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2016年8月2日(火)・東日本大震災から5年4ヶ月と22日

3.11 東日本大震災と福島第一原発爆発事故から5年と4ヶ月
1000年に一度の巨大津波と66年後にまた人が起こした核災害の記録
(東日本大震災と放射能災難から直後の1年間を顧みる)
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3.11東日本大震災     津波 256



2011年4月9日(土)・こんな時だから、花見 陸前高田で被災者らが計画
津波で市街地が壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市で、お花見の企画が持ち上がっている。発起人は避難所で暮らす被災者たちだ。「復興の第一歩にしたい」。がれきが散乱する街を見下ろせる避難所で、住民たちは桜が咲く日を待ち望んでいる。

 同市気仙町の成田山にある避難所は、急勾配の六十数段の石段を上るとたどりつく。寺の境内にブルーシートを屋根代わりにして約10人の被災者が暮らす。その周りには数十本の桜が街を見守るように並んでいる。

 同市では毎年、地元の酒造会社の敷地にある約100本の桜を一般開放した「陸前高田さくらまつり」が開かれていた。だが、酒造会社は津波で流されてしまった。

 住民代表の佐藤直志さん(77)は、被災者たちの表情や破壊された街をみていて、このままではいけない、と感じたという。「地元の小唄にも桜が名物として語られていて、桜は重要な存在。残った成田山の桜を見ながら盛り上がって、復活への力にしよう」と考えた。

 お花見は、桜の開花が予想される17日に行う予定。企画に賛同した県議やボランティア団体もインターネットやツイッターで参加を呼びかけている。当日は、郷土芸能も披露される予定で、花見企画は予想以上の盛り上がりだ。

 避難生活を送る菅野剛さん(61)も「早く日常に戻したい。そのためにも、恒例の花見を開くことは意味がある」と心待ちにしている。(杉崎慎弥)


[2016年、世界と日本・今日この頃]

[2016年8月2日]
「したたかじゃない女性なんていない」小池百合子、へたれ男たちとの勝負史24年

「やっぱり勝負しないとイヤなんです」

小池百合子からそんな言葉を聞いたのは、11年前のことだ。

郵政民営化をかけた2005年の選挙で、「刺客第一号」として圧勝してから11年。今度は都知事選で次点に100万票以上の大差をつけた。勝因は何だろうか。政界進出して24年。その間繰り返してきた彼女の勝負の歴史に、答えがあるだろう。

21歳で第四次中東戦争をカイロで経験し、匍匐前進などの軍事教練を受けてきた小池百合子。国会議員でおそらく唯一戦争体験がある女性と、他の議員たちとの違いは戦い方から見えてくる。

安全に勝とうとしたがる人たち

細川護煕率いる日本新党ブームに乗って小池百合子が政界入りをしたように思われているが、それは少し違う。

1988年、テレビ東京『ワールド・ビジネス・サテライト』の初代キャスターに就任して高い評価を得ていた彼女には、複数の政党から政界入りの誘いが来ていた。小池に日本新党入りするよう口説いたのは、「朝日ジャーナル」の編集長だった伊藤正孝である。

伊藤は朝日新聞鹿児島支局の記者時代に、新人記者・細川護煕と同じ下宿で暮らした関係から、細川から新党立ち上げの相談を受けていた。アフリカ報道で知られる伊藤と小池は、『季刊アラブ』の編集を通して同志の関係にあった。そこで小池に白羽の矢を立てたのだ。

しかし、日本新党はすぐにブームを起こしたわけではなく、実は結党時に危機に立たされている。全国から多くの賛同者が集まったものの、いざ選挙となると、ほとんどの者が立候補に二の足を踏み、「細川さんが当選したら、自分も出る」と様子見を決め込んだ。つまり、勝ち馬に乗れるとわかった段階で、来年の選挙なら出てもいいと誰もが思ったのだ。

候補者がそろわない中、伊藤正孝の口説きをためらっていた小池が突然、手を挙げた。

「自分が身を投じたら、誰もが乗ってくるだろう。このチャンスを生かしてあげないと、党が潰れてしまう」と、小池は当時のことを私の取材で回想している。

92年7月の参院選で細川や小池ら日本新党から4人が当選。翌年の衆院選で細川や小池は鞍替えをし、この時、一気に35人が当選。最初に飛び込むことで勢いをつくり、党も小池本人もイニシアティブを握り、細川政権の道筋をつくったのだ。

勝負する土俵を変える

今回の都知事選に立候補した山口敏夫と小池百合子にはちょっとした因縁がある。94年、山口敏夫は小池ら日本新党の議員7人を六本木の中華料理店に連れて行き、そこで小沢一郎(当時、新生党代表幹事)と引き合わせている。

小沢と小池は安全保障論で意気投合し、94年に日本新党、新生党、公明党が合併して誕生した新進党で、党首と補佐役という関係になった。しかし、次の小池の勝負となったのが、小沢との決別だろう。

新進党は98年に解党。小沢は自由党を率いて、小池も自由党に合流したが、99年、自由党は自民党による水面下での猛烈な切り崩し工作を仕掛けられる。

「小池さんには残ってほしい」。小沢は自由党幹部に「小池残留」の指示を告げ、彼女に「近畿ブロック・比例」という条件を提示した。しかし、残留工作は失敗。彼女は保守党の結成に参加した。彼女は残留しなかった理由をこう言っている。

「私は地べた(小選挙区)で勝負したかった。比例ではやりたいことができなくなる。やっぱり勝負しないとイヤなんです」

彼女は「政界渡り鳥」という揶揄を非常に嫌るが、政党を渡り歩くというよりも、勝負を張る舞台を探していると言った方がいいだろう。

結成された保守党は海部俊樹、扇千景など大物が多い小所帯だったため、彼女は現場仕事の多くを任され、肩書きは22にも増えた。「もう体が壊れる」と、保守党を離脱。

そうして彼女が入党したのが、「自民党をぶっ壊す」と吠えて総裁になったばかりの小泉純一郎率いる自民党だった。

常に逆境

小泉政権で環境大臣に就任した後、日本の政党の体質を象徴するシーンがあった。森派の昼食会で、派閥の領袖である森喜朗が小池を罵倒した。

「なぜ、再任なんだ!」

内閣改造で小泉首相が小池を環境大臣に再任したため、小池に八つ当たりのような怒りをぶつけたのだ。同じく法務大臣に就任した南野知恵子も、森の怒りの標的となった。

自民党のドンとして、年功序列や当選回数を無視した小泉の抜擢人事が気にくわなかったのだろう。小泉に不満を言わずに、女性たちに当たる見苦しい光景であり、”ムラ”の政治を垣間見る場面だった。のちに小池は森派を離れている。

世襲議員が圧倒的に多く、ムラの因習が支配的な組織で埋もれないために、自ら勝負に名乗り出る。それが2005年、小泉首相が「死ぬ覚悟でやる」とぶちまけた郵政民営化を問う解散総選挙だった。彼女は造反議員への「刺客第一号」として手を挙げた。このときも今回の都知事選と同じく、選挙区の兵庫6区に相談なく、突然の宣言だったため話題となった。

07年には、「防衛省のドン」として事務次官に異例の5年以上も居座る守屋武昌を更迭。きな臭い噂があり、人事に介入していた守屋を総理や官房長官に相談せずに更迭したことで、結果的に刺し違えることとなった。

一番最初に名乗りを上げる、スポットライトを浴びることで、逆境を大舞台に変える、そうした戦い方の総決算が今回の都知事選だった。舞台は小池の土俵となり、組織力に勝る結果となったのだ。

2009年に小池から都連改革を提言されて、会議中、コップを手で払いのけるほど怒った都連会長、石原伸晃は、今回、父親の石原慎太郎を応援に担ぎ出した。しかし、父は小池のことを、「大年増の厚化粧」と罵り、女性票の獲得を狙っていた与党にとって大誤算となった。

永田町の古いムラ社会で、常に「したたかな女」と陰口を叩かれる小池に、11年前、「したたかですよね」と聞くと、こんな言葉が返ってきた。それは小池らしい答えだった。

「世界中の女性でしたたかでない人なんて、いませんよ。そもそもしたたかでない政治家なんて、政治をやめた方がいいと思う」




【小池都知事始動・就任会見詳報(2)】「都議会のドン」が利権で動いたのでは、との質問に「個別のことはお答えしませんけども…」
《東京都知事に就任した小池百合子氏(64)の記者会見が続いている。都政改革に向け、「都政改革本部」の設置などを明らかにした小池氏に対し、報道陣からの質問が始まった》

 --改革本部について、最終的な調査結果を出すめどと、本部は常設のものとして設立するのか

 小池氏「都政改革はスピーディを旨といたしたいと思います。しかし、短期間で改革の成果が出るものと、中長期にわたるものがございます。タイムスパンを分けながらも、『東京大改革』という大テーマを、時間軸と課題軸と分けて進めたいと思います。これは私の就任期間中の常設の機関とさせていただき、必要に応じてアジェンダ、テーマが出てくるか思いますので個別の調査チームを必要であれば設けるということで、機能する改革本部にしていきたいと思います。人員などに関しては今精査しているところですけども、外部の方々に関しては、改革に取り組んでこられた知見のある方にお願いしようと思っております。改革本部の体裁がまとまりましたらまた皆さま方にはご報告させていただきたいと思います」

 --「都政改革本部」、そして2つの調査チームについて職員の士気を高めることと一致しないのではないか

 「改革はやはり自ら変えていくことなしには、ただ外からの部分のみでは、改革には資さないと思います。今日職員の方々に(訓示で)お訴えさせていただいたのは、自らを変えていくために情報公開をしていきましょうと話しました。情報公開を自ら進めることによって、外から見てもらうということで、内々でやっている限りは改革にはつながらないと思います。その意味では外部の皆さま方からの厳しいご指摘を受けることが都政を改革する都民ファーストに近づく方法だと思っておりますので、私はむしろ矛盾するとは思っておりません。痛いところを突かれるかもしれませんけれども、それは都民のために機能する都庁として、その職員としてそれを進めるべきだと思います。これからも都庁の職員の皆さま方に一緒に頑張っていきましょうと言っていきたいと思います」

 《多くの記者から質問を求め、手が上がるが、小池氏は『お一人一問にしましょう』と慎重にさばく。次に質問したのは元参院議員の田嶋陽子氏。小池氏に対し、女性登用について厳しい質問を投げかけた》

 --訓示の際に都庁の職員の95%が男性だったが、女性の職員を増やすなどはあるのか

 「田嶋先生ありがとうございます。ご指摘は、むしろエールに聞こえました。都庁の職員の男女比別について、正確な数字は持っておりませんが、先だって新聞のデータで30%を超えていると。他の中央省庁よりは女性の比率は高いのではないのかと、意を強くしたわけであります。(小池氏が目指している3つの都市像の)2つ目に挙げているダイバーシティ(多様性)というのは男女比率のことも入るわけで、東京都庁というのは(女性が)多いんですというのではなくて、より多くの女性の方々にもっともっと活躍していってもらいたいんです。世の中を変えていくのは『よそ者若者、ばか者』という言葉もあり、女性はある意味『万年野党』と言われていたわけですけど、だからこそ、女性の職員の皆さまに頑張っていただくということは、一番東京大改革の担い手になっていただけると思っています」

 「女性職員の採用時の比率などもこれから確認していきますが、特により幹部への登用を進めていく、女性政策についても取り組んでいましたけれど、ロールモデルがいれば、もっと頑張ろうという女性もいる。いろんな女性がいるから、意欲のある女性は活躍の舞台を設けていく。このことが一番早い大改革につながると思っております。またいろいろとエールを送って頂ければと思います。数値などは即答できませんけども、私はそういう考えを持っていると。ちなみに、まだまだ国会でも女性の比率が少なくて、これこそ後ろから数えた方がいい。いずれにしても元気な女性が働き、都政を引っ張り、そして子育てもする。こういった女性をぜひ応援していきたいと思っております」

 --「情報公開チーム」について、政治資金についてどのように情報公開するのか

 「お金の内容もいろいろあろうかと思います。例えば知事本人であるとか、議会のほうのお金の話もあろうかと思いますが、議会については議会がお決めになることかと思います。一番大きな問題は、予算が正しく有効に使われているのか、ということだと思いますので、その透明性を確保していきたいと思います。お金のチェックにせよ、メディアの方々の尽力ですとか、議会によるチェックとか、もう一度情報公開という点から、公開していけるかどうか。それから公用車の使い方など、税金が私に使われているか公に使われているか、その点についても、いずれにしましても情報公開のルールを作る。現場に戻して透明性を高める、このサイクルを確立していきたいと考えております」

 --オリンピック関連で「都議会のドン」が利権関係で動いたという報道があったが

 「個別のことにはお答えしませんけども、いくつかの情報が裏付けなく漂っている状況です。利権追及というか、お金の部分についてはオリパラ(東京オリンピック・パラリンピック)においては、いったいどういう内容なのか、それを集約するようなシステムを作っていきたいと思っています」

 --今日の服装が緑色の服ではないことについて

 「緑は私の環境エコを中心としたテーマカラーでございます。特に選挙中は戦闘服としてそれをまとっているわけです。百合子グリーンが街頭演説中、ワンポイントつけていただいたということは本当にうねりのように感じた次第です。291万票ものお支えで当選した今、ちょっと今はブルーオーシャンの気持ちで、静かな気持ちで都政にしっかり臨んでいこうという意味でございます。しばらくは緑を休めて、都政に邁進(まいしん)したいと思います」
by nsmrsts024 | 2016-08-02 05:41

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


by nsmrsts024