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2016年12月19日(月):維新が都内で政治塾 松井一郎代表「小池都知事が何をしたいのか見えない」

日本維新の会は18日、都内開催としては初の政治塾を開いた。来夏の都議選に向けて独自候補を発掘するのが狙い。講師を務めた松井一郎代表(大阪府知事)は政治塾終了後、記者団に対し、東京都の小池百合子知事について「何をしたいのか見えない」と述べ、都議選での連携に消極的な姿勢を示した。

 松井氏と記者団の主なやりとりは以下の通り。

    ◇

 --東京で維新塾をやった所感を

 「結構来ていただいてね。ゆっくり話をさせていただく機会ができてよかったと思う」

 --会場があふれて別会場も設けられた。関心度をどうみるか

 「東京も『東京大改革』という話になっているんで。僕らはもう大改革を実行している、そういう政治の集団だから。大阪においてはね。どんなことをやったんだろうという、そういう興味は持っていただけているのかなと思う」

 --都議選に何人ぐらい出したいか

 「唯一の(維新の)都議である柳ケ瀬(裕文)都議が影響力を持てる、2桁を目指したい。大体11人になれば条例提案ができるらしいから、そこを目指してやっていきたいということだった」

 --塾の参加者数をみると、もう少し出せそうだが

 「そんなことない。たまたま会場がいっぱいになっているだけで、選挙ということを考えればごくごく少数の集まりだから」

 --参加者の反応や熱気はどうだったか

 「熱気はあった。こうして休みの日に足を運んでくれるというのは、やっぱり政治への興味と関心は高いと思う」

 --講演で小池氏についてどう話したか

 「まだよく見えませんねということを申し上げた」

 --都議選で2桁の議席を獲得するために、選挙戦で維新としてどんなことを訴えていくか。都民に対する訴えで重きをおくことは

 「われわれは『やるやる』じゃなくて『やっていますよ』というところ。東京大改革をやるやるじゃなくて、まさに大阪で実行していると。政治というのは結果責任だから。『大阪で実行した結果、こういうことです』と。徹底的に政治家、議会側の改革をやり、役所の改革をやったと。これを東京でやらせてもらいたいと。これからやるというだけじゃなくて、やってきた結果を都民の皆さんにお示ししながら、そういう大改革を本気でやりたいということを訴えたいと思う」

 --これまでの国政選挙では身を切る改革を訴えてきた。都議選ならではの訴え方が求められるのでは

 「東京都というのは豊かな自治体。われわれは非常に財政が厳しい自治体だけど、そこで徹底して改革で財源を生み出して、東京でもできていない子育て政策、私学の高校無償化、こういうものを実行してきている。東京なら十分やれると思っているので、これをやるためにも力を付けさせてもらいたいという訴えをしたいと思う」

 --馬場伸幸幹事長は小池氏について「ルビコン川を渡ってもらわないと」という例え話をした。代表からみてルビコン川とは何を指すか

 「既得権益と戦うということでいわれているのに、よく分からない。(小池氏は)この間、民進党の中にも改革マインドを持った人がいると言っていたけど、改革マインドがないから民進党にいるんでね、みんな。そういうのが分からない。職員労働組合が支えている政党と組んで、どうやって改革するのか。絶対できない」

 --小池氏との連携についてどう考えているか

 「これはもう覚悟と本気度と、そして政策。政治信条、理念、政策だ。こういうものが一致しないと。選挙というのは政策を選択する場所だから、それが一致することなく連携するといったら野合談合のそしりを受ける。僕らはそういうことはやらない。厳しくてもそのときは独自で戦う」

 --今後もし連携が進んだ場合、候補者調整もあり得るか

 「それはまず政策をね。小池さんが何をしたいのか見えないのに、連携だどうだといえない」

 --小池氏について「見えない」と言うが、どんな姿勢を示してほしいのか

 「今、知事がやられている各種団体との折衝ね。僕らは民進党の事業仕分けみたいにならないでもらいたいと思う。要は、同じように前年と変わらない予算がついたら、自民党から自分に既得権を移しただけだから。われわれは各種団体に今までやっていた運営補助を一切やめて事業補助に切りかえた。だから各団体と非常にぶつかり合った。でも、これは言っておきたいけど、大阪で各種団体で潰れたところはない。だから今までなら、運営費補助を打つ方が楽ですよ。役所から人、人件費も出してもらえるわけだから。でもそれを全部事業費補助に切り替えると、今までやってきた運営体制をがらっと、そういう団体が見直すことになる。それはすごく反発があってぶつかり合いになるけれど、そこをやらないと大改革はできない」

 --今後の塾の予定は

 「それは東京維新の会でいろいろと日程はやっていく」

 --都議会自民党に対してはどんな姿勢で臨むか

 「東京だけじゃなく、どの選挙も同じだ。僕らはまさに維新だからできる改革ということで、自民党でできなかったから僕は維新をつくったんでね。もともと自民党にいたわけだから。だからそこの改革はやっぱり自民党はできないということで戦っていきたいと思う」

 --24日に安倍晋三首相と会うと聞いているが

 「それはまだ正式に全て決まったわけじゃないんで」



松浦武四郎:命名から150年 なぜ「北海道」に

なるほドリ 2018年で「北海道」と命名されて150年目になるんだってね。

 記者 幕末にロシアの日本進出が進み、国境問題への危機感が高まりました。それまでは国境があいまいだったからです。江戸幕府や明治政府は当時、北海道を蝦夷(えぞ)地と呼んでいました。蝦夷とは中央政権から見て異民族という意味です。日本の領土として明確にするため、名前を改めることになり、1869(明治2)年8月15日の太政官布告で、蝦夷地を北海道とすることが周知されました。

 Q どうして「北海道」になったの?

 A 明治政府の官僚でもあった探検家の松浦武四郎が「北加伊道」という名前を提案しました。松浦は1863(文久3)年にまとめた「天塩日誌」で、「アイヌ民族の長老から『カイ』は『アイヌ』を指すと聞いた」などと記しており、「北加伊道」に「アイヌ民族が暮らす北の土地」という意味を込めたと言われています。ちなみに、「道」は律令国家で全国が東海道や南海道など七道に分けられていたことにならったものです。提案後すぐに、政府は「加伊」を「海」に改め、北海道としました。

 Q へー、そんな意味があったんだね。ところで松浦武四郎ってどんな人なの?

 A 1818(文化15)年に三重県で生まれ、10代のころから日本全国を旅していたそうです。ロシアの脅威を知り、26歳のときに当時はまだあまり知られていなかった蝦夷地を調べることを決意します。58(安政5)年までに計6回調査し、アイヌの人々とも親交を深めました。69(明治2)年に開拓使が設置され、開拓の現地責任者である開拓判官に任命されました。しかし、アイヌ民族への差別や暴力をなくしたいという松浦の訴えが聞き入れられず、翌年に辞職してしまいました。2018年には生誕200年を迎えます。

 Q 北海道という名前が決まった時、アイヌ民族の反発はなかったの?

 A 政府はアイヌ民族にも戸籍を作り、日本国民とした一方、旧土人として差別しました。開拓者に漁場や農地などを独占させたり、優先的に払い下げたりして、アイヌ民族を迫害しましたが、アイヌ側の当時の記録が見つかっておらず、詳しいことは分かっていません。

 Q そうなんだ。150年前の北海道ってどんなところだったんだろうね。

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松浦が作成した北海道地図。北海道という名前になり、初めての地図で、現在とは南北が逆になっており、北海道の下にサハリンが描かれている=松浦武四郎記念館提供© 毎日新聞 松浦が作成した北海道地図。北海道という名前になり、初めての地図で、現在とは南北が…
 A 明治以前の北海道の産業は漁業が中心だったため、内陸部は原始林に覆われていました。当初、裁判所などの行政機関は箱館(函館)に置かれていましたが、ロシアへの対応などのため、札幌を開拓の拠点とすることになりました。街の整備は1871(明治4)年に始まり、現在のような碁盤の目の道路や偕楽園、最初の官立学校である資生館などが作られました。

 Q 一から街を作ったんだね。150年目を記念する事業もあるんだってね?

 A 道が「150年道民検討会議」を設置して事業展開を考えており、18年夏ごろに記念セレモニーを行う予定です。今はPR用ロゴマークの選定を行っており、近く三つの最終候補からインターネット投票と審査委員の投票結果で決定します。また、道庁赤れんが庁舎も改修され、館内には松浦武四郎を紹介する展示も企画されています。<回答・今井美津子>



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3.11東日本大震災   福島第一原発爆発  楢葉町 261
by nsmrsts024 | 2016-12-19 06:19 | 朝日新聞・綜合、政治

千年に一度の巨大津波と原発事故による核災害


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