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2016年3月13日(日)・東日本大震災から5年と2日

3.11 東日本大震災と福島第一原発爆発事故から5年
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能災難から直後の1年間を顧みる)
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3.11 東日本大震災   福島第一原発爆発 飯館村 214



2011年3月7日(木)・東北3市長「祭りで元気を発信したい」 谷垣総裁と会談
 仙台市の奥山恵美子市長、青森市の鹿内博市長、岩手県八幡平市の田村正彦市長が7日、自民党本部で谷垣禎一総裁らと会談した。3市長は、全国的な自粛ムードを懸念して「仙台七夕まつりや青森ねぶた祭をやり、東北の元気を発信したい」と訴えた。

 会談では、鹿内市長が「新幹線が通らず、観光客のほとんどがキャンセルになり、地域経済に大きな影響が出ている」と話した。同席した大島理森副総裁は「大々的な観光キャンペーンをやりたい」と約束した。


   
[2015年、世界と日本・今日この頃]

両陛下、被災者の支えに 約束が励み、ハマギクに奮起も

東日本大震災から5年。天皇、皇后両陛下は被災地に心を寄せ続けてきた。両陛下と対面した人たちにも前を向く糧になっているという。16~18日には福島、宮城両県を訪れる。宮内庁幹部は「3・11の後も被災者を思い続けるというお気持ちの表れでは」と話す。(島康彦、伊藤和也)

 津波で被災した仙台市宮城野区の蒲生地区。5年の節目を迎えた11日、佐藤美紀子さん(68)は震災発生時刻に合わせ、流された自宅跡地で黙禱(もくとう)した。ふさぎ込みがちになるたび、皇后さまとの「約束」を思い出すという。

 5年前の4月、両陛下が佐藤さん夫妻が避難する体育館を訪れた。スリッパを履かず、冷たい床の上をまわって一人一人に声をかける皇后さまに、佐藤さんは黄色いスイセンの花を手渡した。この日朝、自宅の跡地に咲いていたのを見つけ、持ち帰っていた。

 「このスイセンのように負けないでがんばります」。思いを伝えると、皇后さまは「ちょうだいできますか」と笑顔で受け取り、大切そうに持ち帰った。

 震災後、夫の重雄さん(70)とともにがんが見つかり、闘病が続く。佐藤さんは「両陛下が今も被災地を気に掛けてくださることは私たちの励み」と話す。

■形見の種から復興の花

 皇居・御所の車寄せに咲くハマギクの花を、天皇、皇后両陛下が笑顔で眺めていた。震災があった年の10月、皇后さまの77歳の誕生日にあたり、宮内庁が公開した一枚の写真に、千代川茂さんは「あっ」と声をあげた。

 そのハマギクは、震災で亡くなった兄・山崎龍太郎さん(当時64)が種を贈り、大切に育てられたものだった。「今思えば、両陛下からの激励のメッセージだったのでしょうか」。千代川さんはそう振り返る。

 1997年10月。両陛下は岩手県大槌町を訪れた際、千代川さんが働くホテルに宿泊した。客室から見えた花について両陛下からたずねられ、後日、ホテルの社長だった山崎さんがハマギクの種を皇居に贈ったという。

 震災でホテルは津波に襲われ、山崎さんや従業員が犠牲になった。ホテルは営業を休止。千代川さんは被害の大きさにうちひしがれたが、ハマギクの写真に奮い立たされた。

 千代川さんは兄の後を継ぎ、社長としてホテルの再建にあたった。2013年8月に営業を再開。ハマギクを復興の象徴にしようと、名前を「三陸花ホテルはまぎく」に変えた。

 「ハマギクの花言葉は『逆境に立ち向かう』。皇后さまはそれをご存じだったのだと思います」

■「片時も被災者のことを忘れずに」

 「私どもの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります」。11日の震災5周年追悼式。天皇陛下は思いを込めるようにそう語った。

 「発生以来、両陛下は片時も被災者のことを忘れずにいらした」と側近の一人は言う。震災の記憶が忘れ去られないようにと、両陛下は常に行動で示し続けた。

 発生5日後。天皇陛下は国民に向けてビデオメッセージを出した。「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」。救援救助活動が続く現地に足を運べない中、遠方からお気持ちを届けようという配慮だった。

 発生直後の3月下旬からは都内の避難所や被災3県を相次いで訪れ、避難所などで被災者に向き合った。一連の訪問は7週連続で、すべて日帰りの強行日程。警備の負担を減らし、震災対応を優先してほしいという両陛下の意向だった。

 被災者に寄り添おうとするお二人の気持ちは、日常生活にも表れている。震災直後の計画停電に合わせ、「困難を分かち合いたい」との考えから、お住まいの皇居・御所で自主的に節電を始め、今でも続けているという。

 宮内庁でも、昼休みの消灯など照明の使用を抑える▽エレベーターを使わない▽暖房は19度に設定して重ね着を励行――といった取り組みが定着した。幹部は「両陛下が背中で引っ張って下さっている」と話す。

     ◇

 〈東日本大震災時に宮内庁侍従次長だった佐藤正宏さんの話〉 被災した人たちに寄り添い、被災者を助ける人たちを励ましたい。天皇、皇后両陛下は、常にそう考えていらっしゃいます。那須御用邸の浴場を被災者に提供したり、都内に避難している人々を皇居・東御苑の花見に招待したり。今回の震災に限らず、過去の自然災害でも変わらない一貫したお考えです。被災地に足を運ぶことで、国民の気持ちを被災地に向けようというお考えもあると思います。今後も心を寄せ続けていかれるでしょう。
by nsmrsts024 | 2016-03-13 08:12 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


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