記者団の質問に応じ、「リビアの防空網の破壊が成功したため、(多国籍軍の)攻撃は減っていく」と説明。米軍は他国への指揮権移譲を数日以内に実施する考えだが、調整が難航していることも示唆した。

 リビアからの情報によると、多国籍軍の空爆で政府軍の東進は止まったものの、反体制派の拠点である西部ミスラタや南西部ゼンタンで戦闘が続いている。リビア西部では、政府軍は衰えを見せていないという。



2011年2月23日(水)・・・仮設住宅建設、福島でも始まる 7月末までに1万4千戸
東日本大震災の被災者が利用する仮設住宅の建設が23日、福島県でも始まった。土地や資材を探しながら、7月末までに県内に1万4千戸の建設を目指す。

 この日は、同県国見町で測量やプレハブ住宅の基礎になる木杭を打ち付ける作業が始まった。約3週間で43戸が完成し、1カ月後には入居できる予定という。入居基準は県が検討中。須賀川市や相馬市などでも順次着工する。

 県によると、地震や津波、原発の事故で約2万世帯が避難生活を送っている。仮設住宅のほか、公営住宅の空室や民間住宅を利用して全員が入居できるようにする方針だ。(大平要)
















[世界と日本・今日この頃]

新婚夫婦、妻のおなかに命「見つかって」 広島土砂災害
広島市の土砂災害で、21日に新たに40人を超える行方不明者が判明した。最も甚大な被害を受けた安佐南区八木3丁目では、行方不明になった家族を案じる人たちが無事を祈った。

 広島市の21日午後7時時点のまとめでは、八木3丁目の死者は22人、行方不明者は33人にのぼる。

 その中で「32番地」は最も山際にある。20軒近くあった民家やアパートのほとんどが大量の土砂に流された。発生当日の20日は消防隊員らが二次災害を警戒して捜索に入れず、21日になって捜索をはじめた。

 午前8時過ぎ、流木に座っていた広島県三次市の湯浅吉彦さん(61)が、自衛隊員や警察官の捜索作業をじっと見守っていた。

 昨年10月に結婚したばかりの長男の康弘さん(29)が、妻みなみさん(28)と暮らしていた「ルナハイツ」は2階建てのアパートだった。康弘さんは整体師。先月29日、転勤で東京から引っ越してきたばかり。妻のおなかの中には新しい命が宿っていた。その日、湯浅さんが訪れたアパートは新築で、周囲の緑の多さが印象深かった。

 しかし今、一帯は土砂に埋まり、32番地のほとんどの家がなくなった。アパートも流されて跡形もなく、建物があった場所には巨大な岩が転がっていた。2人を含めて男女8人が行方不明となっている。

 地元の消防団員を務める湯浅さんは「こんな現場は初めて」と驚く。「なんでこんなことになったのか。信じられない。何とか見つかってほしい」。声を絞り出し、無事を祈った。

 「32番地」に8年前から住む無職の男性(70)は20日未明、「バリバリバリ」「ドンドン」という音を聞いた。まもなく自宅1階に土砂が押し寄せ、妻と、助けを求めてきた近所の女性と一緒に、壁が壊れた家の中で救助を待った。

 朝、泥だらけで救助に来た消防隊員から「ヘリで搬送します」と言われ、屋根にのぼってまわりを見ると周辺の家がなくなっていた。男性はいま、親類の家に避難している。「親しい人がまだ発見されていない」と心配そうに話した。

 広島市安佐北区可部に住む50代の男性は、20日午前3時半、八木3丁目の県営住宅で暮らす娘から助けを求める電話を受けた。すぐに「土石流」の文字が頭をよぎった。

 山登りが好きな男性は昨夏、県営住宅から谷沿いに山を登った。急な坂を50メートルほど進むと、大小様々な花崗岩(かこうがん)や流紋岩が堆積(たいせき)していた。雨が大量に降ると、岩が水と一緒に落ちてくるのではと不安に思っていた。

 娘の部屋は寝室に土砂が流れ込んできたが、間一髪でけがはまぬがれた。この区画の状況を見て、「今回の豪雨はあまりにも予想外だった」と肩を落とした。(二宮俊彦、日比真、国米あなんだ)

■避難した集会所に土石流、女性死亡

 安全なはずの「避難所」が、今回の土砂災害では命を落とす現場にもなった。

 広島市安佐北区可部町の男性は20日午前3時ごろ、裏山から滝のように水が流れているのに気づいた。母親(86)と一緒に、近くの集会所まで避難した。「泥で汚れるといけない」。雨にぬれたまま中に入るのをためらう母親が、外の階段辺りに腰掛けていたとき、「ドーン」と大きな音が鳴り響いた。

 周囲は真っ暗で何も見えなかった。直後に土石流が襲ってきた。土砂に足を絡め取られ、仰向けのまま引きずられた。背中や腕、足など全身に擦り傷を負った。自力ではい出したが、母親の姿はもうなかった。12時間以上たった20日午後5時半ごろ、集会所近くで遺体で見つかった。

 広島市によると、集会所は、災害の種類や規模、地理条件などに応じて開設される短期避難型避難場所の一つ。「高潮」「洪水」には対応しているが、「土砂」は対象外とされていた。今回の土砂災害では建物ごと流された。

 男性は「車で逃げることも考えたが、そんな余裕はなかった」と振り返る。

 地元の自治会長の男性(53)は「これまでこんなに大きな災害はなく、集会所は安全だと思っていた」と肩を落とした。(藤田遼)




広島の土砂災害、不明51人に 死者は39人
広島市北部で起きた土砂災害で、広島県警は21日、これまで7人としていた行方不明者が51人になったと発表した。死者39人のうち31人の身元が判明。県警は、残る8人と行方不明者の重複はほぼないとしており、死者・行方不明者数は計90人にのぼる見通しだ。広島市も同じ被害状況を把握しており、土砂災害としては過去最大級の被害とみられる。県警などは約3400人態勢で懸命の捜索を続けたが、21日午後9時ごろに現場での降雨が激しくなり、捜索はいったん中断された。

 県警は、大阪や岡山、山口などの他府県警からの応援をうけ、約1700人態勢で捜索にあたった。市消防局も前日に引き続き約1千人、県内の他自治体の消防本部から約100人、岡山県から緊急消防援助隊約60人が駆けつけた。陸上自衛隊も約500人が捜索にあたった。

 広島地方気象台によると、21日午後6時から24時間で、被災地周辺では多いところで50ミリの降雨が予想され、場所によっては雷雨の可能性もあるという。

 20日未明に発生した被災現場では、土砂災害の影響が続く。市などによると、同日午後7時現在、安佐南区と安佐北区の計6万8813世帯16万4108人に避難勧告や避難指示が出されており、385世帯887人が避難している。床上・床下浸水は計170戸にのぼった。停電戸数は21日午後5時現在、約830戸。給水管の破損などで1066世帯が断水している。

 JR西日本は、運転を見合わせていた芸備線の三次―広島間の運転を22日から再開すると発表。災害現場近くを通る可部線の緑井―可部間は、22日も引き続き終日運転を見合わせる。

 一方、広島県は、豪雨災害の起きた広島市に「被災者生活再建支援法」を適用することを決めた。住宅が全壊した世帯や半壊で大規模な補修が必要な世帯が対象。全壊の場合は1世帯につき、最高で300万円の給付を受けられる。同県内での適用は県北部に大きな被害があった2010年の集中豪雨災害以来という。

 21日、古屋圭司防災担当相や太田昭宏国土交通相が現地を視察した。広島県は県庁を訪れた太田国交相に、「土砂災害警戒区域」の指定を進めるのに必要な予算措置や、砂防施設の整備のための予算増額を要望した。

■最大40メートル幅の土石流

 広島市で20日未明に発生した土砂災害で、山裾に立ち並ぶ家屋を襲った土石流の幅が最大40メートルに達することがわかった。国土交通省の調査チームが確認した。強固な岩石が崩落した場所があったこともわかり、発生当時の降雨の激しさを裏付けている。

 国交省国土技術政策総合研究所の蒲原潤一・砂防研究室長ら専門家のチームが20、21日に安佐南区の八木地区、緑井地区を中心に、土石流の発生地点を歩いて調査した。

 八木地区では、複数の地点で土石流が発生した。被災地に押し寄せた泥や岩を調べたところ、もろい花崗岩(かこうがん)や、それが風化してできた「まさ土」のほかに、ごつごつと角張った「流紋岩」という硬い岩石も含まれていることがわかった。

 短期間に激しい雨が降ったことで、雨水に弱い場所だけでなく、比較的硬い地質でも土石流が発生したことを裏付けているという。蒲原室長は「相当の雨が降ったことを示している」と話した。(野中良祐)
by nsmrsts024 | 2014-08-22 04:54 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


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