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2016年10月25(火):「若者の貧困」を招く、精神疾患増加の実態 熟年世代の偏った経験からは理解できない

生活困窮者支援を行うソーシャルワーカーである筆者は、若者たちの支援活動を行っていると、決まって言われることがある。「どうしてまだ若いのに働けないのか?」「なぜそのような状態になってしまうのか?」「怠けているだけではないのか?」「支援を行うことで、本人の甘えを助長してしまうのではないか?」などである。

 要するに、”若者への支援は本当に必要なのか?”という疑念である。これは若者たちの置かれている現状の厳しさが、いまだに多くの人々の間で共有されていないことを端的に表している。今回の連載を通して、「若者なんだから、努力すれば報われる」という主張など、ナンセンスであることを明らかにしていきたい。

最も若者が生きにくい先進国

 若者たちは元気で健康的なはずだという思い込み(青年健康説)を、あなたもどこかに抱いてはいないだろうか。

 実は彼らの健康はいま、急速に脅かされている。特に労働現場において、長時間労働やパワハラの横行などにより、精神疾患を発症する人々が増えている。彼らが受診する診療科目で、最も多いのは精神科や神経科であることをご存じだろうか。これは年々上昇傾向にあり、減少に転じる気配はない。現在進行形で、日本社会は若者の精神をむしばんでいる。

 それに伴い、若者の自殺率も高い特徴がある。事実として、主要先進国において、若者(15〜34歳)の死因トップが自殺であるのは日本だけであり、若者の自殺死亡率は日本がダントツなのである。世界で最も若者が生きにくい先進国だと言っても差し支えないと思う。統計データは実に正直だ。

 うつ病や不安神経症などの精神疾患は、人々の命を容易に絶たせる悪魔だ。精神障害にかかる労災請求・決定件数の増加が、それを裏付けている。周囲の人々も精神疾患に対する理解に乏しいこともある。なぜあの人は働かないのだろうか、と懐疑のまなざしを送られ続けることも、命を絶たせる遠因になっているだろう。過度なストレスを若者に与えること、精神疾患を発症させること、精神疾患が発症した後に支援策が不十分である環境などを早急に見直したい。すでに若者は相当に追いつめられている。

 当然であるが、多くの若者たちは無理を強いられながらも仕事を持ち、日々働いている。そのなかで、たとえば失業したり、長期間仕事がない場合はどうだろうか。社会的なマイノリティ(少数派)として居場所を喪失した感覚を持ってしまうなど、若者の心細さは想像を絶するものがあるだろう。または不運にも病気にかかり、職場を離れなければならない若者の気持ちを想像すると、その挫折感や不安感は計り知れない。

 当然、若者は健康であるという前提で社会システムも職場の意識も形成されているため、支援体制などが整備されていないことも目の当たりにする。そもそも、若者が有給休暇を取って、病院で受診することすら満足にさせられていない企業が多い。これについては、いくつも報告がなされているところだ。

 目に見えにくい疾患が急速に増えている一方で、若者たちの心身の健康に配慮しながら、健康診断を促すことは少ない。40代ともなれば、人間ドックなど、内科の健康診断の機会は増えてくるが、若者たちの心がむしばまれる状況に対しては、企業の一部で産業カウンセラーがメンタルケアを多少行う程度で、対策はまだまだ遅れている。

 わたしたちも当然ながら、元気な若者像を前提としながら、考えてしまうと落とし穴にはまる。彼らはもう、健康で元気ではないかもしれない。

時代錯誤的な神話に絡めとられて

 また、「若者はみんないつの時代も大変なものだ」と言い出す人も、特に熟年世代に多い。こうした時代錯誤的神話を、わたしは「時代比較説」と呼んでいる。

 戦後しばらくは、食事もままならないほど困窮しており、何もない状況でなんとか工夫して努力してはい上がってきた。裕福な時代に生きている今の若者は、当時に比べれば大変ではないだろう─―とうれしそうに語る典型的な高齢者に、わたしもしばしば出会う。

 まず何が大変で何が大変でないかは人それぞれであるし、それぞれの価値観の違いという問題を含んでいる。その人の状況になってみなければ、大変か否か、つらいか否かは理解できないだろう。若いうちに努力をした高齢者は、まったく同じように若者たちに努力を求める傾向にある。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という単純な論理がまだまだまかり通っている。

 唐突かもしれないが、ここで「貧困」と「貧乏」の違いを説明したい。昔は貧乏であり、物質的に恵まれない時代があったかもしれない。しかし、周囲の人々も同じような境遇であり、生活に困窮していたとしても、それを補い合う人間関係や連帯感が醸成されていたことも事実である。

 すなわち、物質的に貧しくても、人間関係は豊かであり、自助や共助によって、今よりも多くの人々が救済されていたとも言える。ひるがえって、現在の若者はどうだろうか。家族や親族、近所のおじさん・おばさんがお困りごとに対応してくれるだろうか。以前ほど安い下宿先はあるだろうか。職場でも正社員か非正規社員かで分断され、連帯できる仲間意識が形成されにくいことに、考えは及んでいるだろうか─―。

 現在の若者の「しんどさ」を見る際に、「ジニ係数」(所得や資産の不平等、あるいは格差を測るための尺度のひとつ)や相対的貧困率が高まっていることは、特徴的である。格差が広がり、貧困が広がっている。実際に相対的貧困率を年齢別で見てみると、直近20年の間に、20〜24歳の男女の貧困率が約10%も上昇している。若者の生活困窮や貧困は20年前と比べて、飛躍的に進んでしまった。

努力をすれば報われたのは…

 生まれつき資産の蓄えられた家庭に生まれるか否かによって、「持っている人」と「持っていない人」が固定化している。正社員、非正規社員という働き方によっても、格差は拡大する。

 つまり、努力をするかしないかに関係なく、人生の大筋は生まれ持った運で決まってしまい、そこから脱却することは容易ではない。努力で何とかなる、頑張れば報われるという時代ではなくなっているのではないだろうか。

 そして、若者の間でもひどい分断がある。同世代でも、相互につらさを分かち合えないということだ。「持っている人」は、幼少期から私立幼稚園・私立小学校に通い、相当な金額を教育投資として受けることができる。当然、周囲は高所得の世帯の仲間たちばかりだから、その友人と関係性を結んでいく。貧困や低所得の境遇などと出会う機会や契機も率先して持たない限りは無縁だろう。

 一方で、想像を絶する困難に家庭がすでに直面しており、「持っていない人」は生涯ハンディを抱えることも明らかである。

 そして、同じ職場に正社員と非正規社員がいる。同じような仕事をしていても、給与や待遇には相当な違いがある。職場が一体感を持ち、目標に向けて協調していく体制がとりにくくなっている。正社員は非正規社員について、取り立てて配慮する余裕もなく、構造自体が変化することは極めてまれである。同一労働・同一賃金には程遠い状況だ。

 社会構造上、はじめから努力ができない環境、努力が報われない環境に置かれていたとしても、金や資産がない若者は、自分の努力が足りなかったからそうなったのだと自分を責めてしまう。そして、金や資産を有する者はひとえに努力の結果でそうなったという旧式の考えがはびこっている。このような悲劇はさらに加速するばかりである。

 子どもの相対的貧困率は16・3%(2012年)である。出身家庭が貧困に苦しんでいれば、十分な教育資源にも恵まれずに、大学進学や高等教育を断念せざるを得ない。もはや貧困や格差は固定化し、再生産される様相を見せている。努力や実力でどうにかなるような公正さや平等さは、日本では急速に失われているのだ。

 努力や実力を発揮できるような「同じスタートライン」に若者たちを立たせる必要があるだろう。出身家庭の所得の多寡、教育資源の量によって、進学先や将来が決定づけられてしまうことがよいとはまるで思えないのである。





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by nsmrsts024 | 2016-10-25 07:55 | 朝日新聞・綜合、政治

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